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【最終回】手に負えない|地下鉄にも雨は降る|友田とん

 4月末の夜、テレビをつけていると大リーグのニュースが流れた。曰く、大谷翔平の出場するドジャースとダイヤモンドバックスの試合のはずが、球場のネットに大量の蜂が集まったため、安全に配慮して蜂の駆除を行い、試合開始が2時間近く遅れたという。衛星放送での試合中継では、その間蜂の群れが中継されていたらしい。大谷翔平の活躍を観ようとチャンネルを合わせた人々は思いがけず、蜂たちの活動をじっと観させられることになったわけだ。しかし、よく考えてみたら、大谷のプレイよりも、蜂の群れの動きをじっと見る機会の方が貴重かもしれない。そして、蜂の動きをじっと見たことで、以後その人たちは日常でも蜂に目がとまるようになったにちがいない。
 そんなことを思ったのは、この連載を読んだ友人から、最近地下鉄に乗ると、自然と漏水対策に目がとまるようになったと聞いたからだった。それまで存在すら知らなかったものごとも、一度じっくり見てしまうと、それを見つける〈目〉が出来てしまうようだ。
 私は自分の中に地下鉄の漏水対策を見る〈目〉を作り出していた。地下鉄の駅構内で見かける漏水対策が気になって、2023年は東京メトロの駅構内を観察して回り、地方都市の地下鉄も見て回った。そして、東京メトロとは様子の異なる都市ごとの地下鉄の漏水対策の方法を見出した。
 私設図書館、ルチャ・リブロを営む青木真兵さんもそんな〈目〉を作られた一人だったのだろうか? 2023年10月末、青木さんから東京メトロの漏水対策を収めた1枚の写真が届いた。それがどこの駅で撮影されたものかと推理していくうちに、そこにとんでもないものが写り込んでいることに気づいた。これまで東京メトロの漏水対策には、必ずと言っていいほどその傍らにビニールテープが貼られ、その上に管理番号が書かれていた。それが青木さんの写真に写る漏水対策では専用のステッカーに置き換わり、そこに設置日と管理番号が記されていたのである。
 そのような専用のステッカーを私はこれまで見たことがなかった。だが、単に見落としていただけなのではないか? そこで夏の間に撮影した写真を片っ端から確認していった。1枚ずつ拡大して、同じようなステッカーが貼られていないか。そして、安心した。どこにも貼られてはいなかったからだ。

天井のいくつもの場所からチューブが集まってくる/2023.9.24、霞ケ関駅ホーム

 過去の写真を遡って見ているうちに、興味深い漏水対策を1つ思い出した。これは日比谷線霞ケ関駅のホームの銀座寄りにある。ホームの線路際の天井のいくつもの場所から発生した漏水をビニールシートで覆い、そこから接続された宙をわたるチューブが壁のところで筒状のパネルによって1つに束ねられて、地面へと続いている。かなり広範なところからチューブが壁の1点に集まってくる様子が大胆である。まるで大量の矢で射られた人の姿に見え、私はこれを「弁慶の立ち往生」と名付けていた。

チューブが一カ所に集まって束ねられる姿は弁慶の立ち往生を彷彿とさせる/2023.9.24、霞ケ関駅ホーム

 東京に戻った私は、東京メトロを利用するたびに、どこで管理番号用のステッカーと出会えるだろうかと目を光らせていた。社内で管理番号用のステッカーを制作し、貼ることになったのだろうから、もうあちこちに貼られているに違いない。だが、普段の生活圏内ではすぐには見つけられなかった。荻窪駅の漏水対策も今まで通りビニールテープの上に管理番号が記入されていた。ステッカーはまだまだ普及しないのかもしれないな。そう思っていた矢先、池袋駅の構内で管理番号を記したステッカーが貼られているのに遭遇した。日付を見ると、新設されたものだった。やはり徐々にこのステッカーに置き換わっていくのかもしれない。ステッカーが貼られた対策を見て、不思議なことにちょっと寂しくなった。

