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古代近江~湖国物語~①

近江国栗田郡延喜式内社意布伎神社。滋賀県草津市の「三大神社」だ。

近江国栗田郡字伊吹の里に鎮座。

社伝によると、天智4年(665年)に天智天皇の勅により大中臣金連が風神の二柱を祀った。勅願所である。

志那津彦と志那津姫の二柱を祀る。大宅主命を配祀。

有名な藤棚は、天武天皇の勅により藤原鎌足が葬られた談峯の藤花に因み、藤原氏の隆盛を祈念して倉橋山の藤を移植したと伝わる。
この藤は織田信長の兵火にかかって焼失したが、株元から芽生えて現在の藤棚になったという。

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神社や藤の由緒をみると、色々と”引っかかる”ことが多い。

この地は元々物部氏の土地であった。

それが物部蘇我戦争の後に聖徳太子(四天王寺か)の土地となった。

現に聖徳太子ゆかりの話などが多く伝わっている。

そして後には藤原氏の土地となった。

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そしてもう一つ。

この辺りには天日槍の伝承も残る。

物部と聖徳太子と。この組み合わせはとても意味深い。

これから少しずつ紐解いていこう。

近江と、河内と摂津と播磨と信濃と伊豫と豊後にまたがる壮大な物語がそこにある。

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