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ヘリオス・ティガ・ドラゴン、社交ダンスに行く

 人にそれぞれ氏名があるように、私の名前はヘリオス・ティガ・ドラゴンだった。
 母はヘリオス・ティガ・満。父はヘリオス・ティガ・三郎。私は女の子でも独立独歩していけるよう「ドラゴン」と名付けられた。
 そんな私は引っ越しの準備のため、荷造りをはじめていた。はじめるまでは、億劫だった気持ちも段ボールに荷物を詰めこむ中で小さくなっていった。
 ベランダに西日が差し始めたころ、私の荷造りもいよいよ終わりかける。
 最後は衣類に取りかかろう。5年も住めば、衣類の量もかさむ。転職先では、ほとんどスーツになるため、服の整理をしなければならない。萎んでいた面倒くさい気持ちが膨らむ。いつも、私は面倒くさいことを後回しにしてしまう。悪い癖だ。彼にもそう言われたっけ。
 もう5年も前なのに、忘れた頃に思い出してしまう。私は咄嗟に記憶をふり払うと、クローゼットを開いた。
「あっ」
 思わず声が出た。
 目に飛び込んだのはオレンジ色のドレスだった。今では少し若すぎると感じるそれは、真っ先に私の目に留まった。
 何年も見つからなかったのに。
 オレンジのドレスは、私の勝負服だった。これを着れば、彼とどこまでも行けるような気がした。
 彼──白虎の剣皇ダーク・サラマンダスは、勝負嫌いな私を変えてくれた人だった。

 五年前、彼に初めて会った感想は「最悪」だった。
 当時、私は職場から近いところに住みたいと思い、今の新高円寺のアパートに越してきた。それなりに人でにぎわっているけれど、渋谷ほどうるさすぎないのがちょうどいい。それが、新高円寺を選んだ理由だった。
 近くを散策しつつ、青梅街道を歩いていると昼時になっていた。私は味噌の匂いに釣られてラーメン屋の前に来た。
「そこ、やめた方がいいですよ」
 振り返ると、ランニングウェアの彼が立っていた。上下とも黒地に白のストライプが入っている。足元を見るとレギンスまで徹底しており、さながらシマウマのようだ。
「そこ、店長がめっちゃ喋りかけてきます」
「なんなんですか」
 彼は小首をかしげた。
「なんなんですかってなんなんですか」
「だって、普通、道で知らない人がラーメン屋入ろうとしてたら話しかけます?」
「いま話しかけてるじゃないですか」
 子供っぽい返しだ。それに、初めて入る店のネタバレをされたようで私は無性に腹が立ってきた。
「自分のTikTokのアカウント見せてきますよ!」
 うるさいうるさい。根も葉もないことばかり言ってきて。こっちはただ味噌ラーメンが食べられればいいんだ。彼の言葉を無視して、そのまま店に入った。

