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とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~その4

二代目三遊亭円歌の最後の弟子・歌寿美が、三遊亭歌笑を襲名したのは、昭和36年のことである。
「純情詩集」で爆笑王の異名を取った先代歌笑が世を去って11年、大半の人々がその存在を覚えている中で、歌笑の甥が亡き叔父の名跡を継いだ、そのことでも、サラブレッドとして大きな期待を寄せられていたことがわかる。

そんなホープが、何故、突然に名古屋へと向かったのか。

「あたしは、先代への憧れだけで入っちゃったとうなもんだから・・・」
と歌笑師匠は言う。

先代の栄光に憧れ憧れ、憧れぬいて入った落語の世界。
俺もああなってやる、新作で勝負を賭け、入門3年、二つ目にして三遊亭歌笑を襲名、順風満帆だった。

ところがそれほど甘くはない。
古典落語という、人間の綾をきめ細かく、巧みに描き、何百年に渡り人を笑わせ、うならせてきた芸が、若き歌笑の前に立ちはだかる。

もう一度古典を勉強し直そう。
名古屋・大須演芸場に住み込み、支配人を兼ねて一人、二人の客を前に毎日出演し、古典落語を語った。
楽屋では何本ものビデオテープを見ながら、食堂から持ってきた湯のみ、箸、茶碗を使って、全くの我流で所作を身に付けた。
寝床に入っても落語のカセットテープを聴いて、枕元にある母の写真に、誠の芸を持った芸人になることを誓った。

かつて、師匠に直に尋ねたことがある。
「師匠、古典の魅力が判るまでは、時間が掛かりますね」
「うん、本当に長く掛かるねえ・・・」

この言葉が、芸道の本筋を表している。

(つづく)

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