おそろしい習慣

俺が思うに、人間の日常生活の大部分は習慣によって構成されている。とりわけ俺みたいに夢も希望もなく生きている人間は、もう習慣で生きているようなものである。昨日も生きてたから今日も生きてるみたいな感じで毎日を過ごしている。ママンの股から飛び出た勢いが人生のピークであり、現在の俺なんてのはその予熱で過ごしている。もう習慣で生きているというか、習慣に生かされている。
さて、習慣というのは、向上心を持って勉強なり善行なりを習慣化させることができるなら、これは素晴らしいことだ。そういう、いわゆる陽サイドの人達は習慣を飼いならしていると言っていいだろう。だが俺は違う。習慣化とは諸刃の剣であり、習慣に引きずられているような人間にはおそろしいものなのだ。

俺は家にいる時、よく歌を口ずさんでいる。飯の支度をする時なんていつも口ずさんでいるので、俺が若妻だったらそりゃもう可愛らしいことだろう。これも習慣である。このままなら別に毒にも薬にもならない瑣末事だが、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言、それによる自粛期間が俺を狂わせた。俺は世界人類の平和のために不要不急の外出を控え、マジで家から出なかった。家から出ないとなると、いついかなる時でさえ歌を口ずさめるということになる。俺は浜田省吾を歌いまくっていたことだろう。歌いまくっていたことだろう、というのはもはや習慣になっているものだから、どれくらい口ずさんでいたかさえ、当の俺にも正確にはわからんのだ。とにかくクソ真面目にステイホームをしていたわけだ。そうなってくると、判定がバカになってくる。判定というのは、家と外の判定である。自粛以前の俺は外出することこそ少なかったが、さすがに外では歌を口ずさまなかった。しかし、自粛期間中にほとんど一日中好きな時に歌を口ずさんでいたので、俺は家と外の判定がガバガバになっていた。自粛期間の終わりぐらいに、さすがに食材の買い出しにスーパーに行った際、俺は歌の口ずさみ習慣化による破局をむかえた。買い物中のスーパーの店内で、俺は当たり前のように歌ってしまった。


ぼくは無精髭と 髪をのばして
学生集会へも 時々出かけた
就職が決まって 髪を切ってきた………


そのあたりで俺は気づいた。完全に“「いちご白書」をもう一度”を歌っていたのである、あろうことかスーパーの店内で。しかもこの部分は二番のAメロであるからして、俺は一番はすっかり気持ちよく歌いきっているわけだ。店に入って、カゴをとって、野菜コーナーを通って、二三野菜をカゴに入れて、鮮魚コーナーを通って、オリーブオイルを探しに陳列棚の方へ入っていって、そこらでやっとそこが我が家でないことに気づいたのだ。俺は顔面蒼白だった。いや、顔面蒼白なのは他の客の方だったかもしれない。店内には、地下鉄に気違いが乗ってきたような重苦しい空気が流れていたに違いない。店内で人目もはばからずに歌ってる成人男性がいるのだから。………つーか、なぜバンバン? なぜ荒井由実? まったく世代じゃないし、家で浜省口ずさんでたんだから、せめてもうひとつの土曜日とかであれよ(浜省も世代ではないけど)、家で一回もフォークソングなんて歌ったことなかったじゃん、って話だ。
この習慣の家と外のシームレス化はかなりまずい。これこそ、おそろしい習慣。

俺がその家と外のシームレス化によって最もピンチに陥ったのは、地元を離れて働いていた時分だ。一人暮らしの初日、俺がやったことは部屋の中を全裸で徘徊することだった。1Kの風呂トイレ別の物件だったのだが、全ての場所を全裸でくまなく闊歩した。実家だと絶対できないことをやってやろうという意図である。一人暮らし初期とは開放的になるもので、とりわけチンチンは一番開放的になる。さすがに全裸闊歩は初日でやめたが、それに近いことをすることはままあった。ただそれは全裸で歩くこと自体を目的とするものではなく、シャワーを浴びる前に洗面台のところにパンツを用意するのを忘れたので、全裸で洋服箪笥まで行く、みたいなことだ。さすがの俺も露出趣味はないから、なんぼ一人暮らしでも初日以外に不要不急のチンチンは出さなかった。
それと同様に、俺にはあることが習慣になってしまった。それはトイレだ。部屋でトイレに行く際に、トイレの扉の前ではもうチンチンを出していた。ことによるとソファから立ち上がったあたりで、もうチンチンを出していた。チンチンを出しながらお勝手を通り、洗面台の前を通り、トイレに入る。これが習慣化してしまった。
と、どうなるか? もうお利口さんの皆は気づいたよね! ズバリ、職場でもやってしまったわけである。職場でトイレに行く際に、トイレの三メートル前ぐらいで、俺はもうチンチンを出してしまった。職場の廊下で歩きながら、チンチンを出してしまった。さすがにすぐ顔面蒼白になって、そそくさとチンチンをしまい込んだ。チンチンを出していたのは時間にして三秒ほどで、それもチンチンの先っちょだけであったが、それでも職場の廊下でチンチンを出して闊歩してしまった事実は消えない。チンチンを出してる間、幸いにも前方からは誰も歩いてこなかったし、その廊下には俺一人だったのでチンチンを出してるところは誰にも見られなかった。不幸中の幸いである。前方から新入社員の女でも歩いて来ていたら、そして俺がその瞬間に習慣でチンチンを出して、その不要不急のチンチンを見られていたら、俺は今こんなくだらない文章を書いていないだろう。運良く公の騒ぎにならなかったとしても、俺は死ぬる。女の噂はパンデミックだ。死ぬる。新入社員の女どもに対して、俺の築き上げた上っ面の信頼が、面白くて頼れる先輩の仮面が、ブッ壊れるところであった。死ぬる。

兎にも角にも、習慣の家と外のシームレス化にはご注意を。くれぐれもチンチンを出さないように。

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