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私の「WILL」はビジネスには存在しない。 私を突き動かしていたのは、与えられた機会と宝だった。

こんにちは、カタカナと申します。

仕事をしていると、よく聞かれます。「あなたは何がしたいの?」「あなたのWILLは何なの?
私は、毎度、考えます。何がしたいか。深く、どれだけ深く考えても、私は、いつもたった一つの答えしか出てこないのです。

この問いに、あなたなら、どう答えますか?

実は今回綴っているのは、気づきたてほやほやのトピックスで、あまりまとまっていない記事になると思います。まだ、私の中でも適切な言葉になっていないところも多いのです。けれど、心に渦巻いて仕方がない、どうしても宥められない心の声を、ここに記させてください。


1. 私にビジネスで語れる「WILL」なんてない


「あなたは弊社で何を実現したいですか?」「あなたはなにがしたいですか?」
ビジネスシーンでよく聞かれる質問です。私は、面談や転職活動では、毎度それらしいことを言って、それを「私のやりたいこと」として掲げて、これまで走ってきました。しかし、「私のWILLってどこにあるんだ?」という、問いに、私は長年、答えを見つけられていなかったのです。

企業の理念に共感した。だからその理念の実現が、私のやりたいこと? それとも、成長をしたい? 人の役に立って「ありがとう」と言われたい? 世の中をこう変えてやる、こうあるべき、という提言をするほどの、何か強い想いを持っている?

答えは全て「NO」でした。7年間、社会人をやってきて、仕事をしている中で、WILLがエンジンとなったことなど、恐らく一度もありませんでした。
なぜなら、私の中に宿る「WILL」とは、一般的に言われる「意志」などのような、不可能を可能にするとか、0から何かを作り上げるとか、そんな強いものではないからです。

私のWILLは、言ってしまえば「願望」に近いものです。

願望とは、願いであり、望みです。祈りに近いものだとも思います。叶うかわからないけれど、焦がれるものです。日常生活を生きていると、そんな叶うかわからない願い、望みが実現する瞬間に出会うこともあります。私の親友が奇跡的に生還したように、魔法のようなことは起こります。

けれど、仕事に魔法はありません。少なくとも、私の知るビジネスの世界には、存在していません。そんな確実性の低いものに、投資をすることなどないからです。

だから、仕事の中で私は「なにがしたい?」「あなたのWILLは?」と問われても、答えられないのです。本音を答えたとしても、「線の細い」、到底、皆様が「WILL」と呼ぶにはあまりにも夢物語のような、ふわふわした答えしか出せません。私のWILLは――願望は、仕事には、存在していませんでした。

2. 私を突き動かしていたのは「MUST」と「CAN」でしかなかった

では仕事をする上で、私にとってエンジンになっていたのは、何だったかと言うと、恐らく「CAN」と「MUST」の2つです。それだけ聞くとなんだか、やらなければならないことだけを、自分のできる範囲で狭くやっているように聞こえてしまうかもしれませんが、私はこの2つに対して、とても強い誇りを持っていました。

例えば、MUSTとは、為すべきこと。それが私にとってCAN、為せることであれば、やる以外の選択肢はありません。そのためなら努力を努力と思わずに行動できます。為すべきことと、為せることの間にギャップがあったら、それを埋めに行き、結果的に成長をします。
だから私が為せること、為すべきことをすることが、私が精一杯、仕事で提供できることです。その2つが掛け合わさった時、私は最高のパフォーマンスを発揮していたと思います。

例えばある時、私は会社の業績を大きく左右する、5-6社が参加するコンペのメンバーにアサインされました。メンバーのうち、4人はマネジャーとクリエイティブのベテラン。そこに、新卒2年目のペーペーの私、という5人の布陣です。
その時、私にのしかかったMUSTは半端なく重かったです。同時に、私は私にか発揮できないCANも感じていました。何故ならそのコンペを開催する企業は、私が1年目の時に担当をしていた企業で、当時のメンバーは皆、退職をしていて、唯一、私しかその企業のことを知らなかったからです。

私はその企業のことを知っている、語れる、そしてコンペには絶対に勝たなければならない。CANとMUSTが重なり、私はがむしゃらにプランを練り、提案書を作りました。受注してからも、制作スケジュールがとてもハードで、徹夜もしょっちゅうでした。制作進行中にクレームを受け、何度も頭を下げながら、私は決してその企業の担当としてフロントから逃げることはありませんでした。

別に、そこに「WILL」はありませんでした。その仕事に対して、特に何も望んでいませんでした。本音を言えば、早くこの仕事が終わればいいのに、という願いしかありませんでした。
しかし、自分に為せることがあり、それを為すべき時が来たとき、自分の力を発揮しないのは、私に「CAN」を与えてくれた人や、機会に対してあまりにも不義理です。そして私は必ず、いつかそのことに後悔をする。私にはそんな信念がありました。だから、私は全力を注いで仕事をし、結果を出しました。

3. 私の手のひらは宝物に溢れていた


上記のような動機を、ノブレス・オブリージュ、と称すのはあまりにも傲慢かもしれません。

しかし、私は目一杯、愛されて育ったと思います。親からも、上司からも、仲間からも、友人からも、恋人からも、ふとすれ違うだけの知人からも、多くの機会と宝に、私は恵まれました。
それが例え、自分が欲しくて手に入れたものではなかったとしても、欲しくても手に入らなかった人も多くいるものを、私は持っていました。多くの宝物のような「CAN」、「為せること」が、私の手のひらの上にありました。

だから、先ほども記したとおり、与えてもらったものを必要とされる時に提供することはあたりまえのことであり、CANを与えてくれた機会や、人への恩返しでした。そして、生きるためにどうしても必要で手に入れたもの(例えば「英語」や「海外経験」など)に意味を与える、昇華でもあったのだと思います。
仕事で後悔をしないためにはどうすればいいかと問われたら、「為せることを、為すべき時に行うこと」と、私は答えます。

WILLのない仕事なんて甘っちょろい。と思う人もおられると思います。CANとMUSTだけなど言語道断という人も。私も、強いWILLを持った人であれればと願った時もあります。けれどこれが私です。そう諦め、そしてそんな私を、私は嫌いではないのです


さて、最初の問いに戻ります。
あなたは何がしたいの?」「あなたのWILLは何なの?

私のそれは残念ながら、ビジネスには存在しません
私のWILL、願い・望み・祈りは、ただ私の大切な人が、愛する人が、幸せでいること。そのためなら私は、私の全てを捧げても構わないとすら思います。
それ以上に願うものなど、ありません。

それに気が付かせてくれた、多くの人からの問い、支え、励まし、叱咤への感謝を込めて、荒いながらも、noteに記させていただきました。

また宝物が増えてしまいました。いつか、お返しできればと思います。

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