最近設置されたらしい漏水対策に管理ステッカーを発見/2023.11.16、池袋駅

 むろん、池袋駅にある漏水対策にみなステッカーが貼られているわけではない。副都心線の改札近くの地下通路のドラッグストア前にある漏水対策は、管理番号自体は振られているから、東京メトロ管理下ではあるようだ。しかし、ここはまだステッカーに置き換わってはいなかった。
 ついでと言ってはなんだけれど、池袋駅の東武百貨店の前で、波板を使用した漏水対策を発見した。福岡の地下鉄で見つけた特徴的な対策方法だったが、東京にもあったのでうれしくなった。蜘蛛の巣柄のビニールシートを使用したものもあった。ただ、これらは管理番号が見当たらないところを見ると、おそらく東京メトロ管轄外なのだろう。東京メトロに一元的に管理されていないところにユニークなものが見つかるということが、ここでも確かめられた。

池袋駅東武百貨店前には波板、蜘蛛の巣柄のシートを使用した漏水対策/2023.11.16、池袋駅

 11月の半ば、随分と気温も下がってきた時のこと。千葉でのイベントを終えた帰りに、西船橋駅で総武線から東西線に乗り換えた際に、ホーム上にある大がかりな漏水対策を見つけた。以前ここに来た時にもこれはあったかもしれない。近づいてみると、その柱のところで一カ所に束ねられた漏水対策のチューブの1本ずつに管理番号用のステッカーが貼られていた。

東西線ホームの天井から漏水のチューブが集まってくる/2023.11.19、西船橋駅

 帰りの日比谷線で、ひょっとしてと思い立ち、霞ケ関駅で電車を降りた。あの弁慶の立ち往生のその後を確認するためである。ホームを歩いて行くと、はたしてそこには以前と同じように大規模な漏水対策があり、弁慶の立ち往生にもついに管理用のステッカーが貼られていたのだった。しかもかなりの枚数だ。ついに、弁慶の立ち往生もステッカーによる管理下になったのだ。

ステッカーによって管理された弁慶の立ち往生/2023.11.19、霞ケ関駅

 とはいえ、11月中に見て回った時には、まだこのステッカーのないものの方が多かった。池袋のドラッグストア前も、神保駅のホームやコンコースもそうだった。新規に設置したり、作り替えたりするまではステッカーは貼られないのかもしれない。また、すべてにステッカーが貼られるまでには年月がかかるだろうと思った。

来るたびに定点観測する副都心線改札近くのドラッグストア前/2023.11.24、池袋駅
神保町駅ホームに管理用ステッカーはない/2023.11.25、神保町駅

 ところが、2023年も年の瀬が近づいた12月29日、忘年会で訪ねた本郷三丁目駅のホームに設置された、水の流れる真新しい漏水対策には、管理用のステッカーが貼られていた。そして、年が明けて、2024年1月18日、御徒町駅の階段の天井から設置された漏水対策は、チューブと漏水受けのペットボトルの間が途切れていて、こういうのは珍しいと感心していたが、そこにも管理用のステッカーが既に貼られていた。1月22日、用があって神田に行った際に、改札外には天井にパネル製の3つの漏水受けがあり、それを壁で束ねて流してあった。3つの漏水受けにはそれぞれ①②③などと番号が振ってあり、束ねたところには管理用のステッカーが貼られ、管理番号が記されていた。

真新しい漏水対策には水が流れ、ステッカーが貼られていた/2023.12.29、本郷三丁目駅
漏水のチューブと受ける容器の間が途切れている/2024.1.18、御徒町駅
ステッカーはあった/2024.1.18、御徒町駅
3つのパネル製の漏水対策を束ねる/2024.1.22、神田駅

