ある人の告白から

 今、思うこと、ですか。

 もっと、いろいろな人達と関わりたかったと、今更思います。もっと、いろいろな人たちと、話がしたいと、今更思います。気取らず、気負わず、気を使わず、気を使わせずに。拳なんて握らずに、肩の力を抜いたまま、自然な呼吸をして。バカみたいに熱くなって、バカみたいに笑いながら、それを恥ずかしいなんて思わずに、でも、それを当たり前だとも思わずに。

 でも、自分には、その気力はありませんでした。一日、一日を、ただただ、生きるだけで、精一杯。「何も起こらない毎日」を過ごすだけで、どうしてなのか、わからないけれど、とても疲れていた。

 そして、自分でも不思議なほどに、常に何かに絶望していました。ここから、一刻も早く逃げ出したいのに、でも、どこに逃げたら良いのかもわからずに、思考することさえ億劫で。一日が始まった瞬間に、あぁ始まってしまったと嘆き、一日が終わる頃に、あぁ終わってしまうと悔やんでいました。

 人と、どう関わったら良いのか、すっかり忘れてしまったのかもしれません。一人の時間が、あまりにも長すぎたのかもしれないし、一人きりでいることに、慣れすぎていたのかもしれない。誰かと会話をした後に訪れるのは、いつだって、強烈な後悔で。なぜ言ってしまったのか、なぜ言わなかったのか、どちらを選択したとしても、ほとんど同じ濃度の後悔が膿みたいにたまっていく。

 人との関わりの中で、自分が傷つくことにひどく怯えていて。嫌われることを怖がるくせに、誰かを好きになることも出来ずに、それでも、一人でいることは、あまりにも寂しくて。でも、「寂しい」なんて感情は、言葉にしてしまった瞬間から重みをもってしまうから、喉元をきゅうとしめたまま、唇を噛み締めて、決してその感情が形を持たぬように、慎重に生きていた。それなのに、ふとした瞬間に、私のどこかからこぼれ落ちた感情は、視界の端でチラついて、見ないふりなんて、気付かないふりなんて、させないと言わんばかりに。目を閉じても、その残像が、暗闇で揺らめくから、もう、どうしたら良いのかわからないのです。

 何の苦労もせずに、だからといって、当たり前のこともできずに、自分の好きなことだけをやって、ここまで生きてきました。なぜでしょうね、こんなに幸せに生かしてもらったのに、自分一人の力では、ちっとも幸せになれない。少しの誤差にもつまずいて、天秤はいつだって、私の方に傾くのです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?