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会社史上最年少のマネージャーからNPOカタリバの職員へ。彼女が、教育へ向き合う覚悟を決めたわけ

noteマガジン「はたらく人」は、カタリバwebサイトに掲載している「カタリバマガジン」の記事の一部を転載しています。元の記事はこちらからご覧ください。カタリバマガジン:https://www.katariba.or.jp/magazine/

大学卒業後、教育系ベンチャー企業へ入社。若くして営業として頭角を表し、当時最年少でマネージャーへ昇格した馬込麟(まごめ・りん)。
彼女は、なぜ新たな活躍の場に選んだのはカタリバだったのか、そのわけを聞いてみた。

*本記事は2022年2月に作成されたものです

ー教育に関心を抱くようになった経緯を教えてください。

大学入学のタイミングでは、全く教育系に就くことは考えてなかったんです。顕在化したのは、2年に進級した頃。当時中学生だった妹が若年性うつ病を患ってしまい、心配すると同時に「同じ家庭環境・教育環境で育ったのに、なぜ異なる精神状態になってしまったのか」と疑問を抱くようになりました。

ちょうど学科選択のタイミングだったので、教育学科を選び、3年からは教職課程も取得しました。

ー教員の道へ進みたい気持ちもあったのでしょうか。

いえ、もちろん教員の道も検討しましたが、一度民間企業で働きたい気持ちの方が強かったです。その気持ちは教育実習で現場の先生たちの姿を見て、より強くなりましたね。

私の実習期間に、クラスでちょっとしたいじめが発生したことがあったのですが、いじめ自体は解決したものの、当時の先生の「首謀者らしき生徒をピンポイントで呼び出し、問い詰める」という対応に疑問を覚えてしまって。もっといろんな生徒から意見を聞くべきだと思ったし、それによっていじめられていた生徒にさらなる被害がもたらされてしまっては本末転倒です。

でも、生徒と向き合う際のベースとなるのは、先生自身の人生観でしかありません。だから、少なくとも私は子どもたちに人生の選択肢の多さを見せていく存在であるためにも、民間企業でビジネスの仕組みや世の中の構造を学んでいく必要があると感じました。

ー卒業後は、社内研修や人材開発を手がけるベンチャー企業へ?

はい。就活の軸としていたのは「教育×ベンチャー」で、入社したのが、社内研修や人材開発を手がけるベンチャー企業でした。

営業として関西支社配属になったのですが、すごく楽しかったですね。早朝から深夜まで必死で働いたのですが、大阪の雰囲気が合っていたというか。

1年目から裁量権がありましたし、お客さんも「○○社の人」ではなく「佐藤さん(旧姓)」として接してくれたので。ベンチャーを選んで間違っていなかったですね。仕事しながら、人間力も磨かれたような感覚がありました。

ー会社史上最年少のマネージャーに大抜擢された後、3〜4年のタイミングで転職されていますね。何があったのでしょうか?

仕事自体はすごく楽しかったのですが、コロナ禍になって、一度自分の人生を見つめ直してみたんです。そのときに立ち返ったのが、社会人2年目ぐらいの頃に参加したワークショップで描いた絵です。

馬込の仕事観をアウトプットした絵。「私が存在することで創り出したいものは、1人ひとりの個性が活きる学びの場」というキーメッセージは、社内でも発信していたという

この絵を見返したときに、右上の大企業の教育には携わってきたけれど、それ以外の学校や家庭や地域にはアプローチできていないことに気づき、転職を決断しました。2020年5月ぐらいのことです。

ーなぜ、カタリバに行き着いたのでしょうか?

大阪で働いていた頃から学校や地域の教育に興味があったので、休日は旅行がてら地方の学校や地域おこし協力隊のところへ足を運んでいたのですが、現地で話を聞くと最終的に名前が挙がるのがカタリバで。転職を考え始めたタイミングでカタリバを調べると「やりたいこととドンピシャじゃん」となり、自然と門を叩いていました。

特に共感したのは、「共助の精神・価値観を広げていく組織」という点です。私は、ひとりの人間だけが頑張るのではなく、みんなで支え、みんなで育てていく考え方がすごく大事だと思っています。

妹が若年性うつ病を患ってしまったのも、彼女が「学生だから、勉強頑張らなきゃ」と、自分で役割を決めつけて頑張った結果、自分の本音がわからなくなったことが原因だと思っていて。父は父で「大黒柱だから仕事を頑張らなきゃ」、母は母で「子育て頑張らなきゃ」と役割を背負って、追い詰められていった。ご近所さんや先生に助けを求めたりできれば、防げたかもしれない。そのことはすごく後悔していて。

だから、カタリバが推進している地域や学校を巻き込んで子どもたちを育てていくことには意味があると思うし、「私が一端を担いたい」と真剣に思いました。

ー上場企業のマネージャーからNPO職員への転職ですと、収入面の不安はなかったんですか?

あまりなかったですね。カタリバで働きながらご家族を養っている職員もたくさんいるので。「まぁ、生きてはいけるだろう」と(笑)。

ー民間企業から転職して、戸惑いを感じることはありませんか?

強いて挙げるとするなら数字に対する捉え方ですね。前職では、数字は絶対的に追いかけるべき目標でしたが、今は社会的な意義やインパクトが問われます。私が配属されているマイプロジェクト事務局の場合は、「カタリバの伴走なしでも学校や地域が学びの土壌をつくれるか?」という問いを持ちながら判断しています。

でも総じて、とてもやり甲斐のある毎日を過ごしています。「入職してよかった」と感じるのは、同じような世界を目指す人たちと一緒に働ける環境です。バックグラウンドも価値観もバラバラですが、「子どもや地域のために」という気持ちで働いています。個人よりもチームの方ができることも増えてくるので、すごく刺激的だし、心地いいです。

ー現在所属しているマイプロジェクト事務局での業務についても教えてください。

現在は全国の高校生が自分の身の回りにある関心事をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実践を通して学んでいく「全国高校生マイプロジェクト」のスタッフとして企画から運営、サポートまで携わっています。

今後は、学校・地域・家庭それぞれの境界線を溶かして、共に助け合う社会をつくって行きたいですね。


(原文:田中 嘉人)


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