【第5回】地方の地下鉄も見に行く|地下鉄にも雨は降る|友田とん
地下鉄の駅構内で見かける漏水対策を追うフィールドワークの連載も5回目である。前回は東京メトロのいくつかの路線と駅を見て回るうちに、東京メトロとビルの境界や出口など、周縁にこそ管理し尽くされていない、興味深い漏水対策が現れるという傾向に私は気づいた。そして、同じ周縁というならば、地方の漏水対策も見て回ろうと思い立ったのだ。
ちょうど、地方へ行くのに好都合な状況が整っていた。私は今、ひとり出版社を営んでいて、本を販売する機会があれば、全国各地に出店するようにしている。用もないのに、ただ地方の地下鉄の漏水対策を見に行くというのは酔狂に思われるが、出張の日程に1日くっつけて、漏水対策の取材もしてくるということはごく自然に出来たのである。おそらく、以前に地方都市のどこかで漏水対策を発見した時に、そうか、ついでに見てくればいいか、と思ったのだ。とはいえ、イベント出店が主で地下鉄の取材が従かと言えばそうとも言い切れず、地方に行けば漏水対策も見て回れるのだからと、2023年はいつにもまして熱心に地方のイベント出店の予定を入れたし、また出店すると決めたら決めたで、せっかくだからと漏水対策を徹底的に見られる予定を組んだ。出店と取材という2つの目的は共鳴するように、どちらも度を越していった。
そして、熱が入り、各地をめぐりながら私は思ったのだ。いつもなら1つのことを始めるまでに考えあぐねるにもかかわらず、こと地方への取材は順調に進みすぎている。これは何かを無意識に手本にしているからではないだろうか。フィールドワークにあたり、いくつかの本を読んだ。新原道信編著『人間と社会のうごきをとらえる フィールドワーク入門』、それから赤瀬川原平らの『路上観察学入門』、高橋秀実の『素晴らしきラジオ体操』。けれど、何かもっと昔に読んだ何かに支えられているというべきか、無意識に何かをなぞっているような感覚があった。
京都(2023年1月)
本連載を本格的に始める前の2023年1月、イベントで京都を訪ねた私は、利用した駅でたまたま遭遇した地下鉄の漏水対策を何枚か写真に収めていた。地下鉄京都駅のホームには、天井を覆うというよりも、透明のビニールシートの端をテープで吊してカゴ状にしたものが漏水を受け(風圧で形が潰れたりしないのだろうか?)、そこから袋状の半透明のビニールが地面まで漏水を受け流す構造になっていた。その時には漏水自体はなく、地面には漏水を最後に受けるバケツやペットボトルなどもなかった。私がここで気になったのは、ここでは漏水を受け流すためにチューブが使われていないということ、それから天井を覆うビニールシートが透明であったことだ。というのも、東京メトロでは、白い半透明のビニールシートや、チューブがよく使われているからだ。
また、地下鉄四条駅と阪急烏丸駅とを結ぶ地下通路のちょうど境目の天井の梁から漏水があり、梁を透明のビニールシートが覆っていて、それが壁際まで続いていた。やはりここでもビニールシートは透明で、チューブは使われていなかった。
仙台(2023年6月)
これは取材であると明確に意識し、日程も組んで地方都市の地下鉄を見て回ったのは、2023年6月の仙台が最初である。弘前と盛岡でのイベントに便乗する形で、仙台にもう一泊して、地下鉄を見て回った。空手か何かの遠征でやってきた東北大の学生さんと弘前の飲み屋で一緒になり、仙台での取材のことを話すと、不思議なものを取材してるんですねと笑った後で、
「あまり気にして見たことはないけれど、南北線の方にあると思います。古くからある路線なので」
とアドバイスしてくれた。盛岡のイベントにも仙台から人が来ており、
「明日は仙台で地下鉄の漏水対策を取材するんですよ」
と事情を話すと、
「南北線の方があると思います」
と口を揃えたように言う。仙台の人たちが同じようにアドバイスしてくれるというのが不思議で、地下鉄の漏水対策について聞かれたら、南北線を薦めるようにと、ひょっとしたら「市民だより」か何かで通達しているのではないかと思ったほどだ。地下鉄の漏水は古い路線の方があるだろう、それなら南北線の方にあるはずである。素朴に考えればその通りだし、私もそのように考えていたが、同時に天邪鬼の私は、そうは言っても、新しいから漏水しなくて、古ければ漏水するとは限らないのではないかと疑ってもいた。
