見出し画像

「公平」と「平等」

漠然と。

世の中は公平であるべきだと思う。
ただ、平等では無くていいと思う。

私の考える「公平」は自分の力や運ではどうしようもなく、
生れた環境によるその後の人生の差異は無くすべきだということ

貧乏であろうが裕福であろうが、
選べる学校も受けられる教育も、
食事も衣服も「公平」であるべきだと思う。

私の幼少期はそこそこの貧乏だったと思う
でも、狭いが雨風凌げる団地に住めて
質素だが食べ物もちゃんとあった

私が中学生の頃ぐらいから父の頑張りと運もあって
家計は右肩成長を続け、大学の時には一軒家に住めた

そこそこの貧乏から中流階級の少し上ぐらいまで
父親は登っていったのだと思う

なので記憶の大半を占める中学~大学までの子ども時代は
特に不自由もなく生活させてもらっていた

今の私は父と同じ業界で働き、
会社員としてそこそこな給料をもらっている

そんな折、
友人関係で疑問をもった事がある

よく遊ぶ友人が2人いる
1人は大きな会社の創業者の息子で近年跡を継ぐ予定の友人
他の友人を社員として数名招いている面倒見のいいやつだ

もう1人は起業して不動産会社を営んでいる友人
他の企業した友人や困ってる友人を金銭面でもサポートするいいやつだ


双方ともそこそこのお金持で会社も軌道にのっているからできる事でもある

先日、10人ほど集まって友人たちと飲んだ
そりゃ久しぶりな感じで楽しかった

しかし、お会計の時に友人2人が当たり前のように会計をしていた
「おれ払うよ」「いや、おれ払うよ」って。

何でどっちかなの?

単純に疑問しかなかった。

いやいや、全員で割り勘でしょ!
と私は言ってその場は割り勘になった。

ちなみに私は大阪、友人たちは東京在住なのであまり会えない
この光景に至るまでの過程はそんなに長くなかったと思うが知らない

私は友人2人に二軒目でいつも奢ってるのか聞いた

奢ってるらしい

別に本人たちが良いならいいけど、と前置きした上でハッキリ言った

あいつらの為にならないと。

当たり前のことかもしれないが、
2人の友人は深刻に考えだした

何か当たり前にいつのまにかなっていたらしい
それに対して違和感もなかったらしい

2人とっては会社では上司と部下の関係かもしれない
自分より稼ぎが少ないから工面しているのかもしれない

自分もみんな居た方か楽しいのかもしれない

ただ、今日は友人たちが集まる飲み会なのだ
なぁなぁな感じを私は許したくない
心の底から友人たちの為にならないと思った

ここで平等の話。

激務の中仕事しても稼ぎの少ないやつもいる
嫁からの小遣いが少なすぎるやつもいる
ただ、家が金持ちだけど働かずフラフラしてるやつもいる

友人たちとは同じ大学に入学し卒業している
高校が同じ友人もいる

なぜ、社会人として自ら稼ぐステージのスタートが同じ友人に当たり前のように奢るのか
そりゃ運もあるだろう
悲運に見舞われたやつもいるかもしれない

だったらちゃんと事情を話すべきだ
なぁなぁは一番よくない

事情があるなら私も奢る
お金がないから来れないって言うなら来て欲しいから喜んで奢る

私は友人が大好きだ
家族以外で一番心が安らぎ、笑える場だ

だからいつでも対等でいたい
社会的地位やお金の量によって関係に差が出て欲しくない

友人の中から大企業の社長や、
総理大臣が出たとしても飲みの場ではいじりたいし、いじられたい

それが「友達」というものであると思う

だからこそ、公平と平等を履き違えてはいけない
公平なスタートを切ったのであれば過度な施しはいけない
公平といえない状況にこそ手を差し伸べるべきだ

公平にスタートした結果に関わらず無理やり平等にするのは誰のためにもならない

これは3年前ほどの話しだ
今でも友人たちと仲良く飲んだり旅行に行ったりしている

そして先日、奢ってた友人2人から言われたことが心に残っている

「〇〇に注意されて大事なことに気づいた。
むやみに奢らなくなってからの方がお互い自然体の友人に戻れた気がする。奢ってたおれらも皆を下に見ていたのかもしれない。優越感をもっていたのかもしれない。」

役に立ったのかは分からないけど、
何だかホットした。

友達関係は簡単に壊れてしまうものだと思う
ちょっとしたボタンの掛け違いで。

お金が絡むと更に。

それだけは絶対に嫌だ。

これからも変わらず最高の友だちと人生を生きていきたい

じぃちゃんになって皆で孫を連れてBBQしたい

息子たちにもいつかこの話をしよう

友達はかけがあえのない存在であること

メリハリが大切なこと

息子たちにも最高の友だちができますように〆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?