 2月13日、映画を観ようと日比谷駅で降りて、映画館の方面へと至る出口へ向かうと、ここには大量の漏水対策が設置されていた。漏水が多く、音を立てて流れているところもあった。そして、この夥しい数の漏水対策には一つずつ律儀に管理用のステッカーが貼られ、番号が記入されていた。3月9日には銀座駅の改札近くにある漏水対策にステッカーが貼られているのが見つかった。秋口にはほとんど貼られていなかったステッカーであるが、春までには、むしろステッカーが貼られていないものを探す方が難しいような状況になった。

日比谷の出口へと続く階段の天井から無数の漏水対策/2024.2.13、日比谷駅

 それでも、ただ唯一、なぜか理由はわからないが、私の生活圏内で神保町駅だけは、ホーム上も、コンコースも、出口へ向かう通路にも、ステッカーは貼られていなかった。いったいなぜだろうと不思議に思っていた。4月になって訪ねた時も、ホーム上の漏水対策には相変わらずステッカーは貼られていなかった。しかし、改札内のコンコースの漏水対策にはついにステッカーが貼られていた。こうしてほとんどの場所で漏水対策には管理用のステッカーが貼られるようになった。偶然にも、フィールドワークをしていた約1年の間に、私はこうした管理方法の変化の節目に立ち会うことになった

改札内の漏水対策にステッカーが/2024.4.13、神保町駅

 なんとも可笑しな話だが、地下鉄の漏水対策といういかにもニッチな興味を私が持続させていなかったら、こうした節目に立ち会うことはなかっただろうし、読者にその経過をご覧いただくこともなかった。もちろん、ご覧いただかなくても一向に困る人はいなかったはずである。だが、それにしても、どうして私は地下鉄の漏水対策にこれほど強い興味を持っているのだろうか。その謎が少しは解けたような気もするし、まったく謎のままであるようにも思われる。
 元々、私は電車や鉄道が子供の頃から好きなのだ。よく知られるように、乗り鉄や撮り鉄と呼ばれる人たちがいる。しかし、私自身は電車に乗ることは好きだが、そこまで熱中することはない。では、何に興味があったかと言うと、地下鉄の漏水対策以前から興味を持っていたのは、鉄道の新線建設や改良工事だった。新線建設は文字通りなので説明不要だとして、改良工事とはいったい何であるか説明が必要かもしれない。例えば、上下一本ずつの複線で営業していた鉄道路線が、沿線の人口増加によって輸送力が不足し、混雑しているとする。そんな時、途中の駅に追い越しのための待避線を増設したり、急行と普通電車の線路を分けるために複々線化したりする。あるいは、安全性の向上や、長時間の往来の遮断による交通渋滞の解消のために、地上を走る路線の踏切を廃止しようと、高架化や、地下化したりする。これがいわゆる改良工事と呼ばれるものである。
 ちょうど大学に通っていた頃、通学で使う東急東横線がこの複々線化工事のまっただ中で、営業運転を続けながら、その脇で新しい線路の建設工事が進むのを毎日眺めていた。もともと、子供の頃に地元を走っていた京阪電車の市の中心部分が地下化するのも観ていた。興味がそこへ行くのは単にそれが身近にあったからかもしれない。だが、同じ時期に同じ場所で暮らしていた人たちが皆、こうした改良工事に興味を持つかと言えば、むろんそうとは限らない。だから、私が改良工事に興味を持ったことの謎は謎のままだが、改良工事と漏水対策を並べてみると、何かしら共通点があるような気がする。
 この1年、地下鉄の漏水対策を追いかけていくうちに、私の興味は徐々に漏水対策の管理というものに向けられていった。漏水対策は決して付け焼き刃的にぞうさくされているのではなかった。試行錯誤をするうちに、管理方法が確立し、また実際よく管理されている。その証拠に管理番号が付けられ、挙げ句の果てに、管理番号を記入するステッカーまで導入されたのだ。しかし、方法を洗練させ、よく管理している、ということは、裏返すと、そうしなければ、到底制御しきれないということに他ならない。地下鉄の漏水対策がそれほど、手に負えない代物だということなのである。
 今、唐突にこの「手に負えない」という言葉が思い浮かんだ時、私の中で謎が氷解するような思いがした。地下鉄というものが、建設されて時間が経つと思いもよらぬ地下の漏水に悩まされる。そこには手当が必要になる。自然災害のような壊滅的な手に負えなさではなく、人々がやりくりし続けることでなんとか手に負える形にとどめている。その手に負えないものに向き合っているということに興味がどうやら湧いているようだ。向き合っている人への興味なのかもしれない。
 そこで、私はこの地下鉄の漏水対策を2018年に意識しはじめるよりも前から、似たものを観察していたことを思い出した。なぜ今までそれを忘れていたのか不思議なくらいなのだが、阪急電車の京都河原町駅のいちばん東寄り、高瀬川のすぐ側に出られる木屋町出口へと続く地下通路の脇の水路には、いつも水が流れていた。四条通の北側と南側に対称に作られた出口である。いつも流れているとは言ったが、面白いのは、流れている時もあれば、流れていないこともあり、また水量も日によってまちまちであることだ。北側は流れていても南側は流れていないというようなこともあった。ここを日々通っている人はそれなりに意識が向いていたのではないだろうか。私は子供の頃からこの水の流れが気になっていた。むろん、これは隣の高瀬川からの漏水に違いない。だが、なぜにこうも流れに変化があるのか。大人になってからも、そこを訪ねるたびに、今日は流れているな、とか、今日は流れていないなぁ、などと思ったものである。

