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【つくること】 第4回超映画総合研究所”志田ゼミ” DAY2(2024.5.31)レポート

前回プレゼンされた映画は計6作品。その感想交換会となる超映研第四期のDAY.2。いつものように開始時間30分前から続々と参加者の方々が集まってきて、あっという間に会場は賑やかに。
既に映画を通じてコミュニケーションが展開されている様子で、観てきたプレゼン作品について早々に語り合っている方々も。
今回もまた様々な感想が新鮮に飛び交いそうな雰囲気が、開始前から充満しておりました。

『ソウルメイト/七月(チーユエ)と安生(アンシェン)』2016
鑑賞率7割近くと高かったのですが、「女性同士の友情は果たして成立するのか?」という声や、「最終的に彼女たちは一体どこに着地したのか?」と言った“疑問”が感想としてあがりました。
あわせて、「一人の男が入ることでよくある物語に」といった感想もあり、これらは男性からの意見でしたが、それが果たして男性としての独自視点によるものなのか、または世代的ギャップとしての印象論なのか、ナビゲートする側(志田さん)も、作品を語り合う上でどこに糸口があるのか、一瞬フリーズする一幕もありました。
が、「90年代頃に、女性同士はなかなか分かり合えない、といった風潮がメディアによって作られたことが確かにあった」という女性からの発言があり、そこからテーマ性についての話や、深く掘り下げると中国という国の独特なアプローチも散見されるのでは、といった話へ若干ではありますが広がりました。
志田さんからはハリウッド映画で描かれた女性同士の友情物語『マイ・ベスト・フレンド』(2015)や、逆に男性同士の友情物語である『帰れない山』(2022)などを紹介。
そしてもちろん本作の韓国版リメイクである『ソウルメイト』(2023)もレコメンド。
その際、実は韓国の方が“ソウル=魂”というスピリチュアルな捉え方が強いのではないか、という一言も付け加えさせていただきました。
ちなみにこちらの舞台は韓国なので 済州島がメイン。首都ソウルも出てきますがそちらは“ソウル違い”ということで…。

『太陽を盗んだ男』1979 (監督 長谷川和彦)
カルト映画と聞いていたがめちゃくちゃエンターテイメント作品だった!という一声が出て頷き同意する方々も多々。
そして「確かに現在であの破天荒な撮影は出来ないだろう」という現実的意見も。
そして、そもそもジュリー=沢田研二がこんな映画によく出たなという驚きもある。そういう意味ではやはり“カルト=キュリアス・ムービー”と称される定義の一つに当てはまる作品ではないか、という雰囲気に。
また、70年代後半という80s前夜のファッショナブルな光景の数々に惹きつけられたという意見も。
特に中盤から登場する峰不二子のような謎の女、池上季実子の妖艶な美しさについても絶賛の声があがり、なるほどそういう観方によるナウな見どころもあったかと再確認。
作品公開から随分経ってから生まれたであろう世代と見られる方からの感想が「作品全体がコントの連続のようだった」とあって会場は爆笑。
冷静に見ると、確かにプルトニウム奪還シーンでインベーダー・ゲームの効果音が流れたり、各所力づくで物語を展開させていく場面も多く、それらが時代特有のアプローチ=非現実的に見えて、最早これはギャグとして行われているのでは?と見解されたようでした。こういう視点と感想、最高に面白いですし、貴重です(笑)
志田さんからは、改めて3つのポイント「意外な物語」「破天荒な内容」「キャスティングの妙」が本作を形成しているのではないかと指摘があり、これらが内包されている類似作品として『新幹線大爆破』(1975)が紹介されました。
これにもまた場内からやや笑いが起こりましたが、ゆえに『太陽を盗んだ男』同様、“カルト映画認定”の空気感も十分漂いました。

