見出し画像

子どもに「将来何になりたい?」と聞くのはもう時代錯誤、と思った話

中学校でのお話です。

「将来何になるの?」

「マンガ家。でも親はなれないからやめろって言う。私、マンガ家になれますか?」

はて。

絶対なれるよ!だからがんばれ!と励ますのは簡単だけど、なんか薄い。「とりあえず…大前提として」時間稼ぎ気味に答え始めます。

「親は反対しがちだよね。やっぱり我が子が心配だから。自分も10年前、就職けって東北に行くって言ったときはえらい怒られた。なんでこんな怒るんだろうっていうくらい、親父に怒られた。だから、親の反対はあんまり気にしなくていい。と言っちゃうと語弊があるけど…、心配してくれてるんだな、ありがたいなっていう受け止め方でいい」

愛情のバイアスかかりまくりなので、客観的な意見として参考にならないことが多いよね。

「マンガ家になれるかどうかでいうと、これからの時代、何か一本で食っていこうと思わなくていいんじゃない?副業や兼業が当たり前になるから。別のお仕事しながらマンガ家やれるかもしれないし。転職もどんどんする時代。SNSで描いてたら当たってマンガ家に転職するかも。ハナっから集英社に持ち込みでデビューさせてください!がマンガ家になる方法じゃなくなるでしょう。そういう意味でマンガ家になれるチャンスはたくさん転がってる時代になるだろうね」

答えになってねぇ、と自分でツッコミながら答えています。

後日、今度はオンラインで高校生と進路の話題に。

「ブライダルの業界に就きたいんですが、やっぱり公務員の方が安定してていいかなと思うと、教員もいいかなと思って」

どちらか二者択一じゃなくてもいいんじゃない?

「ブライダルのお仕事してから教員になってもいいだろうし。民間企業の経験ありの教員って子どもたちにとって貴重だよ。教員やって、辞めてブライダルのお仕事に転職してもいいよね。元教員っていうキャリアも素敵だし」

うーん、まぁそうなんだけど…というリアクションの高校生。

うーん、まぁそうだよね、というリアクションの私。

兼業や転職が当たり前となると、いよいよ人生で就く職業はひとつじゃありません。そんなことに気付かされます。そんなこと今の時代すでに自明なのに、子どもに「将来何になりたい?」と大人は好んで尋ねます。私含め。複雑で不確実でしかも人生100年時代に、十何歳の若者に進学のたびに「将来何の職業一本で食っていくか、選んでごらん?」と急かすのもおかしな話です。そもそも「既存の職業」から選ぶ時点ですでに狭い世界です。これからどんどん新種の職業が生み出されていく時代です。

画像1

将来何になるのか。あなたは将来もあなたです。何の仕事を「組み合わせるか」が大切になってきます。その組み合わせにあなたのセンスや生き方のコンセプトが表れるでしょう。中学生や高校生には、そのセンスやコンセプトを磨き始めてほしいんだなと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?