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二十六夜山と月待ち信仰🌙


東京都稲城市にある京王線稲城駅近くの小さな山の上に、妙見尊と妙見寺がある。

妙見尊(妙見菩薩)が青竜に乗り降り立ったのがこの地だそうな。北辰妙見尊の北辰とは北極星の事で北極星を仏格した神様のこと。


1662年以来、青カヤで数十メートルの竜を作ってお参りしているのだそう。二十三夜塔の下にそのカヤの竜がある。



二十三夜塔とは、月待ち信仰のひとつ。


二十三夜は下弦の月で夜中の12時くらいが月の出。それを待つ人々が集まる行事で昭和初期頃まで行われていた。



そう言えば、そんなような名前の山があったな、と思い地図を広げてみたら、二十三夜山ではなく、二十六夜山だった。

山梨県の都留つると、上野原市に二十六夜山がある。
ネット情報によると、全国に三つの二十六夜山があり、三つのうちの二つが山梨県。あと一つは静岡県の南伊豆にある。

さらに二十三夜山は存在しないようだ。


二十六夜待は、正月あるいは二十六日の夜などに月の出を待ち、精進供養をし、月が昇ればこれを拝し、共同飲食などをする行事をいう。月待ち講ともいい、講とは、地域社会をおもな母体として、信仰、経済、職業上の目的を達成するために結ばれた集団。その構成員を講中という。その講中で造立した塔を二十六夜塔という。


どんな月の形かと言えば、三日月の逆の形だ。


月の出は1時から3時。



月見を待とうと思ったらかなりの夜更かし。



二十六夜塔の本尊は愛染明王なので、この明王を守り本尊とする染物業者の仲間でも二十六夜待ちをしたり、二十六夜塔を建てているそうだ。農家も多かったが、かつて江戸の街でも極めて盛んに行われた。
この月の夜は弥陀三尊が来迎するのでこれを拝すると後生が良いとも言う。



その二十六夜山に早速行ってみた。



富士急行赤坂駅下車。


朝の月が見えている。
この日の月は十六夜。



赤坂駅から見える富士山はこんな感じ。





道中、山の麓に打ち捨てられたかのような石仏たち。
ちょっと悲しい。




二十六夜山は標高1297m。けっこう高い。



麓から頂上まで2~3時間かかるので夜の10時くらいから登り始めないと。
しかも、昔はヘッドランプも無いし、提灯の灯で登ったのだろうか。
けっこう危ない。



かなりの篤い信仰心だ。


凍ってます。




ゴルフ場の横を行く。



あまり踏まれていないコースのようで落葉のラッセル。



松林からみる富士山。



鹿の寝床発見。




着きました。


二十六夜塔!



東の空を背に立っている。
この塔の前で月の出を待ってたのかな。


西の方には、



おお!
富士山!


よく見え過ぎるくらい良く見える。


さんざん富士を眺めながら昼食を取り下山。



下りは別コース。




岩の間から、こんこんと湧く仙人水。
昔、月見に登った人もここで一息したろうか。




岩の上に祠。
山の神かな。




一体昔の人はどうやって月を拝したのか、飲食を共にしたって一体何を食べたのか気になった。




検索して見ると、二十六夜とつく本は沢山ある。

宮沢賢治、円地文子、泉鏡花、平山盧江などなど。



まずは、
中山太郎 著『日本民俗学  隨筆篇』によると、栃木県の下野足利辺りでは、毎月二十六夜待ちをしたとのこと。

夜業を終えてから、団子をあつらえたり、芋を似たりして、騒いでいるうちに夜の2時頃になって月が出る。その月に、団子や芋を供え、それを食べながら埒もない話などをして寝る。誠に平凡なものである。(中略)『紫の一本ひともと』(戸田茂睡による江戸時代前期の仮名草子)には、田安門の外に、市民が集り、月待ちをしたとあるから、後世のそれのように、飲む、食う、歌うのが、目的ではなく、全くの信仰から来ていることの知られる。

