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そんな大人にいったいいつなれるんだろう。

某駅前で辻立ちをしていたら、白髪のご婦人が少し離れたところで何やらゴソゴソしていて、そしてツツツと近づいてきて、白い紙に包んだものを偈箱に入れてくださった。


おお、恐れ入ります。


一礼すると、


私はお箏を弾いてたのよ、尺八の音が懐かしくて、綺麗な音ね。なんて話しかけてくださった。


良かった。お箏を弾く方にちゃんと尺八の音だと分かっていただいて。


と安心した。


家に帰り、その白い紙を見てみると、紙幣が包んである和紙の端に、赤い色がつけてある。

そうか、こうすればいいんだ。

ただこれだけのことなのに、この高級感というか、大人対応というか、何なんだろう。


私は感動してしまった。


こんなことが出来る大人になりたい...。


残念ながら、私は300%以上、大人だ。


江戸時代ならとっくに終活している年齢。


ヤバい。


いつまで「こんな大人になりたい」なんて言っているんだ。。。


では、


こんな余裕なことがでできる大人ってなんだ。

もちろん知識と経験だ。

私にはそれがあるのか無いのか分からない。


あとは何だ。


あとは金銭面の余裕でしかない。



もっとヤバい…。




「こんな大人」で思い出すのは、高校生の頃出会った陽子さんのことだ。


私は高校生の頃、近所のショッパーズ越路というスーパーでバイトをしていた。

家族経営ではあるが、それほど小さくも無く、肉屋さん、魚屋さんは違う業者が入っていたりする中規模なスーパーだった。

私はそこで、レジとか品出しとか、その他総菜のパック詰めをしたり、野菜の袋詰めをしたりしていた。

そのレジ担当に陽子さんという女性がいた。年の頃、30〜40歳であっただろうか。

何しろ高校生であったから、とても年上には感じた。

彼女は目立っていた。

スーパーで働く女性ならその頃は私服なので、Tシャツにエプロンといった出で立ちであったが、陽子さんは違った。

前に大きなリボンのついた白いブラウスに、短めのタイトスカート。どちらかというとオフィスで働く女性のような格好であった。

その上、化粧が濃くいつも真っ赤な口紅をさしていた。そして言葉遣いもバカ丁寧で、雑巾に「お」をつけて話すような人だった。

私はそんな陽子さんが好きだったが、やはり回りの人はからかい気味であったし、陽子さん自身もスーパーのレジをしている自分には納得いかないようでこの仕事を軽蔑していた。

彼女はこんな仕事、はやく辞めたいとひそかにワープロの教室に通っていると私に教えてくれた。

1年ほどでそのバイトは辞めてしまったので、その後どうなったかは知らずにいた。


そして数年後、


名古屋に一人で遊びに行った時の事である。

当時私は20代前半。


名古屋のパルコかどこかのエスカレーターに乗っていたら、前に立つ女性、どこかで見たことあるような...。


陽子さん!


声をかけたら、彼女は私のことを覚えていてくれた。

あら〜、久しぶりじゃないのぉ、お元気?

そしてお茶を飲みましょうと誘ってくれた。

どこへ連れてってくれるのかと思ったら、何やら高級ホテルのラウンジへ。

絨毯がふかふかしている。


わたくしはコーヒー飲むけど、あなたは?グレープフルーツジュースでいい?


なんて相変わらずな陽子さん。

今は、名古屋のとある会社の事務職に転職して、その会社の人ともとても仲良く楽しく仕事をしているとのこと。


そして気前よく奢ってくれた。

なんだかすみません、なんて小さくなっていたら彼女は、

いいのよぉ!あなたも大人になったらこういうホテルで誰かに奢ってあげなさいな。おほほほほ。


なんて言われたのであった。


漠然と、そんなこと、いつかできるのかなぁと思っていた。

陽子さんだけでなく、他の年上の女性にも同じようなことを言われたことがある。



あれから、数十年。

私は一体誰かに奢れるくらいになったのだろうか。


すっかりいい大人ではあるが、


ヤバい…。できてない。

乞食芸能者として辻立ちしているなんて。

陽子さんもびっくりだろう。


言い訳というわけではないが、中国の古典でこんな言葉がある。


富在知足

『説苑』

『中国古典 一日一言』守屋洋 著


富は足るを知るに在り


意味は、

富というのは、本人が満足したところにある。
ということ。



なるほど。


じゃ、本人が満足しているならそれでいいか。


...いや、他人に奢れるくらいにはなりたい。

なりたいぞ。



本音と本音の葛藤である。

一生続きそうだ。




陽子さん、元気かなぁ。

古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