三遊亭歌笑師匠・自伝プロジェクト

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三遊亭歌笑師匠・自伝プロジェクト

ご覧頂きありがとうございます。 只今、三遊亭歌笑師匠の自伝本を出版するプロジェクトを行っております、演芸作家のよしの・ほつねです。 歌笑師匠の魅力をお伝えし、皆様に楽しんで頂ける記事投稿を目指しております。 どうぞお楽しみ下さいませ!

最近の記事

とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~その5

歌笑師匠には、昔からずっと付き合いのあるお客さんが多い。 独演会に行くと、師匠自らロビーに立って、 「ああ、来てくれてありがとう」 と一人一人に挨拶している、とってもアットホームな雰囲気。 歌笑師匠は人とのつながりを大切にする。 ありきたりな言葉だけど、芸の基本に戻るうち、人間の基本にも戻っていったのだと思う。 すなわち、芸は人なり。 歌笑師匠には、もしかするとプライドが高かったとか、おべっかが下手だとか、よくは分からないけど、あらがあったのかも知れない。 だけど、芸と

    • とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~その4

      二代目三遊亭円歌の最後の弟子・歌寿美が、三遊亭歌笑を襲名したのは、昭和36年のことである。 「純情詩集」で爆笑王の異名を取った先代歌笑が世を去って11年、大半の人々がその存在を覚えている中で、歌笑の甥が亡き叔父の名跡を継いだ、そのことでも、サラブレッドとして大きな期待を寄せられていたことがわかる。 そんなホープが、何故、突然に名古屋へと向かったのか。 「あたしは、先代への憧れだけで入っちゃったとうなもんだから・・・」 と歌笑師匠は言う。 先代の栄光に憧れ憧れ、憧れぬいて

      • とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~ その3

        歌笑師匠の芸を見てしばらく後、かつて歌笑師匠を勧めてくれた人に再会して、話をした。 「寄席に長い間通っていると、どちらかというと単調な雰囲気が続くんです。まあ、それが良さでもあるんだけど、 その空気をガラッと変えるような人には、やっぱり目を惹かれます。 しっかり楽しませてくれた、って満足できる、 歌笑さんはそういう芸人なんです。」 歌笑師匠の芸について思い出していた。 歌笑師匠はとてもにこやかに出てくる。 話し方も所作も分かりやすくて、柔らかい芸風だから、何となく場が温

        • とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~ その2

          「昔の芸人」に僕はとても心惹かれる。 というのも、今と昔とでは、舞台の上で芸をしてお金を貰うことの重さが違っていた、という印象があるからだ。 昔は「下手くそ!」「金返せ!」なんて野次を飛ばすお客なんてざらだったようだし、芸人のほうも厳しい客より二枚も三枚も上手(うわて)の芸を見せて返さなくちゃならないから、とてもうまくて、ユニークな芸人ばっかりだった。 それこそ先代・三遊亭歌笑を演じた渥美清だって、客席に飛び降りて喧嘩するような人だったようだが、舞台で、きれいな女性に片思いを

        とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~その5

          とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~その1

          14歳だったあの日、僕は映画館にいた。 本当は部活に出なくちゃいけないんだけど、人間関係で揉めて、その頃は、半分、いやほとんど辞めていて、気散じに映画を見るつもりだった。 タイトルは「おかしな奴」、主人公・三遊亭歌笑を演じたのが渥美清。 戦後間もなくして、「珍顔」であることを自ら売りにして、日本中を笑いの渦に巻きこんで、三十三歳の若さで米軍のジープに轢かれて亡くなった。 志ん生、文楽、円生という名人は、その本格な芸を、大衆はもとより評論家からもきちんと評価されて天寿を全うした

          とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~その1