jerry

唐変木

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最近の記事

茶色定食

もう母ちゃんが逝ってしまって8年近く経つ。 「何食べたい?」が口癖の母ちゃん。 「茶色の」がお決まりの返事だった。 「またかい」と言いながら母ちゃんが"茶色の"をこしらえる。 じゃーー とか、 じゅーー とか、 じょぼじょぼ とか、 ぱちぱち とか、 あと、どんな音してたっけ? まあ、 がちゃがちゃ が、聞こえたらほぼ完成の合図。 使い込まれたガスコロンの上で、年代物の鍋がにぎやかな音をたてる。 母ちゃんの鼻歌もちょっとした味つけ。 みごとに不揃いな皿にみるみるうちに、

    • 闘病

      私は闘病って言葉が大嫌い。 自分が受け入れ難い苦悩の中、受け入れるかどうかも迷い続ける病に対して、闘うって言葉を他人の口から表現されるのはしんどい、他人の病気を闘病の末なんて安っぽい言葉で語らないでほしい。 そんなつもりもないのに相手が勝手にふっかけてきた喧嘩、闘わなくてもいいじゃない。 それが命を使い果たすために日々ならなおさら。 病気って闘わなきゃダメですか?

      • 蛇口

        注がれなかったものを今さらどう注げばいいのか…愛情の使い道につまずく。 つまずいた先の花々は素知らぬ顔で咲き誇る。

        • 本音と建前

          どんなに科学や技術、SNSが発達発展しようとも、本音と建前、恥に対するこの国特有の文化は脈々と続いているような気がしてなりません。 だから、「私」以外の誰かを引き合いに出さなければ自分から声をあげるのは怖いのです。 私は平気だけど、他の人に迷惑をかけたらいやだし… そんなの本心じゃないことくらい、誰でも察しがつきませんか? 私以外を引き合いに出さないと恥ずかしいからです。自己保身は恥ずかしいからです。カッコ悪いからです。 本音と建前、これ、世代に関係なく私たちの世界

        茶色定食

          お味噌汁!

          世界が目にみえぬものに少しずつ分断され、その亀裂は今も少しずつ少しずつ幅を広げていて、あぁ、ついにこの星は、このわがままな生物を全力で懲らしめ出したなと思いながら今日も味噌汁を作る。 湯に味噌をときながら、この中にも目にみえぬものが息づいていて、その小さな小さな働きが私の胃袋を満たし、肉体をつくり、心をうるおす、そのめぐりを思うと、こんなふうにひっそりとやさしくなりたいものだと思う。 しかし、味噌はこう問いかける。私のやさしさは結構な時間がかかっているんです。指を弾けばす

          お味噌汁!

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          人混みを避けて、人を避けて、無言の街歩き、奇妙な暮らしに慣れかけた私の背中を不意に誰かがひとたたき。 ふりかえると品格漂うお年を召した美しいご婦人だった。 私は落とし物でもしたのかと、お礼の言葉の準備をしかけたけれど、ご婦人は私の持ち物に目が止まった様子。 「これ、般若心経が書いてあるのね、どこで買ったの?」「これは美術館に仏像を観に行った時に買ったものです。誰にも気づかれないかと思ったのですが…」「わかりますとも、絵が書いてあるし、本当にいいわ!」「わかるひとにはわか

          簡単に「生きろ」なんて自分の都合を先に言うなよ… こっちが先に置き去りにされたんだよ

          簡単に「生きろ」なんて自分の都合を先に言うなよ… こっちが先に置き去りにされたんだよ

          今年も大きく甘くなりますように!

          今年も大きく甘くなりますように!

          札幌のゴミを福岡や中国やベトナムの中に詰め込む矛盾…何を持続させるべきなのだろう?

          札幌のゴミを福岡や中国やベトナムの中に詰め込む矛盾…何を持続させるべきなのだろう?

          言葉が汚れると、それを発する人間も汚れていく。 ひょっとしてこの奇妙な病は、言葉のない世界からやり直せということかもしれない。

          言葉が汚れると、それを発する人間も汚れていく。 ひょっとしてこの奇妙な病は、言葉のない世界からやり直せということかもしれない。

          今年もたくさん実をつけますように!

          今年もたくさん実をつけますように!

          母の日

          私の母はもういない。 とてもダイナミックな人生を過ごし生ききったので、足早に慌ただしくそっちに行ってしまったが、まあ、よしとしよう。 母の日だからと言うわけでもないが、ダイナミックな彼女の口癖を思い出した。 「言葉にそんなに責任いる?」 たしかに… 責任ばかり考えていたら、おしゃべりなんかできないもんな… 私の母はその言葉は無責任でも、たえず思いやりの塊だった。 責任ありげな美しい言葉をいくつ並べても、実際に差し出された汚れた手を取りそのからだを抱きしめることが

          父を書く

          春樹さんは相変わらず素晴らしい感性を持っていて、この本のタイトルだって癪に触るくらい読みたくなる。(あるいは優れた編集者のなせる技なのかもしれないが…) 結局、買ってしまう…結局、読んでしまう… 春樹さん風に表現すると、やれやれ、である。 ここからは、私のやれやれの話。 私は長年、そして今でも父とそれほどなじめずに半世紀ばかり生きている。さらにそのうちの半分は戸籍上は別の世帯、別の姓で過ごしているので、関係からも環境からも父との親子というつながりは日に日にうっすらとぼ

          父を書く