 次に会ったのは、駅前の社交ダンス教室だった。
「初めてでも全然大丈夫よ」
 レッスン初日、先生は私の緊張をほぐすように話しかけてくれた。だが私の目は一点に集中していた。
 板張りの室内で様々な年齢の男女が踊る中、シマシマの服の男が踊っていた。
 ラーメン屋のあの人だ。
 私の視線に気づいたのか、彼はステップを中断してこちらに手を振ってきた。
「あら、彼と知り合いなの?」と、先生。
「知り合いってほどじゃ......」
「あらそう? でもきっと何かの縁ね。あなた、剣くんとペアになるといいわ」
「ええっ」
「彼、小学生から社交ダンスをやってて、若くてもベテランなのよ」
 にっこり笑い、先生は彼を呼んだ。
「はじめまして、白虎 剣です」
 えっ、はじめまして? 私、覚えられてないの? 私の表情が固まる。
「あら、剣くん、知り合いじゃなかったかしら?」
「ごめんなさい、遠目で友達と勘違いしちゃって」
 剣が照れ笑いを浮かべる。
 少し吊り上がった目に、すうっと通った鼻筋。年齢は私と同じ20前後くらいだろう。改めて見ると、かなり好みの顔だった。
「でも丁度、僕もペアがいなかったから一緒にやりたいな」
「それはよかったわ」と剣の返事に満足したのか、先生は何度か頷いて他の生徒の指導に向かった。
 剣と私は2人きりになった。
「じゃあ、ストレッチからやろうか」
「は、はい......」
 変に意識してしまいどもってしまう。前屈で背中を押されているだけなのに、じんわり汗をかいていた。彼のストレッチを見様見真似でつづける。見れば見るほど、あの時の彼だった。ふと、剣がこちらを見る。目が合いかけすぐに逸らした。
「うーん、体固いですね」
「えっ、はは......」
 開脚する私の腕を引きながら剣は言った。
 あんなことがあったのになんで私しか覚えてないの。どきどきしてるこっちがバカみたい。またラーメン屋の一件を思い出して、怒りがふつふつと湧いてきた。
 結局、初日のレッスンは全然集中できずに終わった。
 私は着替えを済ませて教室を出た。外は陽が落ちて、帰り際の高校生たちが道を行く。
 歩道柵の前に剣が立っていた。格好はやはりシマシマの服だ。
 こちらに気づくと、駆け寄ってきた。
「今日はお疲れさまです」
「いえ、こちらこそ……」
「ところで、この前のラーメン屋、僕の言うとおりだったでしょう?」
 私は剣をじっと見た。どのくらい見ていただろう。
 しばらくして、彼が困ったような顔をつくる。
「......変なこと言いました?」
「だって、はじめましてってレッスンで言ったから」
 すると、剣はいたずらっぽい笑いを浮かべた。
「ちょっと揶揄ってみたくなったんです。あなたが忠告を無視して入店したお返しですよ」
「意地悪ですね」
 私は頭ひとつ高い剣の顔を見上げて睨む。
 本当に腹が立った。そっちがいきなり話しかけてきたくせに。
 それでも、顔を覚えていてくれたんだ。ぷつんと切れた縁が繋がったような気になり少し安心する。
 私の心は怒りと安堵でぐちゃぐちゃだった。
「それで、ラーメン屋はどうでした?」
 そんな気も知らずに、剣は変わらず質問してきた。
「……結局、2時間拘束されました」
「やっぱり!」
「ラーメン食べる前に、店長が「新作見てよ!」って言ってきたんです」
「もしかして、恋して1ヶ月……ってやつ?」
「それです!「曲に合わせて俺の顔が可愛くなってくのいいだろぉ?」って笑ってました」
「僕の時とおんなじだ!あと、千円ちょうだいのやつも見ました?」
 その後は、ずっとラーメン屋の店長の話で盛り上がった。たまに剣が敬語じゃなくなるのも、仲良くなったような気持ちになった。彼が笑顔になると、私もつられて笑った。
「あっ、もうこんな時間」
 剣が腕時計を見る。
 いつの間にか空は暗くなって、道ゆく人はサラリーマンに変わっていた。気づけば2時間近く、歩道柵の前で話していたのだ。
「すみません、長い間話しちゃって」
「いえ、こちらこそ」
 なんだか中学生の頃に戻った気分だ。こんなくだらない話で笑ったのっていつが最後だったろう。
「白虎さんは、お家どこなんですか」
「荻窪です。それから」
 私の頭に、彼の大きな手が乗った。顔が熱くなる。
「剣って読んでください。ペアなんですし」
「け、剣さん……」
 私の顔からは火が噴き出そうだった。名前で呼ぶだけなのに、心臓の鼓動が早くなる。
 その時、彼のスマホが鳴った。彼が背中を向け着信に出る。少し頷いてから通話を切り、振り返った顔は残念そうだった。
「大丈夫ですか?」
「すみません、妻が心配して電話をかけてきてて」
 私は言葉の意味が掴めないでいた。
 彼がすまなさそうに笑う顔も、「じゃあまた」と言うのも、私の身体に膜が張ったように上の空になってしまった。
 アパートまでずるずると体を引きずって帰る。
 ああ、奥さんがいるんだ。そうだよね。別に私と彼は何も始まってないもの。
 勝手に舞い上がってた私がバカだった。
 分かっているのに、胸に空いた穴へ冷たい風が吹き込んだ。

