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とある噺家の話~三代目・三遊亭歌笑~その1

14歳だったあの日、僕は映画館にいた。
本当は部活に出なくちゃいけないんだけど、人間関係で揉めて、その頃は、半分、いやほとんど辞めていて、気散じに映画を見るつもりだった。
タイトルは「おかしな奴」、主人公・三遊亭歌笑を演じたのが渥美清。
戦後間もなくして、「珍顔」であることを自ら売りにして、日本中を笑いの渦に巻きこんで、三十三歳の若さで米軍のジープに轢かれて亡くなった。
志ん生、文楽、円生という名人は、その本格な芸を、大衆はもとより評論家からもきちんと評価されて天寿を全うしたわけだが、歌笑という人はそうではなかった。
「大衆の人気は凄まじいものだったが、生涯、キワモノであるという評価を受けた」
一般に、歌笑はこう評価されている。
肉体的コンプレックスを撥ね返すような世相描写、僕はそのもの哀しい芸に、とても心惹かれた。
それからというもの、この爆笑王・三遊亭歌笑に関する本やCD、資料を見聞きしては、自分の周りの人に、歌笑という芸人の話をした。そうしながら何か、三遊亭歌笑に辿れるものを探そうとした。

ある時、僕にこんなことを教えてくれた人がいた。

「いまの歌笑という人を知っていますか。昭和30年代、落語全盛のときに弟子入りして、ずっと名古屋にいた人なんです。
昔の芸人の香りがして、先代に負けない魅力があります。見ておいたほうが良いですよ」

僕は、「昔の芸人の香り」というところがとても気になった。
いつか当代・三遊亭歌笑の芸に触れてみたい、そういう思いが募り続けていった。

(つづく)



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