昔から木屋町出口の通路脇には水が流れていた/2017.8.18、2018.12.31、京都河原町駅

 そして、ふと私は思った。水が流れているかどうか、あるいは流れている水量、北側と南側の水量の違いで、その日の吉凶を占ってみたらどうか。もちろん、冗談である。冗談ではあったのだが、そんなことを思いついたのには訳があった。たまたま少し前に読んだ小説に長野県などの風習についての記述があり、古くから民家の軒のどこに蜂の巣が出来るかによって、その家の吉凶が占われてきたとあったのだ。そして、軒先の蜂の巣で占えるなら、地下道の漏水の有無で占ってもよかろうと思ったのである。何しろ、蜂の巣にしろ、地下道の漏水にしろ、それらはある種の自然現象であり、その発生は完全には防ぎようのない、手に負えないものであるからだ。
 それにしても、なぜ蜂の巣の出来る場所で人々は占っていたのだろうか。それが吉凶を予言できるからと信じられていたからか。いやそれほど単純なことではないだろう。種類によって蜂は人々に危害を加える。蜂の巣を見つける必要があった。だから、吉凶を予言すると皆が信じることで、人々に蜂の巣の発生に目を光らせようとしたのではないだろうか。吉凶が占えると言われれば、探すのも楽しい。今の言葉で言えば、ゲーミフィケーションと呼ばれるものかもしれない。漫然と見ていては気づかない軒先の蜂の巣というものを、人々に見つけさせるための目を作るのが占いという方法だった。あくまで想像の域を出ないが、そうした知恵が昔から生活の中に組み込まれていたわけである。
 古今東西、世界には無数の手に負えないものがあり、またそれらに向き合う人々がいる。そして、その向き合い方も様々だ。鉄道の改良工事といえば、例えば地上から地下へと線路を切り替える時など、かつては終電から始発までの間に、一晩で切り替わるのを観察するのには劇場的醍醐味があった。改良工事かくあるべし、と思い込んでいた。ところが、2015年から2年間、マレーシアの地方都市に駐在していた時、それが単なる固定観念であったことに気づいたのだ。首都・クアラルンプール郊外では、地方へと延びるマレー鉄道の高速化のための改良工事が行われていた。そこでは複線で営業していた路線の片側を一度潰して更地にし、そこに新しい線路を建設していたのである。日本なら営業している線路を維持した上で工事することになりそうだが、マレーシアでは工事期間中その区間は単線になり、交互運行することになった。むろん、それほどの過密ダイヤではない。しかし、反対側から電車が来れば、手前で待つ必要が生じるため、ダイヤは常時10分くらい遅れていた。ただ、それだけと言えばそれだけだったのだ。ああ、こういう改良工事の方法もあるんだなと私は思った。東京でも最近では、終電から始発までの数時間でアクロバティックな切り替え工事を行うことは少なくなり、週末2日間、切り替え工事のために運休することも増えたような気がしている。