 次のレッスン日。
「スロー、スロー、クイック、クイック」
「スロー、スロー、クイック、クイック」
 私と剣は互いに声をかけながらステップを踏む。
 習っているのはブルースというダンスだった。リズムがゆっくりで、踊る姿勢や踏み出す足の位置など基本を覚えるには最適なのだそうだ。
 私は剣の動きに従って、足を運ぶ。初めは彼の足を何度も踏みそうになったけれど、リードしてくれたお陰で20分もすれば、基本のステップは完璧になった。
「すごいわ。こんなに早く覚えられる子、なかなかいないわよ」
 練習を見て、先生は微笑んだ。
 私は先生に会釈する。覚える速度が速いのも無理はなかった。前のレッスンのような浮ついた気持ちは無くなっていたからだ。
 剣に奥さんがいる。その言葉があの後から心に突き刺さっていた。だから、私はひび割れた気持ちから逃げるように、社交ダンスへのめりこんでいった。
「この後、夕食でもどうですか」
 レッスンが終わり、外へ出ると、彼はまた同じ場所で待っていた。屈託のない笑顔だった。
「今日はカレーあるから……」
 曖昧に笑い、私は早歩きで帰った。後ろから剣の声が聞こえたが、振り向かなかった。

 それから、レッスンを始めてひと月が経った。私の社交ダンスの腕はぐんぐんと伸び、中級の練習に参加できるまでになっていた。
 いつものように、教室に入ると、張り紙が増えているのに気がついた。
「プロアマ競技会?」
 紙面の文字をそのまま口に出す。
「そう。プロダンサーと、アマチュアダンサーが組んで踊るの」
 ちょうど教室に入った先生が答える。
「普通なら教師と生徒でカップルを組むのだけれど、この大会はプロとアマ同士なら誰でも出れるのよ。……あなたも出てみたら? 剣くんはプロだし、あなたも飲み込みが早い。今から練習したら、かなり上に行くんじゃないかしら」
「そんな……私なんてまだまだ」
「謙遜しちゃって。剣くんもあなたの腕前を褒めてるのよ。腕試しに考えておいて」
 考えておいてって……、私はレッスンの準備をする先生を見ながら考える。
 社交ダンスの競技会に出る。それはダンスで勝負をするということ。きっと、剣の腕前があればそれなりに勝ち進めるだろう。
 そうわかっていても、競技会に出るのは怖かった。
 私は昔から勝負事が嫌いだった。
 それは負けるからではなく私が勝負に出ると、決まって誰かが怪我をしたからだ。
 初めは小学校の運動会のかけっこだった。駆け出す直前に号砲が鳴ると、私の両隣の子たちが泣き出した。二人とも腕に火傷を負っていた。
 中学生の時もだ。クラスマッチに出ると、私の対戦相手が火傷を負った。クラスメイトは、陰で私が勝つために細工をしていると噂した。
 その後、高校生になり大学受験を迎えると、会場の何人かが決まって途中退出した。後で大学のホームページを見ると、「アレルギー発症者の再受験」というタイトルで途中退出者への措置がとられていた。
 両親や周りは私のせいじゃないと言ってくれたが、自分を責める気持ちは拭えなかった。私が傷つけた。私のせいだ。でも次は違うかもしれない。剣となら……。
 私は甘ったるい考えを振り払う。
「プロアマ競技会って知ってますか?」
「えっ……?」
「俺、あなたと一緒に出たいんです」
「でも、私……へたくそですよ?」
「そんなことない。どんな形だっていい。観客がいる中、輝くドレスを着て踊るあなたを見たいんです」
 剣は私の目を見つめてそう言った。いつものような揶揄う気持ちのない表情だった。胸がぎゅっと苦しくなる。ずるい。凛とした眼差しで言われてしまえば、私は断ることなんてできないのに。
 私はゆっくりと頷く。
 どんな形だっていい。その言葉の気持ちを前に進ませた。

 それから3ヶ月間、私たちは練習に励んだ。普段の練習のあとに貸しスタジオを借りてステップを踏む毎日だった。練習の日数を増やして筋肉痛がとれなかった。それでも、最初はぎこちなかったワルツやジルバの足型も剣の助けを借りて習得していった。
 そして大会前日を迎えた。
「いよいよ、明日ですね」
「でも、奥さんにはいいんですか……?」
「社交ダンスについては僕から話していますから大丈夫ですよ」
 私たちは高円寺のラーメン屋にいた。はじめて出会ったこの場所で決起会をやろうと剣が言ってくれたのだった。
 この日も剣は黒と白のストライプのシャツ、黒のパンツに白のソックスを合わせ、黒いプレートゥで全身をシマシマにしていた。
「明日もシマシマなのかな」
 私は剣に問いかける。
「それは明日のお楽しみに」
 いたずらっぽく笑ういつもの剣の笑顔。見るだけで私の顔は綻んでしまう。でも、気持ちは少しだけ冷たさを感じてしまう。それが何かは分からなかった。

