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映画「ウィッカーマン」を観た。感想ネタバレあり

映画のウィッカーマンを観ました。
オリジナル版(1973年製作)とリメイク版(2006年製作)の、2つともを。

リメイク版→オリジナル版の順で。
なんでこの順番で見たのかというと。

ニコラス・ケイジ主演の「ウィッカーマン」しか知らず、オリジナル版があることを知らなかったから。

オリジナル版は、リメイク版を見た後に関連作品として紹介されて(U-NEXTで見てた)、存在を知りました。続編ではないので、リメイク版とオリジナル版は物語の流れとしては一緒です。

「とある島にいる少女が行方不明になった」という報せを受けた一人の警察官が、その島に向かい、少女を探すというお話。



どちらの映画でも、主人公(一人で島に向かう警察官)はこれといった非はなく、悪意はなく、溢れる正義感(リメイク版はそうでもないか)ひとつで一人で突っ走り、その姿が私には滑稽に映りました。
気づいた時には地獄行きの道しかなく、そもそもその島に来たことが間違いだった。この世で生きることが、命があることが、正しくて、選択したいことであったならば。

気づいた時にはもう遅いどころじゃない。
1ミリも気にかけない、迷惑メールのように読みもしないし受け止めずゴミに変換することが選択肢にあったのに。
そちらを素通りした。
そういう人だから目をつけられたんだろうけど。

映画を観た感想を、これから書いていく。

当たり前のようにネタバレはあるので、知りたくない人は見ないようにお願いします。

少しでも気になる人は見てくれたら、嬉しいです。
それでは、どうぞ!


ウィッカーマンとは?

そもそも題名にある「ウィッカーマン」とは何でしょうか。

私もこの映画を見るまで、存在さえ知りませんでした。

調べてみると、「ウィッカーマン」とは、
昔あったドルイド教における巨大な人型の檻の中に人間や家畜を閉じ込め、生きたまま火をつけて焼き殺し、神への生贄として捧げる人身御供の一種なのだそう。
しかし、この儀式が昔、本当に行われていたのかどうかは定かではありません。ですが、「ウィッカーマン」ではなくとも、人を生贄にした儀式は存在していたようです。


映像はどちらも美しい

どちらの映画ともに映る景色・風景は本当に美しい。
この映画の舞台は、個人所有の島ということで島全体が団結し、統率が取れていることが分かります。
個人が所有している土地ですから、国などが景観を美しく保つための活動は行っていないはずです。だから、すべてその島の住民によって手入れ・管理がされているのでしょう。

そこで、内々で争いが起こらないように、単なる外<島民以外の人々>を(同じ“人”として見ていない)と見なしている感じがしました。

すでに選択肢というものを持たせない。生ませない。
島から出て暮らすという選択肢を最初から持たない、持たせないような知能・環境を与えているなと感じました。すべてをその島内で完結させている(リメイク版はちょっと外とも関係を持っているけど)。

「足りないものなどない」という認識。ずっと足りないものを見させない、だからずっと満たされている。

あの美しい自然に囲まれ、本能のまま、楽しいままに生きているなら、たしかに満たされるんだろうなと思った。とくにオリジナル版は。


オリジナル版とリメイク版の違い

物語の流れとしては、ほぼ一緒です。


主人公(警察官)が少女が行方不明になったという島へ訪れる

住民たちに少女について尋ねていくが、全員が知らない(または死んだ)といい非協力的

島に滞在している内に、ある祭り(ウィッカーマン)について知る

その祭りに少女が生贄として選ばれたと思い、助けようとする

しかし、それは罠で
少女ではなく、最初から主人公(警察官)が生贄として選ばれていた

まんまと罠にはまり、主人公はウィッカーマンの中に入れられ焼き殺される


どちらの映画とも、主人公にしてみればバッドエンドで終わります。

主人公が通常よりも強い正義感の持ち主、またお人好し(愚か者)であることを前提として罠にかけていることが分かります。

リメイク版とオリジナル版の違いはというと、

オリジナル版は 宗教間での対立
リメイク版は 男女での対立(差別)

を描いていました。


どちらにしろ、島住民 VS 個人(男)なんですが。

あと、島内での住民たちの差も違ったかな。
オリジナル版に島住民間での差はなかったようですが、リメイク版は明らかに男女の差がありました。島の男性が話すシーンさえなかったんですよね。
教育を受けていないから。
そして、女性がとても強気。
明らかな女性優位な環境で、しかもそれを主人公は指摘していたのに。
なぜ<少女>が生贄になることを疑問に思わなかったのか。リメイク版は途中から展開が読めてしまって、少しつまらなく感じてしまいました。

オリジナル版は後から見ても、終始不気味で展開が分からず、最後まで楽しめました。主人公もオリジナル版の方が好きでした。どうにか助かって欲しかったんですが。

また、<外とのつながり>も違いました。
オリジナル版は完全に外との繋がりを断ち切っていましたが(生贄のことは別として)、リメイク版は繋がりを持っていました。

島以外の外にも頼っているくせに、よく自分たちだけで生活できてると思えるなと思いました。
(「人」に頼るという感覚ではなく、「道具」を使っているという感覚なんだろうな)

オリジナル版の感想

どちらの映画とも島全体が異様な雰囲気に包まれており、不気味でしたが、オリジナル版の住民たちの方が狂っている印象です。より奇妙で怖かった。
人柄自体は冷たい印象はなく、大らかなんですが、まあ下品で。

クリスチャン(主人公:ハウイー巡査)との対比として強調されていたと思うんですが、とても性に奔放で、自由で、下品でした。
でも、人の性質?として優しいのは確実にこっち。オリジナル版。
目的としては同じだから、ここに優しさを感じたところで意味ないんだろうけど。

