面白い人が好き♡
屋台で買う焼きそばは、焼きそばである。ペヤングもまた、焼きそばである。しかし、ペヤングが食べたい時はペヤングが食べたいのであって、屋台で買う本格的なソース焼きそばが食べたいわけではないのではないか。そして逆も然りなのではないか。このように、世の中には一応同じようなくくりにはなっているものの、本質は違うものがたくさんあると思う。
「面白い人が好き」
これを言う女はマジで多い。もはや女全員が言うんではないかと思うレベルである。これに対して、男の反応は冷ややかだ。「実際は顔だけど、そうと言うとイメージが下がるから、面白い人が好きだと言っているだけだ」こんな卑屈な文句を言う男もまたマジで多い。しかし、俺は思うのだ。男女の間に認識の違いがあるのではないかと。
まず、女が面白い人が好きだと言うのは嘘ではないだろう。面白い人かつまらない人だったら、面白い人がいいに決まってる。それは男だって同じだ。しかし、男女に間に「面白い人」の認識の差があるからこの話はこじれるのではないだろうか。女の言う「面白い人」は、男の思う「楽しい人」だと思った方がいい。そうしていくことでかなり辻褄が合う。つまり女の言う「面白い人が好き」を、バカな男にもわかるように翻訳すると「一緒にいて楽しい人が好き」ということになる。この一緒にいて楽しい人は、必ずしも面白くある必要はない。
思わず笑ってしまうようなことを「面白い」とするなら、気分が上がるようなことを「楽しい」と言う。
この場合において、女は楽しいも面白いも、同じように「面白い」としている。男はそれを言葉の通りとらえ、そこに「楽しい」を含まない。この差である。しかし、「面白い」にしろ「楽しい」にしろ、対局に位置するのが「つまらない」であるから、この問題はさらにややこしくなり、本質に気付きづらくなっている。まあ、少なくとも女は嘘などついていないということだ。
ここからさらに俺個人の独断と偏見が強くなるが、「面白い」と「楽しい」が一人の人間の内に高い水準で共存することは極めて稀ではないかと思う。絶対ではないが、面白い人間は楽しい人間になり得なく、また楽しい人間は面白い人間にはなり得ない。学生時代を思い返してほしい。クラスの中で発言力があり、ふざけて笑いを取り、クラス一面白いとされていた人間がいたと思う。そういう人間は面白いわけではなく、実は楽しい人間なのではないだろうか。
一方面白い人間はイケてないことが多い。その抑圧された内面に独自の感性や切り口があったりするが、イケてないものだから、その面白味が日の目を見ることは少ない。なので数人の男友達と、変わり者の女一人くらいからは熱烈な支持を受ける。ならばその変わり者の女一人くらいはそのイケてない面白いやつを好きになるのではないかと思うかもしれないが、それとこれとは別の話であり、自然な好意は受けるだろうが、恋愛となると話は別だ。
楽しい人間がモテるのは、人を楽しませることができ、また自分も楽しむための努力に余念がないからだ。そのための提案、選択をできる。だから一緒に行動していて楽だし退屈しない。楽しい人間はいい意味で行動に対してあれこれ深く考えない。楽しそうなものには条件反射的にノッていく。だから友達の友達が来るような場所にも平気で行ける。その結果楽しい人の輪が広がり、相乗効果的に楽しいことは増えていく。よって楽しい人はどんどん楽しい人になっていく。いろいろな所にうじうじせず顔を出せるものだから、恋愛における出会いの母数も圧倒的に増えるのだ。
対してイケてないやつは考えすぎる。考えすぎると、ブレーキがかかる。友達の友達が来るバーベキューなんて絶対行けない。ディズニーランドひとつ行くにしても「あの明るい雰囲気に馴染めないのではないか」などと考える。結果、自分はディズニーランドにふさわしくないという結論に至る。イケてない人間は楽しいことを避ける傾向にあるのだ。楽しい場所やイベントを享受し、手放しで楽しむということができないからだ。そんな人間が楽しむことができるのは自分一人で完結する趣味か、義務が生じた場合のみである。特に後者の義務の場合というのが、恋愛において重要である。
例えば、女に誕生日を盛大に祝ってもらったとする。すると借りが発生する。それから女がディズニーランドに行きたいと何度も言うとする。そうなると、借りを返す義務が発生する。そしてその女の誕生日にディズニーランドに連れて行かなくてはならなくなる。「俺は行きたいわけじゃないけど、こいつにはいろいろやってもらってるし、仕方ねえよ」という具合に言い訳を作る。その義務という名の言い訳が、心に安らぎをもたらし、仕方なしなら楽しいことができるようになり、楽しむこともできるのだ。イケてないやつというのはとことん気持ち悪く、そしてとことんめんどくさい。そんな人間がモテるはずがない。そしてその絶妙に気持ち悪い受け身の姿勢と卑屈さというのは、多くの女が嫌悪するところなのだ。逆にその考えすぎが、面白味ともなりえるのだが。
イケてる人は「さあ、どうやって楽しむか!」からのスタートだ。楽しむということは確定事項なのだ。対してイケてない人は「自分などが楽しむことができるのか………」からのスタートと言えよう。これは物事を品定めしているのではなく、自分自身がその物事に対して分不相応でないかを考えているのだ。
ここまで書いてみて、俺が面白い人なのか楽しい人なのかは俺が判断することではないから置いとくとして、イケてるかイケてないかは想像に任せる。ただ慧眼な読者様ことである、どちらの描写の方が具体的かでわかってもらえると思う。一方は明らかに観察と想像で書かれていて、一方は体験談的だったと思う。
さて、最後に注意しておかなければならないことがある。今までの書き方だと、「イケてない人イコール面白い人」ということにとらえられかねないが、それは全く違う。「イケてる人イコール楽しい人」というのはほぼ間違いないだろうが、悲しいかな、「イケてない人イコール面白い」は必ずしも成立するとは限らない。むしろイケてない上に面白くないやつの方が多いのではないかと思われる。
まあ………でも………、なんて言うか………、これ言っちゃったら上に書いたこと全部無駄になっちゃうんだけど………面白いって容姿とかと一緒で主観だから………うん………明確な数値とかでもって基準が定められてるわけじゃないし………誰かには刺さるかもしれないからさ………うん………
まあ………
頑張ろうぜぇ〜い!!!!!
よっしゃあああ!!!!!!
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