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各地方でシードバンクを作る意味はあるのか

この三宅氏のような主張はいろいろなところで言われており、種苗法の誤解とともにいろいろ拡散される。

農業者の志ある方々は、こういった三宅氏のような人の主張に対して、現実的な回答をしっかりとしていただいている。

さて、では最初のツイートで述べられている「種子バンク(シードバンク)」を地方で作ろうということは、果たして作物の多様性を保つことや、これからの気候変動や食糧危機に対して有効なのだろうか。

いくつかの点から、この「種子バンク」の地方での設立があまり意味がないことを示したい。


① そもそも全国的な活動はすでにあり、とんでもなくすごい

文中にもあるように、全国各地の伝統野菜などの種を保存する取り組みは1985年から行われており、その保存方法や、発芽率を維持するための取組はとんでもなく手間がかかっているが、しっかりとおこなわれている。

極低温の保存庫、発芽率のチェック、発芽を確認するための試験農場の運営(しかも、交雑を防ぐためにかなり厳しい条件下の圃場が必要となる。日本国内で一般的な野菜の種取りをするための圃場確保も難しいのに、である)、、、こういったことを各地方自治体がやれるのだろうかちなみに農研機構の予算は年間約760億円である。地方自治体が極低温の保冷庫と試験圃場や研究機関運営を実施するとして、予算は10数億円にはなるだろう。ちなみに長崎県の令和2年度の農業関連の予算は総額で71億円位である

ただ、もしかしたら地方にある希少な品種はまだこのジーンバンクの中にないかもしれない。では、それは本当にその地域で「本当に」希少性があり、「本当に」その土地で固有の種子であり、「本当に」これから先保存する価値があるものなのか。

たとえばそれが長崎県で見つかったとして、隣の佐賀県や福岡県でも全く同じ種だったりしないだろうか(名前と生産者が違うだけだったりしないのか)。ならば、全国を網羅しているジーンバンクに送付し、研究をしてもらい、必要であれば保存をしてもらう方がいい。長崎県単独で保存施設などを持つ必要はない。品種に明るい農業普及員や、地域の既存植物園の人材スタッフが今までと同じくらい維持できていればいい程度である(ちなみに植物園も、種の保存などの役割を担っている。農業で生産される野菜などの系統に関してはその役割を持っていないことが多いだけである)。


② そもそも、在来種って定義が難しい

冒頭の三宅氏のような主張をする人は多いが、何をもってして「その地方固有のものである」といえるのか。また、その種子の固有性を保つことが可能だと考えているのか。

大阪には有名な伝統野菜として、「天王寺蕪」というカブがある。このカブが、北陸道伝いに伝わって、長野県では漬物に有名な「野沢菜」になったのではないかという話もある。つまり、種は地方によって性質を変える(野沢菜は、蕪の白い部分が育たなくて葉っぱのみが育つ)。なので、種の保存というのは、【種そのもの】と【種が育った環境】と【種がどういう状況下においてどのような変遷をたどってしまうか】の知恵が必要となる。それこそ地方それぞれで保存すべきだ、という人がいるかもしれないが、先の野沢菜の例のように「種は人によって(あるいは動物や風によって)どこまでも運ばれていく」なかで、例えば長崎県だけでとある品種を保存していることはあまり意味がない。少なくとも、その品種が長崎県において将来的に役に立つかどうかわからない。地球の気温が高くなったときに、せっかく保存しておいても「それまでとは違う育ち方をする」可能性だってある。

ちなみに筆者も難波の屋上農園で天王寺蕪と田辺大根(大阪の伝統野菜)を育てたが、天王寺蕪はカブの白い部分(根と茎の間の部分)が全く大きくならなかった。先代と同じ性質で育てるには技がいる(それだって、後述するように全く同じである保証はない)。そのため、地域の伝統野菜を「それを育てる農家も含めて」保存するために、その農家を買い支えることは必要だが、【単に保存庫で種を保管する】行為だけではまったく意味をなさない可能性がある。また、この天王寺蕪のように、多くの伝統野菜はその子孫は大きなばらつきがある(F1品種でないから。F1品種でも種はできるが、先代と同じ品質を保つ割合は低くなる)。そのため、種取りをどのカブで行うかは重要であることのみならず、生産品もその形質がかなりばらつきが出て、天王寺蕪としてお客様が求めるものがどれだけ生産できるかどうかは不安定である。そのため農家としては高く買ってもらわなければ継続できない。そちらの活動を強く訴えるのであれば同意できるが、単なる保存をのべつ幕なしにすることはほとんど意味がない。

