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形而上エッセイ「分かる人にしか分からない話」

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2018年10月の記事一覧

冬の憂鬱

秋が日ごとに過ぎていく。赤や黄に染まった葉も村雨に落ち、風はますます冷たく、日が短くなる。冬になる。寒がりなわたしにとって、憂鬱な季節である。もっとも、福島あたりで寒いなんて言っていたら、東北の他県にお住まいの諸姉諸兄には鼻で笑われることだろう。「福島など我が東北六県の中では最弱の県よ」と。まあ、しかし、寒いものは寒い。福島も寒いんですよ。海沿いのいわきは別。あそこは東北地方じゃない。雪降らないし

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死んだら負けという単純な価値観 2

愛媛のご当地アイドルが自殺した事件に関して、ある大物芸人が、「死んだら負け」と発言したことが、ちょっと騒ぎになっている。

これについては、昨日書いたのだけれど、今日は別の方向から、この発言を取り上げてみたい。

昨日も書いたことだが、わたしは、彼の発言の当否を吟味したいわけではない。彼の発言に対しては、賛成する人もいれば反対する人もいるようだ。ネットの記事によれば、反対の声の方が大きいということ

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死んだら負けという単純な価値観

愛媛のご当地アイドルが自殺するという事件があった。

それに対して、さるお笑い芸人が、情報番組において、「死んだら負け」と発言したことが話題になっているようだ。

発言には文脈や意図というものがあって、それらから切り離して、その発言だけをクローズアップしてしまうと、誤解が起こる。メディアなんかは、こういう誤解を意識的に生むことで話題を作ろうとしている節があるのだけれど、まあ、それはそれ、別にわたし

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今ここから考えを始めよう

もしも世界についての真実を知りたいとしたら、今ここから考えを始めよう。どこか遠くのできごとについて考えようとするのではなく、あなたが今まさに生きているこの場から考えを進めていこう。

この場から、しかも自力で。

自力というところが大事なところ。

一つ、当たり前なことを確認する。当たり前すぎて、普通は意識されていないことを。それは、考えるというのは、自分が考えるということだ。人はよく「客観的に物

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世界が滅亡しなかったあとに考えておくべきこと

昨日世界が滅ぶという予言があったが、どうやら滅亡を免れたようである。

ちゃんと今日がやってきた。

ありがたや、ありがたや、と朝日を拝んでいる人、油断できませんよ。なんとなれば、予言が無くたって、世界は今日滅ぶかもしれないからである。なにも、予言が無いと世界が滅ぶことができないというわけではない。余命宣告が無いと人が死ねないわけではないのと同じである。余命宣告がなくても人は死ぬし、予言がなくても

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事に当たって気持ちは変わるので、悩むだけ損

仕事に行くのがあまり好きではない。毎日、仕事に行く前は、学校に登校する前の子どものように気分がふさぐ。「行くことを強制されている学校とは違って、仕事は自分で選んだわけだから嫌なら行かなきゃいいだけの話でしょ」と言われると、一言の抗弁もできないのだけれど、今はその件に関しては脇に置いておくことにしたい。

行きたくないと思っていても、いざ行ってみると、まあそれなりに楽しく過ごして帰ってくる。心の底

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世界が滅亡する前に考えておくべきこと

今日、世界が滅ぶらしい。

そういう予言があるようである。詳しいことはわたしは知らない。家人がそういう類に興味があるようで、話していたことを小耳にはさんだだけである。

こういう世界滅亡の予言に関して、それを信じている人がどういう態度を取るかと言えば、まあ、「当たらないでほしい」というものだろう(中には、「当たってほしい」と思うへそ曲がりもいるだろうが)。

そんなに心配しなくてもいい。

なんと

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好きは嫌いで、嫌いは好き

昔、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが好きだった。昔と言っても、何十年も前の子どもの頃のことである。近頃、童心に返って、久しぶりに読み直してみようとしたら、読めなかった。どうにも文体がいけない。合わないのである。子供用に書かれているから、というわけでは必ずしもない。わたしは童話も読む。どうしてだか合わない。

今、村上春樹をデビュー作から順に読んでいる。現在、ノルウェイの森。10年前に村上春樹作品を

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自分を捨てればその分だけ自由になる

確固とした自分を持つこと、自分の意志と力でもって人生を切り開くこと、というのは、一昔前と比べて、その価値が多少低くなったのか、あるいは、ますます高まったのか詳しくは知らないけれど、少なくともすたれた考え方ではないと思う。

さて、ここで言われるところの、「自分」とは一体何だろうか? 自分とはまずは肉体のことだろう。その肉体は誰が作り出したものか。親である。

自分は肉体だけにとどまらない。人間には

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わたしが書くのはただ一人のため

書いたものに対して、スキもコメントもフォローもpv数も編集部による取り上げも何もいらない。

わたしが、語り口のまずさのせいも大いにあるだろうが、それを差し引いても、一般受けしないだろうと自分でも分かっていることをそれでも飽かず書くのはただ一人のためである。

誰のためか。

あなたのためだ。

わたしの言葉がきっと通じるであろうあなたに向けて書いている。

わたしは自分の書く言葉の価値を信じてい

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「自分さえよければいい」という真実

自分さえよければいいという言い方は、他人への思いやりを欠いた人間失格として、非難されることが多い。しかし、人は、自分のことしか考えることはできない。「いや、そんなことはない、他人のことを考えることもできる、それがおもいやりじゃないか」と言う人もいるかもしれないが、それは、あくまでも、他人のことを考えていると自分が考えているだけのことである。その結果が余計なお節介になることがあることからも、分かるだ

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「何でもいいから書け」の間違い

SNSの発達によって、誰しも自分の考えていることを、気楽に発表できるようになった。これは、一面ではいいことだろう。しかし、物事は一面からだけ見ることはできず、裏に回って見ると、一面でいいことにも、悪いところがあるということに必ずなっている。

気楽に発表できるようになったことで、言葉を惜しむという気持ちがなくなった。思っていることを糞尿のように垂れ流すことを恥ずかしいと思わなくなった。作家やライタ

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感謝は幸福になるための手段ではなく、幸福のあらわれである

仕事が夕方からなので、日帰り温泉に入ってきた。源泉掛け流し。人もあまりおらず、ゆったりとした気分で湯につかることができた。露天もあって、秋の穏やかな空を見上げながら入浴していると、心からリラックスできて、願わくば温泉の中にて秋死なん、てな具合である。

幸福というのは、それほど大したものではなくて、一回400円で入れる温泉の中にもちゃんと存在して、それはつまり、幸福というのは心の中にあるのだと言え

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「人生論を捨てよ!」という人生論

人生論はつまらない、とわたしは書いた。しかし、その「人生論はつまらない」と言うこと自体も一つの人生論ではないのだろうか。「人生論を捨てて、人生の不思議を感じよう!」というのは、新たな人生論じゃないのか。それは違う! ……と言いたいのだけれど、しかし、どうしてもそうなってしまうようだ。一切の価値を認めないニヒリストもニヒリズムの価値だけは認めなければならないし、あらゆる価値の相対性を唱える相対主義者

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