社会という名の海に
海に潜るようだ。
わたしたちは毎日重い瞼を開けて、頭を持ち上げて、社会のという海へ潜るようだ。
季節によって変化する海の温度を感じながら、社会という海に潜るようだ。
春夏秋冬があるように、社会も目紛しく変わってゆく。
生まれたままの姿で海に潜れば、目も開けられず、ひやりとした海の温度を直で感じ、こんなにも波は容赦なくわたしたちを飲み込むのかと、諦めに似た感情が心の隙間に入り込んでくる。
生きるための透明なベールは海には持っていけない。
涙色の水中へ潜ると、すぐに
生きるための見えない手綱を求めて、太陽の光を頼りに空気と水の境目を目指して上に向かっていく。
初めて知る、海の上の息やすさ。
胸いっぱいに呼吸ができることの幸福感。
肺に目一杯、空気を入れられる充実感。
海水が滲みる目をしぱしぱさせ、目に入るしょっぱい涙が、見える世界をぼやけさせる。
太陽を見上げて、光の眩しさに包まれて、
また海へ潜っていくのはなぜだろう。
社会は波のように私たちに襲いかかり、
物とも言わさず、目に見えるものすべてを巻き込んで世界を変えていく。
そのぞわりとする恐ろしさも冷たい哀しさも知っているはずなのに、
世界をもっとよく見たいという。
海に潜るときは、足ひれをつけて、もっと深くまで見てみよう。と。
社会の中で生きるために、私たちは少しずつ装備を変えて、心地いいものにしていくことができる。
酸素が足りなければ酸素ボンベをつけたらいい。
もっと深くまで潜りたかったら足ひれをつけたらいい。
潜る楽しさや、自然のままに揺れ動く波の心地よさをわたしたちはよく知っている。
そのために何を持って海に行けばいいかも知っている。
わたしたちは学び、自分の心地よさを、身を持って知っている。
海という社会に出ると、自分の中の選択肢を持ち合わせていても、社会という不可避な大きな波がそれを許さない時もある。
揺れる波に、わたしたちは日々選択しなければならない。
一瞬、一瞬生きるために、自分にとっての最善の選択肢をしているつもりで生きている。
海の底にいては酸素は届かない。
でもわたしたちは、海の中でどれだけ息を止められるのか、毎日勝負をしてるようだ。
掴むことのできない相手に、限界まで、息を止めて生きている。
海と空の境目で生きてもいいのに、
潜り合いをしているわたしたちは、
一体なにをみたいのだろう。
わたしたちは知ってる。
海という無情に人を拐い、
無表情のまま凪いでる海の中に、
見たこともないくらい美しい情景があることを。
夕焼けに溶ける茜色に照らされる海も
銀紙をくちゃくちゃにしたような鋭利な海も
暗闇の中にひとりぼっちであることをわざとらしく映し出す海も
美しい情景とともに、暗闇に葬られるような世界があることも、知っているのに
なぜかわたしたちは
未知なる海に、無造作に惹かれ、なみだを溶かしながら、暗闇に眠り、光り起きて、海の中へ潜っていく。
海に潜るように、
私たちは必死に社会で生きている。
〈kanamiプロフィール〉
大学卒業後4年半ビーガンレストランでキッチンを務める。仕事の傍ら秋田男鹿や兵庫丹波の関係人口として田植えやワークショップを開催。最近は自分自身がHSS型HSPだと知り働き方を変えて、動画メディア担当として携わり始める。InstagramではHSPのこと、ごはんレシピ、料理のことを発信中。
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