好きは嫌いで、嫌いは好き

昔、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが好きだった。昔と言っても、何十年も前の子どもの頃のことである。近頃、童心に返って、久しぶりに読み直してみようとしたら、読めなかった。どうにも文体がいけない。合わないのである。子供用に書かれているから、というわけでは必ずしもない。わたしは童話も読む。どうしてだか合わない。

今、村上春樹をデビュー作から順に読んでいる。現在、ノルウェイの森。10年前に村上春樹作品を読もうとしたことがあったのだが、そのときは挫折した。あの文体がどうにも癇に障った。しかし、今は何に障ることなくすらすらと読める。

本の好みだけではなく、食べ物の好みも、人の好みも、変わったと思う。成長(老化?)につれて好みというのは変わるものだ、と言ってみればそれだけのことかもしれないが、なぜ変わるのかと問えば、それはなかなか難しいのではないだろうか。対象は変わっていないわけだから、変わったのはこちらということになるが、では、こちらの一体何が変わったのだろう。

何が変わったにせよ、ともかく、変わったという事実は認めなくてはならない。好きなものが嫌いに、嫌いなものが好きに。だとしたら、今好きなものも今後嫌いになる可能性があり、今嫌いなものも今後好きになる可能性もある。好き嫌いというのは、その程度のことかもしれない。シェイクスピアの「マクベス」第1幕、魔女のセリフ、「良いは悪いで、悪いは良い(Fair is foul, and foul is fair.)」をもじって言えば、「好きは嫌いで、嫌いは好き」というところか。

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