『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』2013 (監督 リチャード・カーティス)
「何度も過去に戻れる男が最初のうちはそれを繰り返していちいち起死回生を図るが、後半はそれによって手に入れた幸せな人生を自分自身の力で守り抜いていく。それが良かった」という、タイムリープというSF的観点ではない感想が最初に飛び出しました。
これは映画そのものの真意が伝わっているという印象が強く感じられ、他にも「父と息子の関係が素晴らしく、それを表わす台詞が良かった」といったドラマ性についての好評や、「プレゼン時には“タイムリープもの”という情報が一切無かったので、逆にそれで新鮮な気持ちで楽しめたのが良かった」という、当イベントならではの感想も。
さらには「この作品は自分にとっていつも枕元に置いておきたいような映画、それぐらいに思える映画に出会ってしまった」といった絶賛の声も。
このように共通して聞けたのは、やはりヒューマン・ドラマとしての感想、意見が大多数で、結果、タイムリープものだけど、人生とは自分の力で切り拓いていくもの、というメッセージが、この作品の本当の正体なのだということが共有されました。
志田さんからは、現在手を変え品を変えタイムリープ映画が作られているけれど、本作の監督、リチャード・カーティスはその中でも日本の『時をかける少女』を参考/意識して作った、という情報があることをお話されていました。
ただしそれが1983年の大林宣彦監督による角川映画版を指すのか、または2006年の細田守監督によるアニメ版を指すのかはわからないということも。実際はこれまで9回も映画化/映像化されている筒井康隆の人気原作小説なので、本当にいつのどのバージョンに感化されたのかは不明なのであります。

『羅生門』1950(監督 黒澤明)
『最後の決闘裁判』2021 (監督 リドリー・スコット)

DAY.1でもこの二作が比較対象となって意見交換されたので、今回DAY.2でも連作的に捉えて感想をお聞きしました。
するとやはり“ラショーモン・アプローチ”(別視点の複数証言で物語を何層にも重ね、提示する映画術)に対する観方の感想が大半で、それこそ『羅生門』で描かれた、登場人物たちのまったく違う証言による世界観と(虚偽、自己防衛)、『最後の決闘裁判』で描かれた、心理感が優先され具象化されることによる微細な違い(自意識、自己正当)、その似て非なるものの比較はもちろん、今回それらを併せて観れた面白さについても力説が目立ちました。
その中で後者『最後の決闘裁判』については、その細やかな違いが、こんなところにあった、とか、あのシークエンスにこそ違いのポイントが、などと、ほんの隙間に隠れている真意を見つけたという報告も。
また『羅生門』については「技術が素晴らしく映像も見ごたえがあって美しいが、残念ながら当時の映画は台詞が聴き取りづらい」ということや、「京マチ子の平安時代特有の眉の秘密はこんな理由」といった、まさに往年の名作を鑑賞したことによる率直な意見も。
かと思えば、「あの映画が当時海外で評価され映画祭で受賞したといったニュースが、敗戦後まだ5年目の日本をどれだけ勇気付けたことか」といった話もあり、改めて本作のような歴史的作品をこうした場で共有できたことに意義を感じました。
『最後の決闘裁判』ではラショーモン・アプローチについての感想の他に『美術がとにかく美しい』という感想がありました。遥か昔14世紀のフランス王国時代を完璧に再現しているその極みは、セットやCGで造られた世界観もさることながら、衣装、メイク、小道具といった細部に至るまでの徹底的な配慮があったからこそで、その美術の完成度が強く印象に残ったとのこと。
あわせて、「リドリー・スコットはやはり凄い監督で、本作は『ブレードランナー』と同等の捉え方で観れた」と、前作『ナポレオン』での酷評の嵐を吹き飛ばす、起死回生の評価の声もあがりました。
志田さんからはリマインドとして“ラショーモン・アプローチ”という「映画術」の説明の後、関連作として、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『殺し』(1962)、アラン・レネ監督による『去年、マリエンバートで』(1964)、そして日本映画から、横山秀夫原作小説の映画化作品『半落ち』(2004)を紹介。
特に『去年、マリエンバートで』は、脚本のロブ・グリエがまさに『羅生門』にリスペクトして物語を構築したという情報もあり、改めて“ラショーモン・アプローチ”を唱えた黒澤作品の重要さがわかるということをお話させていただきました。
さらにはクエンティン・タランテイーノ監督、クリストファー・ノーラン監督の各初期作品でも、時間軸の表現方法にアレンジを加えた演出が楽しめるのでそちらも是非にと説明。

一方で、“学術的”にも、現在道徳授業論の見地から、様々な視点/立場より互いに異なる主観的情報自体を共有すること、それが大切、といった“羅生門的アプローチ”が既に広く教材として存在していることも解説。これは一つの解=答えに辿り着く“工学的アプローチ”に相対するものを理論化したもので、このような学習の場でも『羅生門』=芥川龍之介『藪の中』で描かれた、それぞれの主観が持つ真意についての考察が活用されているということをお伝えさせていただきました。

