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社不の、社会不適合でもいいじゃないか どん底からのスタート英語編

こんにちは。
社不です。

今でこそ25歳でうつ状態のために休職中の社不ですが、その昔は女子高生でありました。

高校1年生の1月から高校2年生の4月にかけて、3ヶ月ほどアメリカ合衆国のシアトルにホームステイをしていたのですが、今回はその時の話をしたいと思います。英語が全く聞き取れない、喋れなかった社不が、いかにして3ヶ月間を過ごしたのか、を。そしてどれくらい成長したのか、を。
でもその前に、社不がどんな高校生で、留学するに際してどのような準備をしていたかを知ってもらいたく、少し長めに留学前段を書いています。

社不が海外留学に憧れたのは、公立中学校に通っていた頃、オーストラリアに2週間留学するというプログラムがあり、そのプログラムに参加したクラスの女の子がプログラム後、流暢に英語でどんなに楽しい2週間だったのかをプレゼンしてくれたのがきっかけでした。

いいなぁ、私も海外に行きたい。
家ではあんまり食べさせてもらえないハンバーガーを思いっきり食べてみたい。
ハンバーガーが1番美味しい国ってどこだろう?
うーん、アメリカ……?

という流れで、中学3年生の夏休み明け、社不はアメリカ留学に憧れるようになりました。

ちょうどその頃、首都圏で進学先の高校を選んでいた社不は、とある高校を発見しました。

留学プログラムコースあり。アメリカ合衆国もしくはニュージーランド。

高校1年生から2年生にかけての3ヶ月余り、留学できるというプログラムでした。(現在も同内容のプログラムがあるかは不明。)

ふむふむなるほど、学校の勉強に支障の出にくい高校1年生の1月から2年生の4月までのプログラムなのね、と思ったわけです。

その高校に入学するにはちょっと偏差値が足りなかった社不は猛勉強。なんとかその高校に入学を果たしました。

高校に入ってああ安心、あとは1月を待つだけ……というわけにはいきませんでした。勉強、勉強、毎日勉強、帰宅したら即勉強、というか帰宅途中のバスの中でも猛勉強の日々が待っていたのです。(なんせ、1科目でも赤点を取ってしまったら留学に行けないというルールもあったので必死です。。。)

それもそのはず、社不が入学を果たしたのは偏差値70程度の、県内でもそこそこの進学校だったのです。

国語と歴史はまずまず、理数はガタガタ、留学に必要な肝心要の英語もボロボロという始末。

毎週1回あった、留学コース生向けの英会話の講義には必死でしがみつきました、はい。
ちなみに、現地で日本食が作れるようにと調理実習もしました。

そして迎えた1月。
スーツケースにパンパンになるまで、現地で人気という日本のお菓子を詰めて飛行機に乗り込みました。

1つのアメリカの高校に対して、社不の高校から2、3人が派遣されるこの制度。社不が一緒の高校に通うことになったのは、同じクラスでとても良く英語ができると評判の(そしてペーパーテストでも英語科目が常に上位の)2人でした。

現地の学校で、初日から先生やクラスメイトが何を話しているかがわかるという様子の2人。一方、なんのこっちゃ状態の社不。

ホームステイさせてもらっている家でも、家族が何を言っているのか、電子辞書で単語を示してなんとか理解してもらう日々が始まりました。

このまま英語が上達しないのでは、社不を家族として迎え入れてくれたホストファミリーに申し訳ない。。。

そう思った社不は、ホストマザーにこう宣言します。

「私、英語が喋れるようになりたいです。一生懸命頑張るので、トレーニングしてください!」

辿々しい英語で必死に伝える社不に、ホストマザーは大きく頷き、その日からたくさん、何度も、おそらく同内容を話しかけてくれるようになりました。社不が理解するまで、何度も、です。

そして社不もまた、たくさん喋りました。伝えようとし続けました。

夜は、今日もうまく喋れなかった、あのときほんとはああ言いたかった、授業の言葉をもっと聞き取ってノートに書きたかったと涙を流しながら英語のリスニングCDを聞きました。

そしてある晩、英語が夢に登場したのです。
留学して1ヶ月半が過ぎた頃でした。

そこから、社不の怒涛の英語が始まりました。(多分)

クラスメイトが何を言っているのかが分かる、先生が黒板で何を説明しているのかが分かる、何より社不が言いたいことが相手に伝わる!

この感動は、今になっても忘れられません。

ホストブラザーが何故ホストマザーに叱られているのかが分かるようになった(あと30点点数がアップしないと赤点)のは、家族になれたようで愉快な思い出です。

イエス、ノー、だけでも、恐らく英語圏で最低限の旅行は可能でしょう。でも、そこから一歩先に進んだら、そこに生活する人々のリアルな様子を感じられるようになると思います。

このアメリカ3ヶ月留学で英語力に自信を付けた社不は、帰国後英検2級を、そして大学受験では早稲田大学と上智大学に(もちろん英語込みで)合格、さらには就職直前にはTOEIC755点を取得するに至ります。

帰国後、留学前はボロボロだった英語で、成績優秀者として学級通信に名前が載るくらい力をつけたのは言うまでもないでしょう。

長くなってしまいましたが、ご意見、ご感想、「スキ」をお待ちしております。

それでは!

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