車窓から見える更地の上部には架線があり、そこが本来線路のある場所だとわかる/2016.8.18、マレー鉄道

 約1年間にわたり、地下鉄の漏水対策を追う、ごく私的なフィールドワークにお付き合いいただいた。そして、その興味の源泉には、「手に負えない」ものと、それに向き合う人々がいたのだと気づいた。当事者は途方に暮れたり、困っているかもしれないが、普段その活動する姿はほとんど見ることができない。私は造作された漏水対策を通じて、その手に負えないものと向き合う姿を愛でていたのだ。そう言葉にした途端に、日々暮らしている街でも、ニュースでも、そして読んでいる本でも、あれもこれもと手に負えないものたちが飛び込んでくるようになった。私はそれらを嬉々として観察しはじめている。
 気づいていないだけで、手に負えないものは、日々の営みの至るところにある。日々の営みというのは、言い換えれば、手に負えないことと向き合うこと自体であるのかもしれない。だからといって、日々の向き合いを手放しに礼賛していればいいとは思わないし、また完全に解決してきれいさっぱり失くしてしまうのがいいとも思わない。では、どういうふうにしたらいいのだろうか。簡単に答えは出ないが、ずっと私はフィールドワークを続けながら考えているのだ。
 少なくとも、「手に負えない」というキーワードが浮かんだことで、次はあれを、その次はこれをと、観察したい「手に負えない」ものを思いついている。フィールドワークを繰り返していくことで、手に負えないものたちとのちょうどいい向き合い方を私は見つけていきたい。

(了?)

連載趣旨
数年前、駅でたまたま目にした地下鉄の漏水対策に心を奪われた著者。この光景は、どのように私たちの前に現れるのか。なぜこの光景に、ここまで心惹かれてしまうのか。実際に歩きながらその理由わけを考える、友田とんによる極私的なフィールドワーク連載。

注記:写真はすべて著者が撮影したものです。鉄道の安全運行の妨げや利用者の通行の迷惑にならないよう、細心の注意を払っておこなっています。利用者の写り込みにも極力気を付けていますが、漏水対策の全体像を記録するためにどうしても避けられない場合は、ぼかしを入れました。

著者:友田とん(ともだ・とん)
作家・編集者。ナンセンスな問いを立て日常や文学に可笑しさを見つける文章を書く。 代わりに読む人代表。京都府出身、博士(理学)。2018年に刊行した自主制作書籍『『百年の孤独』を代わりに読む』を全国を行商して本屋さんへ営業したのをきっかけに、ひとり出版社・代わりに読む人を立ち上げ、独立。自著『パリの ガイドブックで東京の町を闊歩する1・2』のほか、『うろん紀行』(わかしょ文庫 著)、『アドルムコ会全史』(佐川恭一 著)、文芸雑誌『代わりに読む人0 創刊準備号』を編集・刊行。 著書に『ナンセンスな問い』(エイチアンドエスカンパニー刊)、『ふたりのアフタースクール ZINEを作って届けて、楽しく巻き込む』(共著・太田 靖久、双子のライオン堂刊)。敬愛する作家は、ガルシア=マルケス、後藤明生。

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