『ライフ・イズ・ビューティフル』1997 (監督/主演 ロベルト・ベニーニ)
ナチスドイツの各国侵攻による史実作品は多々あれど、コメディータッチで全編を観せきった本作。「DVDも持っていて久々引っ張り出して観ました」といった、既に当時鑑賞されていた方も多く、今回再度観て改めて様々な思いを抱いた方もいらっしゃったようです。  
「ホロコーストを描いた中では本作は珍しいタイプで、ロベルト・ベニーニもとても良かった。本作を観ながら、アメリカ映画の『最前線物語』(1980)や、ジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』(1986)なども思い出した」という感想や、「ナチスドイツについて描いた作品はよく観ているが、本作はやはり他とは違って、いかに日常が大切なのか、そのような戦争に犠牲になる人々の本来の生活の様子などがしっかり描かれていていることにこそ意味がある」といった熱い意見などもあり、やはり唯一無二の“戦争映画”であることが様々な視点から語られました。
志田さんからは、設定上の同時期、ナチスがポーランドはワルシャワへ侵攻した際の状況を、ピアニスト シュピルマンによる手記を元に映画化した『戦場のピアニスト』(2002)も紹介。
こちらは本作と違って、各所で突発的に展開する“ナチスによる非人間的シーン”も散りばめられているので、観るにも厳しい場面もあると思いますが、こうした作品を観ることで史実をしっかりと理解することも大切であるという説明がありました。
そして最後にもう一作レコメンドしたのが『ヒトラーのための虐殺会議』(2022)です。本作は1942年1月20日正午、ベルリンのバンゼー湖畔に建つ大邸宅にナチス親衛隊と各事務次官が集められ、「ユダヤ人問題の最終的解決」を議題とする会議の模様を、残された議事録や証言などを元に忠実に再現ドラマとして描いた、世にも恐ろしい作品なのです。
タイトル通り、最終的にはヨーロッパにいるユダヤ人を計画的に抹殺することが目的の会議であり、高官15名と秘書1名によるユダヤ人虐殺計画が淡々と議決され、結果、1,100万人ものユダヤ人の運命が、たったの90分で決定づけられるという、あらゆるナチスドイツの史実映画よりもおぞましい作品であることを紹介しました。
これにはさすがに会場内ざわつきまして、最後の最後に最もヘヴィーな一石が投じられましたが、これもまた、されど映画じゃないか…ということで。

というわけで約1時間半に渡る興奮の感想共有も、今回もまた過ぎてみれば一瞬でした。以下は各作品に対しての探求ポイントです。

「ソウルメイト/七月と安生」⇒友情をテーマにした映画は心に響く!
「太陽を盗んだ男」⇒破天荒、だけど実はめちゃくちゃ面白い映画がある!
「アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜 」⇒いろいろアレンジされたタイムリープ映画を探して楽しもう!
『羅生門』『最後の決闘裁判』⇒映画術/ラショーモン・アプローチと、学術/羅生門的アプローチを認識したことで、映画や日常にてさまざまな気づきを得て行こう!
「ライフ・イズ・ビューティフル」⇒(ときには)知るべき戦争の歴史のために映画を観よう!

ジャンルもバラバラ、アプローチもまったく違う映画たちをテーブルの上に一緒に並べたとき、いかに映画という存在そのものが多種多様であるかを今回もまた実感いたしました。
しかし、偶発的であり多少意図的であった『羅生門』と『最後の決闘裁判』の二項対立の様子は、超映画総合研究所にとっての新たな側面として感じ取れ、今後もこのような「映画同士の関係性」についても、ラインアップを組み立てる上で少なからず演出していけば、また多くの気づきを皆で得られるのかなと思い始めています。
そしてそれらもまた主観の集まりとなるのであれば、引き続き「共有していくことの大切さ」、それによって「新たなコミュニケーションの形成」へと繋がっていけばと、強く感じております。
セカンド・シーズンは、このようにとても有意義なかたちでリスタートいたしました(自分としては今回かなり神回であったと思うほどでした)。次回開催日程も早々に発表されましたので、また是非この会場に集まり、映画を通して繋がりの輪を広げていきましょう!ありがとうございました。