根っから狂っている。外から見て。常識そのものが違う。非難する人がいない、反対意見がないことの異様さ。
多神教だと言っていたが、なんでも受け入れていれば、いずれは矛盾が生じそうなものだけど。それさえも受け入れ、流していくのか。

島住民のあたりは強くなく、対等な接し方でいたので(馬鹿にはしていたが)私は最後まで展開が分からなかった。やっと終盤まできて、結末はリメイク版と一緒なんだと分かった。

私はオリジナル版の主人公のハウイー巡査は好きなんですが。
一人で見知らぬ土地へ行き、郷には従わず、その場の雰囲気にのまれず、多勢にも立ち向かい、自分の信じてきたものだけに従い、最初から最後まで同じ姿勢を崩さず、恐怖を感じてもいなかった。

キリスト教徒であることで、教えを信じてきたことで成功してきた(失敗がなかった)経験から、自分の信念に対して強固たる確信が出来上がっていた。
自分が正しいと思っていることに対して、「信じられない」ことがなかったんだと思う。疑いがなかった。
「一人でも」少女を救うことが正義だと信じていた。

ハウイー巡査はとても純粋だな、と思ったので、多分この人は悪にも善にも染まりきれる人だと思う
客観的に見れば、主人公はとても愚か者だけれど私は好きでした。それと同時に、こういう人が大事にされる(良い方向に向ける)環境・時代が良いよなと感じました。暴走しそうではあるけど。
あと、オリジナル版に出てくる歌はどれも結構好きでした。もう一回聞きたい。女性が円になって集まり、裸で踊る(?)シーンがあるんですけど、そこで歌われている歌がとても気に入りました。

リメイク版の感想

リメイク版は自然が美しいのはもちろん、建物も可愛くて好きでした。女性が主体となっているからなのか、服や家が可愛かったです(とくにメイドの子の服が可愛かった、メイドの子が可愛かった)。おとぎ話に登場してくるような感じでした。
こんな怪しい人たちが住んでいる場所じゃなければ、行ってみたいと思いましたね:)

物語としては、途中から展開が読めてしまって半分はイライラしながら最後まで見ました。

主人公(メイラス警察官)の勘の悪さというか、お人好しさというか。なぜ「おかしい」って分からない?って感じでした。
あなたに「娘が行方不明になった、助けて」といった手紙をよこしてきた元恋人。8年も前に別れた恋人のところによく行ったな。その手紙ひとつで。結構な年数経ってんのに、図々しい女だなとか思わなかったのか。すごい人だな、変わってんなと思いながら見ました。(手紙がくる前に伏線のような大事故が起こるんですが、それがあったにしてもよく行ったなと)
そしてメイラスに輪をかけて、この元恋人にもイライラ。娘が何よりも大事だと言いながら、自分はなんにもしない。←島とグルだから当然なんだが。
メイラスに頼りっきり。メイラスは何も不審に思わず、一人で少女を探し回る。
助けを求めてきた女性(元恋人)が怪しすぎるのと、主人公がお人好しすぎて物凄く滑稽に映りました。

現恋人でもないのに、よくやるな。
それに、女性だけが教育を受けている現場を目にし、男性を下に見ているのかと非難したにもかかわらず、なんでわざわざ<女>である少女が生け贄にされるんだと疑問に思わなかったのか
女性が主体で優位となっている島に<女>である元恋人が辛い状況に合うと思うか。
モヤモヤ~としながら。見てました。

最後にメイラスが焼き殺されるシーンで、元恋人だけが少しだけ悲しそうにします。他の島民たちは笑顔です。
オリジナル版の救いが神(信仰)だとしたら、この元恋人の表情がリメイク版での救い(愛情?)だったのかなと感じます。めっちゃくちゃほんの少しの救い。

あと、
リメイク版はある方のブログの考察で見たのですが。
蜂社会をモチーフとしているようで。

蜂社会はメスが主体で、オスは子作りのために存在するようなものらしく。この島もそうですね。
それに注意してみると、
映画の中に六角形の形のモノがよく登場します。

また、私はリメイク版の主人公にはあまり好感は持ちませんでした。元恋人ももちろん嫌。
少女を助ける理由がただの正義ではなく、私情がだいぶ入っちゃてるからでしょうか。終始滑稽に映っていました。

島民たちも冷たかったですし、オリジナル版と比べて幸せそうな島ではありませんでした。
リメイク版では島民たちの間で差があり、宗教的な習わしよりそちらの方が印象に残りました。(この差も宗教の一部になるのかな?)

最後に:絶対的な正義行為はない

どちらの映画とも、島民たちは笑顔で人が焼き殺される場面を見ていました。自分たちの明るい未来に期待して。
これは共通。

島民たちにとっては、ハッピーエンド。主人公にとってはバッドエンド。私にとってもバッドエンド。

でも、映画の中で「ウィッカーマン」って
凶作の年だったから、人や家畜を神への生贄として祭り、焼き殺して次の年の豊作を祈るものなんだけど。また凶作だったら、どうすんだろ。生贄を増やしたりして、またやるのかな。

自給自足と見せかけた、見事な他力本願だね。
島民たちにもはや自己というものはないんだろう。この島全体の意思は、島の支配者のみにある。

「この人が言っているから、きっとこれのみが正解なんだ」

人を殺す。
そのことに罪悪があると感じているか、いないかがどれだけ重要か。

しかし、ずっとこの島民たちは「人を殺した」ということを悔いることはないのだろう。
罪の意識が芽生えることはないのだろう。

なぜなら何も知ろうともしないし、バカでいることが幸せだと知っているからだ。


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