【お題企画】noteでよかったこと・脳のバランス

この、noteでよかったこと、という公式のお題企画の説明を読むと、noteの投稿がきっかけで取材を受けたり、連載や書籍化のお仕事依頼が来たり、ニッチな趣味について語り合える仲間ができたり………などと書いてあるのだが、そんなことは一切ない。むしろこんな記事ばかり書いてて取材などされることがあれば、たぶんいじめである。ただ、よかったことはある。ありがたいことに公式にも体験エピソードならいいと書いてある。俺だってなんの勝算もなしにこの文章を書き始めたわけではないのだ。結論からいうと、俺がnoteでよかったと思うのは、脳のバランスが保たれることである。

俺は新型コロナウイルスの自粛期間中あたりにnoteを始めた。自粛をきっかけに始めたと言っても過言ではない。俺は自粛期間じゃなくても自粛してるような人間なのだが、さすがにこうも人に会えないことはなかった。いつもはそんなに人に会いたいとは思わないのに、自粛にはストレスが溜まった(性感マッサージにもめちゃくちゃ行きたくなった)。そんな時、高校の同級生にnoteをすすめられたのである。もともと文章を書くのは嫌いじゃなかったし、なんとなく始めてみた。それでなぜ自粛にストレスを感じていたのか気づいた。
自粛期間というのは家にいなければならない。そうなるとやることというのは限られてくる。本、漫画
、テレビ、ドラマ、アニメ、映画、ネットサーフィン………アクティブな趣味のない人はこれらに限られてくるのではないだろうか。俺もだいたいそんなもんだった。これらに共通するのは、全て受動的ということだ。これらは全て情報を脳に受信するような作業になってくる。一見それでもいいような気がするが、マジで外界と連絡せずに脳に情報だけを一方的に受信するのみというのは、地味にストレスになる。このストレスは耳元で羽虫が飛んでいるような、自分のそばにいるガキがずっと軽くスネを蹴ってくるような、そんな程度のものだが、これが意外とキツイ。逆に、どかんとでかいストレス一発の方が清々するまである。
沢木耕太郎著の「深夜特急」(著者の沢木耕太郎が一人で、インドのデリーからイギリスのロンドンまでを乗り合いバスのみで目指した経験を綴った紀行小説)の中で、手紙を書くことで内に向かう精神のバランスを整える、みたいな一文があったように思う(この本は持ってるので、調べればもっとちゃんと書けるのだが、なんせ今一階でこの文章を書いていて、深夜特急があるのは二階なので階段がダルい)。一人で外国を旅すると、これも不思議と受信ばかりになる。引きこもりならぬ、出こもり、のような状況になってくる。言葉が通じる人も、心安い人もいないので、言葉を発信することが満足にできないのだ。俺も俺で外国を一人旅した時は日記のようなものをつけていたので、深夜特急のその一文を読んで妙に納得した記憶がある。
通常時であれば、たまに友人などと飲みにでも行った時に考えてることは話せる。ただ自粛期間となるとそうはいかない。部屋の中で脳に受信したものは溜まっていく一方で、発信ができない。これはやはりストレスになる。人間というのは、受信と発信のバランスが偏り過ぎることがストレスになるのだ。だからnoteはよかった。どんなウンコみたいな記事でも、発信できれば俺のストレスはやわらぐ。受信と発信のバランスが保たれる。俺の脳髄はニュートラルに戻る。これは俺の精神衛生上かなりよろしい。

緊急事態宣言は解除されたとはいえ、まだ自由に出かけられるわけではない(白状しよう! 緊急事態宣言明けたくらいにすぐ性感マッサージには行ったが、マジで一回だけである!)。なのでまだnoteのお世話にはなりそうだし、俺はそれじゃなくても万年自粛人間なので、これからもよろしくね! ズッ友だョ!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?