 会場は舞浜のリゾートホテルだった。広いダンスフロアの脇にはドレスアップした観客が大勢ひしめいていた。照明は少しだけ青みがかっており、燕尾服やドレスの参加者が照らし出される。優雅な雰囲気と対戦の熱が入り混じり、私は緊張した。
「大丈夫?」
 剣が問いかける。私は彼を見て安心する。燕尾服はやはり白と黒のツートーンで服のパーツごとに色分けされ、白黒のモザイクのような模様をしている。人を選ぶデザインであっても剣にはとても似合っていた。さらに整髪料であげた髪が彼の魅力を高めていた。普段は髪をおろしているので気づかなかったけれど、眉がきりっとしていて頼りがいがあった。
「似合ってるよ」
 私は一言だけ言った。
「やっぱり思った通りだ。あなたにはドレスがいちばん似合う」
 私はオレンジのドレスを着ていた。丈はくるぶしまでで、胸には金の刺繍が施されている。背中はいつも着るシャツとは違い肌の露出が多く、少しだけスースーした。
「ありがとう」
 私は剣と手を握る。呼吸を整えてアイコンタクトをとる。大丈夫。私たちならいける。この場で私たちが一番できる、と暗示する。
 ステップを踏み出した瞬間だった。
 耳をつんざくような爆音。目の前が太陽を見たように明るくなり、突風が吹き荒れた。目の前が赤色に染まる。風にあおられた塵は周りが焦げたドレスの切れ端だった。
 人が燃えていた。会場の席についたまま性別関係なく燃えていた。煌びやかなドレスも、燕尾服もそうなるのが当然だと言わんばかりに発火していた。燃焼で呼吸ができず倒れる人もいれば、耐え凌いでステップを踏み出そうとする人もいた。
 受験、かけっこ、これまでの記憶がフラッシュバックする。私が競技会を勝負の場だと思ったからだった。剣に出会った私が一番踊れると自信を持ったのが火傷以上のカタストロフを生み出していた。
 おぞましく感じるべきなのだろう。この出来事に罪悪感を持つべきなのだろう。けれど、私には一切感じられなかった。ただ、踊りたかった。この瞬間、このひとときをステップとターンで満たしたかった。
 私は剣をちらりと見る。彼にもそう思っていてほしかった。わがままだけれど、この場所でだけでは私のものでいてほしかった。
 彼の姿はなかった。火だるまの人たちを押しのけて会場を出ようとしていた。
 どんな形でもいいよね。そう言ったのはあなただもの。
 私はワルツを踊り続ける。靴が床を鳴らすたび、火の柱があがった。ターンをするたびに真っ赤な渦が参加者を飲み込んだ。照明が溶け、床が黒く炭化しても踊り続けた。
 視界の端に、黒と白の布の切れ端が舞う。私はふと思った。ラーメン屋で感じた冷たい気持ちは、彼の笑顔が永遠に私には掴み取れないと感じたからだった。それも全てが燃えてしまえばもはや関係なかった。
 音楽はとうに聞こえなかった。炎上するホテルのなか、私はパートナーのいないワルツを続けた。

 結局、その大会では参加者は私だけが残り、優勝扱いとなった。後日、トイレ休憩で生き残った審査員からトロフィを授与された。その後も私は大会に出続けた。
 このオレンジのドレスを見ると否応なくあの頃を思い出す。どんな形でもいい。そう言ってくれたから私は私を受け入れられた。
 剣はもういない。けれど、このドレスと積み重なったトロフィを見ると彼の姿を幻視してしまう。
 私は少しだけ迷って、ドレスを段ボール箱に詰めた。

 ヘリオス・ティガ・ドラゴン
 〈コスト〉7
 〈種族〉アーマード・ドラゴン
 〈パワー〉7000
 ■Wブレイカー
 ■ バトルゾーンに出た時、相手のパワー2000以下のクリーチャーをすべて破壊する。自分の<<白虎の剣皇ダーク・サラマンダス>>があれば、パワー2000以下ではなく相手のパワー6000以下のクリーチャーをすべて破壊する。

【了】

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