事に当たって気持ちは変わるので、悩むだけ損

仕事に行くのがあまり好きではない。毎日、仕事に行く前は、学校に登校する前の子どものように気分がふさぐ。「行くことを強制されている学校とは違って、仕事は自分で選んだわけだから嫌なら行かなきゃいいだけの話でしょ」と言われると、一言の抗弁もできないのだけれど、今はその件に関しては脇に置いておくことにしたい。 

行きたくないと思っていても、いざ行ってみると、まあそれなりに楽しく過ごして帰ってくる。心の底から行きたくないわけではないらしい。それなのに行く前はどうして行きたくないと思うのか。謎である。

その謎にも今は立ち入らないことにして、とにかく仕事に行く前と、現に仕事に行った時では気持ちが変わる。これは仕事のことだけではなくて他のことにも言えることだろう。したくないと思っていてもいざそれをやる段になると、案外楽しく過ごせてしまうことが多い。

人間の気持ちというのは、事が起こる前と、事に当たる時で変わるのである。とすれば、起こる前にあれこれと心配したり嫌がったりすることというのは、あまり意味がないことなのかもしれない。

人が心配したり嫌がったりするものの中で、その最たるものは死ぬことだろう。しかしこれもいざ死ぬという段になってみると、まんざら嫌なものではなくなっている可能性もある。もしかしたら、肩の荷が下りるような気持ちになるかもしれない。

そうだとすると、生きている今、死ぬことを不安に思ってあれこれ悩んでいても、いざそうなってみてみると、実はそんなに不安に思ってもしょうがなかったということになりかねない。「死ぬことを大したことだと思っていたが、なんだ別に大したことないじゃないか」と。

仮にそうならなかったとして、いざ死ぬときになってやっぱり「死にたくない」と思ったとしても、それはその時にならないと分からないことである。とすると、死ぬ前から死について思い悩んでいても二度手間だということになる。だから、どっちにせよ思い悩まない方がよい。もちろん、わたしの仕事に対する気持ちのように、悩まなくてもいいと言われてもつい悩んでしまう人の心性のあり方は否定できないが。

では、仕事に行ってきます。

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