まずは周縁の漏水対策探しということで、仙台駅で南北線に乗り、着いたのは周縁の周縁、終点の泉中央駅だったが、そこには漏水対策はなかった。
仙台駅方面に戻っていくと、台原駅のホームの天井をプラスチックのパネルが覆っていた。さらに、北仙台駅では出口付近の梁を、パネルで門構えのように覆っているのも発見した。この日は漏水が発生していなかったのか、受けたパネルから肝心の漏水を受け流す管は取り付けられていなかった。漏水が起きてからパネルに管を繋げることにしているのかもしれない。このパネルを固定しているビニールテープがT字に、あるいは工の字のような形なっていた。これは仙台の特徴である気がする。
仙台でのフィールドワークの最初のうちは、漏水を受けるパネルや樋ばかりで、漏水を受け流す管はどこにもなかったのだが、探していたらあった。ただ、管はチューブというよりも、ホースである。しかも、青や黒のホースがきちっと天井や壁に固定されていて、ぶらんと宙をわたることはない。
というわけで、南北線の各駅を見て回ると、多数の漏水対策があった。それではと新しくできたという東西線の各駅も見て回ったのだが、これが本当に一つも漏水対策を見つけることができなかった。先達の教えはちゃんと聞くものである。
泊まりがけで来ているので空振りは避けたいところであるが、いくつか特徴的な対策を見つけて安堵した。安堵した私は牛タンを食べて、新幹線に飛び乗った。
札幌(2023年7月)
7月には札幌の地下鉄も見て回った。すすきの駅はちょうど改装工事中で、だからかもしれないが、天井を覆うビニールシートからの漏水を流すチューブが、天井から白いビニールテープで吊り下げられて宙を走っている。この1ヶ月前に仙台を取材していたので、天井にピッチリと固定されていたのとの違いがやたらと気になった。ぶらりとチューブがUの字を描くようなところも散見され、チューブを見ていると、これでちゃんと水が流れるものだろうかと心配にもなった。
家探しの時に地名にさんずいが付く字の入った土地は水害の心配をせよ、としばしば言われる。ならば、川や池や橋などの水に関連する字を含む駅は水が近く、漏水や漏水対策もあるのではないかという仮説を立て、南北線に乗り南下する。線路脇のレールから給電する第三軌条方式の感電防止のためか、天井からの漏水は放置せず、金属製の対策が常設されており、線路脇の水路へと流してあった。
一方、ホーム上には仮設の漏水対策があり、漏水箇所をビニールシートで覆い、そこからチューブで受け流すという東京でもよくあるタイプのものがあった。ただ、ビニールシートは漏水している天井部だけでなく、電子案内板も覆っていて、何とも言えない可笑しさがあった。「橋」とある駅だからといって、それほど漏水が多いという印象は受けなかった。
南北線さっぽろ駅のホームドア上部には大規模な漏水対策がいつ来ても設置されている。ほとんどこれは名物と言ってもよい。天井の透明なアクリル製の防煙垂れ壁を包むようにビニールシートが覆っていて、その数カ所で漏水を集めてチューブに流す構造になっている。私はこれの全景を撮影したかったのだが、駅は非常に混雑しており、電車をやり過ごして人が途切れるのを待ちながら、人が映り込まないように部分を撮影していた。後ろで電車を待っていた部活帰りらしい大学生の集団がわいわいと話していた。「これはかなりマニアックなやつを収集している人だね」という声が聞こえ、まさにその通りだと思った。振り返りはしなかった。
大通駅の通路には多数の漏水対策があった。ここで私が気になったのが、漏水を受け流す管がチューブと呼ぶにはあまりにも太すぎるということだった。そうかと思えば、どれだけ天井裏で漏水があるのか、天井裏から大量の細いチューブが出ており、それらが束ねられすぎていて驚きもした。
こうして出口へと向かう階段に設置された大量の漏水対策を1つ1つ見ていくと、それらが束ねられているところがあり、近づいてみると、管の製品名を確認することができた。ビニールホースとあった。やはり、これはチューブではなくホースであった。
名古屋(2023年7月)
7月末には名古屋にも日帰りで行った。7月いっぱいで閉店した老舗書店・ちくさ正文館を訪ねたのだが、その足で個人書店・ON READINGにも立ち寄り黒田杏子さんに聞いてみると、
「名古屋ではあまり地下鉄の漏水対策を見かけないですね」
