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【かすみを食べて生きる 8 一般病棟④ 】ワレンベルグ症候群による嚥下障害のリハビリなどの記録

脳梗塞 発症6日目:一般病棟4日目
・食事:飲み込みができないため絶飲食。水分、栄養とも点滴。誤嚥性肺炎のため鼻からの経管栄養を延期中。
・状態:ベッドに腰かけて足を下す端坐位はできる。

なかなか眠れない日々。誤嚥性肺炎で37.4℃を下回らない熱。
少し血の混じる痰。頻回のおむつ替え。
誤嚥性肺炎のために、経鼻のチューブからの経管栄養は見送りが続く。
飢えと乾き。
熱もあって、とにかく水が飲みたい。

<発症5日目:一般病棟③    発症7日目:一般病棟⑤> 


脳内ジュークボックス

昨日は朝から廊下でずっとEテレ「おかあさんといっしょ」で歌われているさまざまな曲が流れていた。
夜もずっと。
有線か何かだろうかと眠れない頭で考えていた。
今日朝の検温の時看護師さんに、入院してからほぼずっと音楽が聞こえている事を話した。

「館内ではどこも音楽はかかっていませんよ」
救急外来でもHCUでもこの一般病棟でも。
そうか、この微妙な音楽たちは全部私の頭の中で鳴っていたのか。
よく考えたら全て聞いたことのある曲だった。
「音楽はかかっていない」
そう言われて耳をすませると音楽は止まった。
かわりに廊下からは冷蔵庫か何かがブオーンとなる音や、そのほかにも何かしらの機械音が聞こえた。
気を抜くとそれらの音が混ざり合って何らかの曲になろうとする。
私の頭には身体がピンチの時に、その辺の音を拾って脳内で補完して曲にする謎機能が備わっているらしい。
なぜか聞いたことがある程度の曲ばかり。
どうせなら好きな曲を流してほしい。

立つと世界は広がった

午前中に熱が38.3℃となったので解熱剤を入れてもらう。
午後には37℃台まで下がったので、理学療法士九里さん(仮)のリハビリが入った。
そこで靴を履いて立つ練習をした。
6日ぶりの靴。
ほんの数秒。
久しぶりに立った。
膝が笑う様な感覚。
でも少しでも立てると車椅子に乗ることができる。
そのまま車椅子への移乗の練習。
なんとか乗れそう。

祝、車椅子解禁!

移動できる!うれしい!
そして車椅子に乗れると、なんと、トイレに行ける!
ここから私は、日中は車いすで看護師さん見守りのもと、トイレに行ってよいことになった。
早速リハビリ後にトイレに。
ベッドから立つ。車いすに乗る。看護師さんにトイレまで連れて行ってもらう。
トイレのドアに車いすを横付けして、トイレに入る。
この時点でまだおむつはテープタイプ。リハビリ後でおむつは汚れている。マジックテープをはすず。
床に落ちるおむつ。
あれ?これはどうしたらいいんだ?
テープタイプのおむつを立ったまま自分につけるのは、難易度が高すぎる。
あたふたしている間に気持ち悪くなってしまったので、汚れたおむつを適当につけてトイレから出た。
そしてトイレに行ったことで、私は6日ぶりに水で手を洗うことができた。
あれ?右手と左手で水を触った感触が違う。
現在私の右半身は温度を感じる感覚が鈍くなっている。
右手は水をあまり感じられない。
左手は「Water!」、右手は「Water?」。
今の私が初めて水を触ったヘレン・ケラーだったら、大混乱だったろうなと思った。
流れる水に手をさらすとき、その水温で水を感じているようだ。

子どもとビデオ通話

入院して6日、家では夫と子供の二人生活となっている。
子どもは幼稚園。
夫と私共に実家は遠方で助けは呼べない。
私の入院の裏で、夫は突然のシングルファザー状態。
私は誤嚥性肺炎やら脳梗塞の後遺症に戸惑っているけど、今自分のことだけをやっている。
普段の仕事に家事育児とタスク山盛りとなって、子どものケアもせねばならない夫のほうがしんどい可能性がある。
電話をかけたいけど、こちらは立つこともおぼつかない。
病室内は通話禁止。
コロナで面会禁止。
日々メッセージのやり取りはしているけれど、あまり心配をかけたくないので状況報告と持ち物依頼メイン。
少し眠れても、子どもと夫が夢で大暴れする。
さすがにそろそろ心配過ぎる。
看護師さんに相談したところ、事前にいつかけるか伝えれば看護師さんが同室の人に確認をするから、ビデオ通話をしてもいいよとのこと。

久しぶりに子どもの顔を見る。
にこにこしている。
夫がとてつもなく頑張ってくれてることがわかった。


ーーー振り返って

ここまでずっと流れていた音楽がやみました。
これも私の中だけで起きていた不思議な体験でした。
多分この時検査では問題にならなかったけど、ものを認識したり認知する機能が少しおかしくなっていたのではないかと思います。
この他にも、いくつかの謎体験が私の中だけで起きていました。

立てるとトイレに行ける、ということは見通せていませんでした。
目の前にあるできないことを何とかしていくと、世界が広がる。
まだまだ不自由が多い中で、これはちょっとした希望でした。

自分のことで精いっぱいだったここ数日。
時々眠れた時、夢にはよく家族が出てきていました。
一方ですぐに退院できる状況ではないこともわかってきたので、もうしばらく私不在で頑張ってもらうためにどうすればいいかを考え始めました。




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