ミヒャエル・エンデ『鏡の中の鏡』より『許して、ぼくは〜』の感想

 本日は、岩波書店から出ている、エンデ全集8『鏡の中の鏡』から一番最初の一篇の感想をお送りします。

 出だしの文章が、そのまま目次に記された題名となっています。『許して、ぼくはこれより大きな声ではしゃべれない』が、タイトルであり、最初の一文です。

 ホルという名の誰とも分からない誰かが主人公、語り手です。いえ、語り手は別の誰かかも知れません。これは一人称でしょうか、それとも三人称と混じっているのでしょうか。語り手がホルを、『彼』と呼ぶのは何故なのでしょう。

 ホルは広大な建物の中に閉じ込められており、そこには、いくら探索してもし尽くせない広がりがあります。この空間の中でホルは孤独であり、ごく小さな声しか出せません。

 これが意味しているものは何か? 私は子どもの頃と違って、そう考えるようになりました。あるがまま、謎は謎として置いておけなくなったのです。

 解釈が出来るのは知的な前進です。謎として扱えず、その余韻や奥行き、醸し出される神秘性を楽しめなくなったのは、感受性の後退なのでしょう。

 この物語を読んで、エンデの代表作『はてしない物語』に出てくる、ファンタージエン国で想像力を使い過ぎてしまった人間の成れの果てを連想しました。彼、ホルもまた、自分自身の幻想の中に閉じ込められてしまったのではないでしょうか。

 この『鏡の中の鏡』を最後の一篇まで読むと、またホルの名が出てきます。

 ある美しい王女の、哀れな弟の名がホルなのです。

 それは、語られなかった、描かれなかった全ての物語の幻影なのです。

 迷宮から出て、真の英雄となるには、自分自身の物語を書かなければならない。エンデはそう伝えていると思います。

 作家になりたい、あなたが書くようなファンタジーに憧れます、私も書きたいと言いながら、ついに書かずじまいだった人々を、エンデもたくさん知っているのでしょうね。

 そんなことを考えました。

 あなたなら、どう感じますか?

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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