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男女の友情は成立するのかに対する答え

今日は小学校時代の親友の誕生日だった。彼とは一年生の時、同じクラスだったのでかれこれ16年の付き合いになる。彼に誕生日のメッセージを送ったことがきっかけでふと、頭をよぎったテーマがある。

今日は、"男女の友情は成立するのか"という問いに対する私なりの答えを述べて行きたい。

私は男女の友情は成立すると思って生きている。
例えばその私の友達の彼にも彼女がいるし、私にも彼氏がいる。
人はパズルのピースのように、必要な部分を埋め合い助け合って生きている気がしている。一度しかない人生で経験できることは限られているし、一人一人個性があり違った性格がある。知識や長所や人の役に立てる何かを、日々分け合って生活している。そのような要素の交換の過程で友情や愛情というのが生まれていくとしたら、そこに性別の差は関係ないのではないか、と思う。

しかし議論は認める。
かつては私たちも恋仲だった、その過程で互いの距離が縮まったのは否めない。生物として子孫を残すようプログラミングされている我々人間がどうしても思春期に異性に興味を持ってしまうことは、避けられない。ただそんな時代を経て私たちは今真っ当な友情を保てていると思う。その過去があったから、彼を男としてではなく人間としてみることができるようになったのかもしれない。

アメリカに住んでいる私と、日本で当たり前のように過ごす彼が顔をあわせるのは一年に一回ほどだ。でも、たまにするやりとりが心の支えとなり、その限られた奇跡のような関係が、私を私たらしめている。
友情や、愛情には、本来制限はないのかもしれない。色々な性や、その捉え方が存在する今、”男女の友情は成立するか否か”はもう議論されるべき問題ではないような気がする。性別は一つの特徴に過ぎないのだ。これからも一人の人間として、周りの人と付き合っていきたい。

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