中山太郎 著『日本民俗学  隨筆篇』
国立国会図書館所蔵


とある。
芋や団子を食べたのだ。普通の十五夜のお月見と一緒なんだな。



そして、

私等の故郷の風習から推すと、月待ちは男女交懽(交流)が、その主なる目的であったらしい。


なるほど。
やはり、お見合いや逢瀬の場でもあったよう。


そして、柴田流星 著『残されたる江戸』。

柴田流星 著『残されたる江戸』
国立国会図書館所蔵



こちらは江戸の話。

「見ず知らずの男と女が肩を連つらねて語りつつ行くもをかし。」

とあり、何だかいいですね。

明治の頃には二十六夜待ちは江戸趣味と言われていたのか。




最後に、永井荷風 著『日和下駄ひよりげた』副題: 一名 東京散策記。



晩年、荷風が背広に下駄で東京を散策している状況が書かれた日記の中に、二十六夜待が一言書かれている。


「芝浦の月見も高輪の二十六夜待も既になき世の語草である。」

この頃には、もう語り草となってしまったのか。



その日記の中に風習にまつわる象徴的な文章があったので、ここに写しておこう。

当世人の趣味は大抵日比谷公園の老樹に電気燈を点じて奇麗奇麗と叫ぶ類のもので、清夜せいやに月光を賞し、春風に梅花を愛するが如く、風土固有の自然美を敬愛する風雅の習慣今は全く地を払ってしまった。されば東京の都市に夕日が射さそうが射すまいが、富士の山が見えようが見えまいがそんな事に頓着するものは一人もない。もしわれらの如き文学者にしてかくの如き事を口にせば文壇はこぞって気障きざ宗匠そうしょうか何ぞのように手厳てひど擯斥ひんせきするにちがいない。しかしつらつら思えば伊太利亜ミラノの都はアルプの山影あって更に美しく、ナポリの都はヴェズウブ火山のけむりあるがために一際ひときわ旅するものの心に記憶されるのではないか。東京の東京らしきは富士を望み得る所にある。われらはいたずらに議員選挙に奔走する事を以てのみ国民の義務とは思わない。われらの意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、国語の純化洗練に力つとむる事を以て第一の義務なりと考うるのである。今や東京市の風景全く破壊せられんとしつつあるの時、われらは世人のこの首都と富嶽との関係を軽視せざらん事をいねごうて止やまない。



イルミネーションね。


私も街中の街路樹にあのゴテゴテとやたら巻き付けられた電飾には辟易している。醜悪そのものだと思っている。



夜の空には燦然と輝く月や星があるというのに。

特にLEDは明るすぎて刺激が強すぎる。



知人の植木屋に聞いたところ、植物の成長にも電飾は悪影響らしい。人間で例えると肌がただれるとか、骨に異常ができるとかそう言ったところだ。
なぜ、そっとしておかないのか。




東京の富士山もしかり。広重の浮世絵の富士山の見える景色などもう跡形もなくまるでもう別の国。



昔、荻窪の商業施設の早朝バイトをしていた時のこと。
遊園地になっている屋上から富士山が見えるわよと教えてもらい、屋上8階から西の方を見てみると、大きな四角い給水塔だか何だか分からないものがドンっとあり、その隙間からようやく富士山が見れたのだ。
だだっ広い屋上の周りに邪魔するものもなくちょうど富士山の見える場所をわざわざ塞いでしまっているということは、景色というものはもう存在しないということだ。永井荷風の言うように富士の山が見えようが見えまいがそんな事に頓着するものは一人もいないのだ。



ただ、現在はすっかり改装されていて、西の空は展望台のように富士山が見れるようになっている。

そりゃそうでしょうよ。




話は変わり、
ちょうど東日本大震災の原発事故の頃、私はゲンパツ大反対の立場だが、じゃあ今の生活水準を江戸時代に戻せるのか?と議論をふっかけてくる知人がいた。



戻せばいい。




最近の政治家のポスターにはやたらと「前へ」「未来へ」と書かれている。

もう進まない方が良い。
どんどん破滅の方へ進んでいる。



月や火星に行くことも馬鹿げている。その労力と金と時間があるなら、地球の自然の美しさを取り戻すことに尽力したらどうか。



イルミネーションといい発想が子供じみているのだ。
いい大人がキラキラ光る電飾を見て喜んでいてどうかと思う。



そんなことより月や星や自然の明かりを眺めたらどうか。蛍の明かりの方がよっぽど美しい。その環境を取り戻すことに努力すべきだ。



まったく。



と、


1月の二十六夜の月の出を頑張って見ようと超早起きしたら、曇りだった。




昔の人は曇りの時、どう過ごしていたんだろう。



参考文献
庚申懇話会編『日本石仏事典』

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