と言う。それで各駅を見て回るのだが、それなりに古い地下鉄であるにもかかわらず、黒田さんの言うとおり、ほとんど漏水対策が見当たらない。辛うじてホーム上に見つけたのは金属製の常設の漏水対策で、しかも受けるところは金属を白くペンキで塗装し、管はプラスチック製のパイプで固定されていて、目立ちにくくしてあった。
見て回った東山線は第三軌条方式で、線路上部の天井からの漏水は、札幌市営地下鉄同様に、金属製の漏水対策が設置されていた。ホームや出口の天井からの漏水をビニールシートなどで覆う仮設の対策は、ついに見つけられなかった。
大阪(2023年9月)
大阪も訪ねた。御堂筋線の梅田駅に着き、改札からホームへ降りる手前を見ると、天井の隅に白い樋とパイプがあった。常設の漏水対策とおぼしきこれは、白くペンキで塗装されている。名古屋同様に、目立ちにくくしているのだろうか。
ということは、あまり仮設の漏水対策も期待できないのかもしれないなと考えながら、ホームへと降りた瞬間、ビニールシートで作った門構えのような巨大な仮設の漏水対策が目に飛び込んできたときには、ついガッツポーズをしてしまった。ビニールシートをガムテープで固定していて、パイロンが置いてあるところを見ると、これは急な、しかもかなりの量の漏水があったにちがいない。そして、この漏水を受け流す管自体も袋状のビニールで出来ている。
御堂筋線に乗り、なんば駅のホームの天井が一段下がったところにも漏水対策が設置されていた。ここも受けた漏水を流す管はチューブではなく、袋状のビニールのものが壁に貼り付けられていた。このタイプが面白いのは、水が流れていない時は袋状のビニールはピタリと重なり合っていて、そこに水の流れる空洞すらないことだ。
仮設の対策は多数あったが、漏水を受け流す管の代わりに、袋状のビニールシートが使用されていて、チューブは1箇所も発見できなかった。
ギリギリの時間まで地下鉄の駅を見て回り、新幹線に飛び乗って東京へ戻った。東京駅でホームに降り立った時のことだ。新幹線ホームから、一段低い位置に向こうまでずらりと並ぶ在来線ホームとそこにひっきりなしに出入りする電車を見渡した瞬間、私は突然、この地方へのフィールドワークの旅が何をなぞっていたのか気づいたのだ。これは松本清張だ。在来線の電車が出入りすることで、ホーム上を歩く人や電車を待つ人が、パッと視界に飛び込んできた。その時、ここが有名な場面として登場する『点と線』を思い出したのかもしれない。しかし、なぞっていたのは同じ松本清張の作品でも、それではなかった。かつて読んだ長編推理小説『Dの複合』だったのだ。
『Dの複合』はこんな話だ。小説家の「私」の元に、若い編集者が訪ねてくる。曰く、新しい旅の雑誌で僻地に残る伝説をめぐる紀行文を連載してもらえないかと。私はこの作品を高校生の頃に小説で読み、フジテレビのスペシャルドラマでも観た。この訪ねてくる若い編集者がドラマ『教師びんびん物語』の野村宏伸だ。小説家役は津川雅彦。そして、編集者が提案するとおりに天女伝説の残る山陰地方の土地や、また別な伝説の残る僻地を訪ねるうちに、白骨死体発見に遭遇する。また、連載を読んだと言う、やたらと数字に敏感な見知らぬ女性が自宅を訪ねてきて、小説家も、編集者も気づいていない、旅程に隠された緯度や経度、移動距離の数字の符合を仄めかしてくる。やがて、身近なところで殺人事件が明るみに出る。最初は単なる傍観者であった小説家が気づいたときには連続殺人事件に巻き込まれ、当事者として謎解きせざるを得なくなる。むろん、単なる傍観者が気付けば当事者として巻き込まれているというのが、推理小説を駆動するエンジンであるわけだ。だが、ふとこの小説を思い出しているうちに、私を無意識のうちに地方都市の地下鉄の漏水対策に駆り立てていたものこそ、この小説だったのではないかと思い至ったのである。
「地下鉄の漏水対策についてお話ししませんか?」
と編集者の天野さんから連絡があった時に、これは面白いことになったと直感したのは、『Dの複合』を読んだ古い記憶を喚起したからかもしれない。東京メトロの漏水対策のそれぞれに付与された記号の数字に執着して取材していたのも、ひょっとしたら小説に出てくる数字にやたらと敏感な読者女性を無意識になぞっていたのかもしれない。
福岡(2023年10月)
松本清張の影響を受けていると気付いた私は、ちょうどその次が福岡の取材であることに、胸を高鳴らせずにはいられなかった。松本清張が長く働き、小説家になった土地であったからだ。