③ そもそも、保存することの意義

先のジーンバンクの記事内から引用するが、『堅牢な保管庫を目にし、種子保管のための大変な手間を聞いた見学者の中には、「このうち、どのくらいが将来役に立つんですか」と聞く人もいるという。根本さんの答えは、「ここには100%役に立つものしかありません」だ。「今の私たちの基準で役に立つかどうかは、関係ありません。将来どのようなコメやトマトが必要になるかはわからない。幅広く保存して、将来必要になったときに、ここから探してもらうというのが私たちの仕事です」』ということから見ても、種の保存の本質は「その種がもつ現状のDNA」をなるべく正確に分析し、違うものはしっかり保存し、「生産されている場所も育った後の形質も異質だが、遺伝子的には同じ」ようなものは、それぞれの場所で保存してもあまり意味がない。然るべき場所に集めて保存する方がよほど効果的で、後世のためだ。


④ 交雑、という避けて通れない道

カブやダイコンはアブラナ科である。この科の植物は交雑しやすい。

上の記事は、固定種や在来種の種を販売する野口種苗店さんの記事であるが、この記事などを読んでいただければわかる通り、【新しい品種の開発、そしてその野菜を生産していく方法】などは恐ろしいほど手間がかかる。
しっかりと行っていても、数百メートル離れているところからの花粉で別の作物ができてしまう危険性すらある(京都の伝統野菜の壬生菜も、水菜における突然変異で生まれたものとされているのであるが、こうした交雑から生まれたものと推測している)。

この状況の中で、本当に「固有種」が大切といえるのか。おそらくその固有種はとんでもなく手間がかかって維持されていた(つまり、その分市場性が無い。高くついて一般の消費者が買えるものにならない)野菜か、すでに交雑して実は変質している野菜だ。その野菜を精査もせず「固有種」といって保管することに意味はあるのか。精査して、保存すべき特徴があるというのであれば、それは全国的な知見を持つジーンバンクに任せる方が後世のためになるのではないか。

ジーンバンクで保管しているのは「原種に近いもの」もある。つまり、変質した地方のカブやダイコンも、理論的には「将来、再生させることができるかもしれない」。それが、もしかしたら将来の気候変動に対応しうる野菜かもしれないが、現時点でそれはわからない(しかも一般的に販売されている種に比べて扱いずらく、市場性が無い)。だから、原種に近い種をなるべく保存し、将来に備えているわけである。(詳しく知りたければゴルゴ13 101巻 「種子探索人」を読みなさい)

したがって、冒頭の三宅氏などの言説は、ただ単に「種が外国産のものに席巻されてしまうから地方で守らなければ」という、種の保存の本質も実態も知らない人の杞憂に過ぎないのである。

なお、下記の記事などはよく拡散されるが、人口が増え続ける発展途上国のおなかを満たしているのは、土がやせていても環境が過酷であっても育つ穀物・野菜を育てられないかと苦心している多国籍企業の改良技術のおかげであることに全く気が付いていない。

「種子企業は、"我々が世界の食を養っている"と言うでしょう。しかし、遺伝子組換え作物への転換は、企業による種子や食の支配を一挙に進めるもの。いま、世界に8億人もの"栄養不足"の人々が存在する本当の原因は、むしろ、企業の独占による偏った分配のシステムやそうした企業が進めている持続的でない食生産のあり方にあるのではないでしょうか」とヴァンダナさんは強く憤ります。

=>実は、栄養不足の人口は中長期的に見れば減っている。画一的な生産で栄養不足の人が生まれている、という論拠は成り立ちません。フードアクセスの問題です。


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