夫婦で考えている子育ての目標
どうもsumiです。
ここでは、マイクロスクールに入学予定の娘のいる母が
教育について思うことや、日々感じていることなどを自由気ままに綴っていきます。
今回は、前回の記事で書けなかったことをつらつら書いていこうかと思います。
前回の記事はこちら。
前回の記事では自分たちがマイクロスクール・オルタナティブスクールに行き着いた経緯を書きました。
その中で書いた、公立小を選択しなかった理由がもう一つあります。
それは、夫婦で子育ての目標を決めていて(子どもに将来こういう風になってもらえたらいいな等)、それを考えたときに、公立小でない方がいいかもと思ったからです。
その具体的な内容を今回書いていきたいと思います。
夫婦で考えた子育ての目標
6年前に初めて子どもが産まれて、最初は今にも壊れてしまいそうな小さな赤ちゃんを育てるのに必死だったけど、徐々に人間らしくなっていく(元から人間だけど笑)自分の子を目の前にして、私たち夫婦は比較的早い時期から教育というものを考え始めていたと思います。
手探りの子育ての中、長女が生後4ヶ月頃から幼児教室に通い始めて、子育ての右も左もわからなかった状態から子どもにとっていいと言われていることは色々試してきました。
もちろん我が子や私達に合わないと思ったことは試行錯誤で変えてきましたが、幼児教室で教わった3歳までの育て方は今でも参考にしている部分は多いです。
長女が年少になり、通っていた幼児教室もガラッと早期教育色に移り変わっていく中で、夫婦で子どもの教育について話すことが増えてきました。
それまでぼんやりと考えていたことをちゃんと言語化して夫と対話をする中で、お互いに見えてきた目標があります。
その一部は以下のとおりです。
子どもが大人になったときになっていてほしい姿。
・自分で考えて行動し、自分の人生を自分の意思で切り拓いていける自律した人になってほしい
・社会に貢献できる人になってほしい
この2点が私達の子育ての目標の一部です。
この目標を軸にして日々子育てをしています。
自律について
ちょっと学校選択の話とは脱線してしまうかもしれませんが、自律について少し書きたいなと思います。
子どもには自立した人になってほしいっていう思いは、結構な親御さんが願っていることではないでしょうか。
私達夫婦も子どもたちにそう願っていますが、一般的に使われる「自立」ではなく、「自律」という漢字を使用しているのにはちゃんと理由があります。
「じりつ」って何でも一人でできることっていうのが一般的なイメージだと思うんですけど、私は仕事柄、一人でできることだけが「じりつ」ではないと以前から考えていました。
私は今年の3月まで某自治体の保健所で精神保健福祉相談員として、働いていました。
非常勤だったのでそこまで大変ではなかったですが、事務仕事以外の支援の仕事については常勤の方と同じ働きをしていてすごくやりがいがありました。
詳しい仕事内容は書きませんが、精神的な病を患っている方の生活環境を調整してその人自身が困っていることに対して一緒に考えて改善していく仕事です。
この仕事を通して、まぁまぁ色んな人と出会い支援してきました。
そこで一つわかったことがあります。
それは、
人を頼れる人、人に助けを求められる人、人に自分の弱みを伝えられる人は、回復が早く、生活を立て直せて自立に向けて歩み始めることができる。
ということです。
もちろんそれでも色んな波があって上がったり下がったりしている方が多いですが、他人(支援員など)に頼りながら自立できているという状態で暮らしています。
だから必ずしも「他の助けを受けずに一人で行動できる事」だけが自立ではないと思っていました。
人に頼ったって良い、人に助けてもらったって良い、それでも自立はできる。
精神障がい者だけでなく、知的障がい、身体障がいのある方々を支援してきて、その方々から教わってきたことです。
そのような中で出会った「自律」という言葉。まさに私の考えていた「じりつ」は自立ではなく自律でした。
自分の子育てに置き換えて考えてみると、日々の生活の中でこの自律を意識して子どもたちと関わるようにつとめています。
たとえば、子どもが着替えなどできるのに一人でやらない時、「お母さん着替えさせて〜」とよく言います。
我が家では、ちゃんと自分の言葉でお願いができたら極力素直に手伝ってあげます。逆に自分の言葉で伝えてこないときは絶対手伝いませんが(笑)こっちが察して何かしてあげることはしません。大事なのは自分の言葉で人に伝えること。
忙しいときは、「ごめんねー自分で〇〇はやってくれる?」とかはたまに伝えますが、「自分でできるでしょ!」とか「自分でやりなさい!」とかは言いません。
なぜなら人に助けを求めること・頼ることは悪いことと思ってほしくないからです。
ちょっと大げさかもしれませんが、そういう日々の意識の積み重ねで考え方の癖って形成されていくと思っています。
子どもたちが大きくなった時、辛いとき、しんどい時は家族だけでなく他人に助けを求めたり頼りにしながら自分の意志で自分の人生を生きていってほしい。
こういう思いがあって私達夫婦は子育ての目標の一つに掲げました。
学校にひそむヒドゥンカリキュラム
ヒドゥンカリキュラム。
あまり聞きなれない言葉かもしれません。
私も実際、小学校以降の教育について考え始めてから知った言葉でした。
このヒドゥンカリキュラムこそ、私達夫婦が立てた子育ての目標をなかなか難しいものにしているような気がするんです。
ヒドゥンカリキュラムについての詳細は長くなってしまうので、また別の記事に書こうと思いますが、
上のサイトでざっくりと説明してくれています。
このヒドゥンカリキュラムが日本の学校の中にも存在しています。
東京にあるヒロック初等部というオルタナティブスクールが出版している書籍の中にもこうあります。
この書籍のこの一節を読んだ時、今まで日本の学校に対して違和感を感じていたものが明確になったと思います。
このあとの文章もすごく良かったので今度紹介したいですが、
まさにこの部分が私達の目指す目標とかけ離れていると感じています。
自分で考えて行動する自主性。
人に頼ることもよしとする自律。
潜在的カリキュラムが存在する学校では、長女の特性(環境に影響されやすい、周りを気にする)を考えると、これらの力が育つことは少し難しいのでは?と考え、私たちの目標に合うような小学校の選択肢は他にないか?と考えたのが、公立小学校を選択しなかったもう一つの理由です。
(もちろん公立小に行こうがこういう力のある方はたくさんいるとは思いますが、長女の性格を考えると、という意味です)
この選択が合っていたか間違っていたかわかりませんが、子どもの様子を見ながら臨機応変に変えていきたいとも思ってますし、この選択を正解にしていくのも私達の力かなと思っています。
これからもこの目標を軸に、色々と軌道修正しながら、子育てに奮闘していきたいと思います。
ではまた。
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