福岡市地下鉄のあちこちで目に止まったのは、プラスチック製の漏斗の多用だった。樋とそこからの水を受けて流すチューブの間に、プラスチック製の漏斗が頻繁に用いられていた。漏水がないときには、漏斗よりも下のチューブを取り外してしまうようだ。
他にも特徴はある。例えば、水を流すチューブがわりと太いようだ。札幌ほどの太さはないけれど、東京に比べると随分太い印象である。
他の都市では樋などをビニールテープで天井に固定していることが多いが、福岡では樋に穴を開けて針金を通し、それを天井や壁にネジで固定してあるのが散見された。おそらく、これらの対策は一時的なものではないのだろう。金属製のきちんと固定された常設と、ビニールシートやチューブ、ホースで作られた仮設の中間的な存在、「半常設」と言うべきものだ。
しかし、福岡で何より特徴的であったのは、やはり波板の使用である。漏水箇所をビニールシートではなく、波板で覆い、それを樋や漏斗で受けて、チューブへと流している。
もう一つ、興味深い漏水対策はこれだ。
地下鉄からの出口へと向かう通路の脇には水が流れることを想定した水路があるのだが、この水路は浅く、容量を超えて溢れてしまうほどの水が流れてくるのだろう。出口からかなり長い距離にわたり、水路の上に金属製の水路が作られるという二階建てになっていた。川の上に首都高速が通っている日本橋周辺を思い浮かべた。
博多駅に戻り、ホームを歩くと、波板、樋、それらの針金による固定、そして漏斗から太いチューブという福岡の漏水対策の特徴を集めたような大規模な漏水対策を発見したのでこれは!と心が躍った。
*
各都市で見て回れる時間には限りがあり、すべての駅構内をしらみつぶしに見るということはもちろん出来ていないが、それでも各都市で約1日ずつ割いて、それなりの駅数を見て回った。それらの都市の特徴というものをある程度、把握できたと私は思った。例えば、札幌や仙台や福岡では、仮設の漏水対策はビニールシートなどからチューブやホースへと受け流されていた。一方、大阪や京都では、チューブやホースを使わずに、袋状のビニールで代用されていた。福岡ではビニールシートの代わりに波板が使用されているとか、名古屋では仮設の対策自体が見当たらないという発見もあった。そして、地方都市の地下鉄を見て回り、ある重要な事実を発見した。東京メトロでは1つずつにきちんと付与されている管理番号が、地方都市の地下鉄の漏水対策には1つたりとも見える形では付与されていないということである。
ちょうど10月の末に、もう一度大阪を訪ねて、そのことを再確認していた頃、ふとスマホを開いてみると、奈良にご夫婦で私設図書館ルチャ・リブロを開いている青木真兵さんからSNSの返信が届いていた。そこには、1枚の写真が添えられていた。私が地下鉄の漏水対策を追っていることを知っていた青木さんが、東京を訪ねた際に見つけたものを写真に撮り、送ってくれたのである。
「何駅でしょうか?」とあったので、私は漏水対策が収められた写真から、何駅であるかを推理した。そして、「東西線茅場町駅ですね」と瞬時に駅名を言い当てると、青木さんから「なんでわかるんですか!?」と驚きの声が返ってきた。なんのことはない。壁や柱の色、写り込んだ乗換案内などから割と簡単にわかってしまうものだ。だが、満悦している私の心にふと何かが引っかかった。写真から駅名を当てるために隈なく見たからかもしれない。もう一度、写真を拡大してみた。そして、私はその写真の中にとんでもないものが写り込んでいることに気づいた。漏水対策の脇に今までなら、ビニールテープを貼りそこに油性ペンで書き込まれていた管理番号が、なんと管理番号を記入する専用のラベルに取り替えられていたからである。東京メトロを熱心にフィールドワークしてきたが、そんなものを見たことは一度もなかった。私の知らないうちに、東京メトロで何か大変なことが起こりつつあるのではないか。もう一度、東京メトロを見て回らなければならないと私は思いを強くしたのであった。
(つづく)
【おまけ】
2023年、2024年と2年続けて、1月に京都を訪ねた。2023年1月には袋状のビニールで作られていた仮設の漏水対策は、2024年1月に訪ねると、白いパイプの漏水対策に常設化していた。同じ地点を定点観測すると見えてくるものがある。