父を書く

春樹さんは相変わらず素晴らしい感性を持っていて、この本のタイトルだって癪に触るくらい読みたくなる。(あるいは優れた編集者のなせる技なのかもしれないが…)

結局、買ってしまう…結局、読んでしまう…

春樹さん風に表現すると、やれやれ、である。

ここからは、私のやれやれの話。

私は長年、そして今でも父とそれほどなじめずに半世紀ばかり生きている。さらにそのうちの半分は戸籍上は別の世帯、別の姓で過ごしているので、関係からも環境からも父との親子というつながりは日に日にうっすらとぼやけていく。そんな私の日常がある。

しかし、今、人類は地球上の摂理のようなものによってちょっとした非日常を味わっていて、こんな私でも父との関係の輪郭を少し濃くしなければならない事態となった。

不安というのは人々の距離や関係を変えるのに一番適した感情なのだと思う。こと生命にかかわる不安はとてつもない吸引力を持っており、決して深くもなく、良好でもない父のことでさえついつい思ってしまうのである。やれやれ、である。

今までに経験したことのない父への感情であった。

これまで私と父との距離感を縮めうる相互不安はいくつもあったのだが、その度に私はそれもこれも自業自得の報いであると言いくるめ、父が抱える不安を父のもとへ押し返してきた事実と歴史がある。

けれど、歴史は未来の前に実に脆いものだった。こと、未来に何があるのか、未来そのものがあるのか、未来の質量は圧倒的な強さで小さいながらもそこそこの親子の歴史を凝縮してしまった。

やれやれ。そして、なるほど、である。

今を味わう以外に術を持たない時空に身を置いたとき、どんな関係であれ、最終的には子は親を尊敬するものなのだ。

こじれた歴史の先にあるものはいつも少しだけ優しい未来なのだと改めて思う。

親子というのはどんな未来よりも想像が難しい、春樹さんもそう思いませんか?

そして、春樹さん、あなた、世界がこうなると知っていてこの本を書いたでしょ?

じゃなきゃ、親を語る、父を書くなんてこと、わざわざしないでしょ?と、私は思いましたよ、ふふふ。

とにかく素敵な贈り物でした、やれやれ。

#猫を棄てる感想文

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