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料理を作る時のこと

2023年8月13日
台風が近いている。局所的に雨が降る日はなんだか全体的に眠さ、だるさが少しある。動けるが、眠れるなら寝ていたい、そんな感じ。

今日は気圧や台風の影響で息があがりやすいのが分かった。だからいつも以上にゆっくり動く。息が上がらないように。ご飯も特に食べたい感じではなかったため、夜まで何も食べずにいることにした。

ただ、頭は食べたいが出てくる。身体も微妙に待てない感が出てきたので、身体調整をする。調整したあとの身体の雰囲気が変わるのを認識して、そのまま仕事へ。

感覚のチューニングも兼ねて、週に一回料理の仕事を始めた。野菜の切り方、包丁を持つ手、味の決め具合が身体のコンディションで全て決まる。どんな料理が作れるかのテストみたいな感じだなと思いながら作る。出せるレベルのものは絶対に作るが、どこまで繋いでおけるかは身体次第。その瞬間のベストは必ず尽くす。

身体調整をしたあとの作るという行為は、とてもなめらかである。そして周りがよく見える。その時の自分のこうしたいの加減がわかる。包丁切ってる自分を見てる自分がいる。

今日はいつもなら、塩はこれではしょっぱいのでは?と思っても足し算されるとちょうど良くなるのが不思議。

私は特別な味付けをしない。さしすせそ、の、砂糖はあまり使わないくらい。焼き加減、茹で加減、切り方を変えて、変化を持たせる。そして、このようにしたら美味しいだろうと算段はつける。

美味しくできると嬉しいし、なによりバチっと味が決まるのが楽しい。うん。これだね。と口角が上がる。

自分の発揮できる技術や能力をどこまで出せるかは、どこまで自分を整えておくか。引き出せるように余計なことをしない自分であれるようにするかだ。

気圧の影響を受けても、自分でいられる動き方、息遣いでいられればいい。

料理は顕著に、シビアにそれが出るので作るたびに食べてもらうたびに身が引き締まる。それが楽しいからやってるんだけども。なかなかに挑戦的だと自分でも思う。

私はフランス料理やイタリア料理のようなクラシックなものは作れない。だがどのような意識で作るか?の根幹は、料理を始めた時に教わった。技術に関してはひたすらに量をこなした。その両輪があるおかげで、美味しいと言われるものを作り続けられている。

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