「忘却されつつある歴史」に属する本|隠岐さや香さんが選ぶ「絶版本」
今、地球上で最も読みづらい本の一つは、20世紀後半の日本の絶版本である。そのことを実感する機会がつい先日訪れた。
近年は古い貴重な書物ほどオンラインで読めるという矛盾した状況になっている。私は18世紀フランスの科学史が専門だが、18世紀に出版されたフランス語の本はそういう状況である。特にGoogle Booksが激しい勢いで書物をデジタル化してしまったこともあり、当時の新聞や雑誌を除けば、大半の刊本はネットで読めるという感覚がある。
しかし20世紀の書物となると、著作権の問題があるので原則としてオンライン公開されない。無論、言語ごとの差もある。英語、フランス語は最近の本でも最初の数ページくらいはGoogle Booksかオンライン書店のサイトで読める。だが、日本語の本はあまりそうなっていない。詳しい事情はよく知らないが、事実としてそうなのだ。
前置きが長くなった。2020年10月、私は科学史家である伊藤憲二さんがSNSで呟いていた情報をきっかけに【註】、『學問・思想の自由のために』(北隆館刊行、昭和25年)という本に興味を持った。著者は亀山直人・我妻榮・羽仁五郎・大内兵衛・坂田昌一・末川博という様々な分野の研究者である。内容は1950年2月21日毎日ホールで行われた日本学術会議の講演記録だった。
当初、その本を真面目に読むつもりはなかった。ただ気になったので、最初の数ページくらい、あるいは最悪でもスニペット表示(画面では数行程度の表示になる)ででも見られたらよいと思い、まずGoogle Booksで検索した。
だが、驚くことに全く中身が閲覧できない(2021年6月25日現在も同様)。そこで複数の論文検索サイトに飛び、誰かがこの本について論文を書いていないか調べた。論文があれば大抵、本文の一部引用や、最低でも概要の解説くらいしてくれていることが多い。そうすれば適当に読んだ気になれるだろうと思ったが、それでもやはり見つからない。
仕方がないので古本屋関連のサイトに行った。買うことも視野に入れたのだ。しかし値段を見て迷った。数千円程度で買いたかったが、その時は想定より一桁大きい額が書いてあった(私は日本語の古書市場に疎い)。しかもタイミングが悪かったのだろう。探したときはストック切れであった(2020年11月末当時)。この時点で中身を一文字も見ることが出来ていない。私は欲求不満に陥った。
なお、本が好きな人、あるいは研究者であればここで奇妙に思うことだろう。図書館はどうしたのだと。もちろん調べた。幸いにも勤務先の名古屋大学の法学図書室にあった。自分の研究室の隣の建物である。素晴らしい。だが、貴重書扱いで、数日前に予約しなければならないようだった。
そこで私はまた迷った。専門の研究に関わる文献なら迷わず予約する。それどころか数十万使って海外調査に行くことすらしている。だがその時、私は隣の建物にある図書室を予約する手間を取ることをためらい、先延ばしにした。純粋な趣味でもなく、かといって仕事のためともいいきれない読書のためにかける手間を惜しんでしまったのだ。
そうしてずるずると日が過ぎていたが、ある日、私は決心した。やはりあの本を読みに行こう。そして、2021年3月2日に閲覧予約をした。
その本を手に取ったときの感情を上手く言い表すことができない。本業が18世紀の研究者であるせいか、私は1950年という日付を「最近のこと」と認識していた。なんせ自分の親世代が知っている時代。実家の押し入れから見つかる文物と同じ時期のものが貴重書扱いだなんて、という傲慢な感覚すらあった。
しかし、目の前にうやうやしく差し出されたその書物を見て、その侮りは消えた。それが間違いなく、貴重書のオーラとしか言いようのない雰囲気を持っていたからだ。物質的な脆さを感じる姿であったこともその感情を助長した。表紙はソフトカバーで柔らく傷つきやすい。背表紙もすぐに壊れそうだ。ページの紙も赤茶色の染みがあちこちについて変色している。
内容についても述べよう。一読したとき直感的に思ったのは、この本がいわば、「忘却されつつある歴史」に属するものだということである。それは失われつつある集合的記憶の一端である——ようにみえた。
先に述べたとおり、同書の内容は「学問の自由」について行われた講演会である。そして、歴史家の羽仁五郎は次のように述べる。
背景を説明すると、日本学術会議は日本のナショナル・アカデミーと呼ばれる組織であり、学術団体同士の交流促進事業や政府への提言などがその任務である。同組織は第二次世界大戦後間もない1949年に設立された。そのため、一般的には「戦後の組織」として紹介される。
だが、羽仁はここで自分たちの講演会を明治から続く記憶、それも具体的な集会の記憶と結びつけてみせている。私にはそのことが意外だった。戦後というと過去からの断絶、再スタートというイメージがあったので、その体制を作った世代の人々が明治からの継承性をここまで強く意識していることに驚いたのだ。
つまり、先人が記憶を引き継ごうとしていたのに、自分のような後の世代は完全に忘却している。そのことに気づかされたのである。
なお、この本全体に福澤諭吉の精神を継承しようとする意識がみられるということ自体は、冒頭で言及させていただいた伊藤氏も驚きと共にSNSで語っておられた。伊藤氏は日本の科学史を研究しており、そのような専門家だからこそ、かろうじて記憶の糸をつなぐことができたのだろう。私はその示されたか細い糸をたどることで、この羽仁の記憶とようやく出会えたのである。
羽仁が何故そのような考え方をしたのか。それは次の言葉からも伺うことが出来る。
羽仁にとっては、学問・思想の自由を勝ち取ることが一種の「革命」の達成であった。また彼は、それが明治の初めに福澤諭吉やその周囲の人々が願い、一旦は頓挫した悲願でもあると考えていた。そして、1950年2月21日に、彼はその「歴史的事業」の達成地点に立っていると考えたのである。
なお、「民主主義的平和革命」という表現には、近年の日本史研究では非常に不人気で、かつ私の世代(1975年生まれ)がもうあまりよく理解出来なくなってしまったマルクス主義史観の影響が強く出ている(羽仁は実際、明治維新を近代日本の「起原」とみなし、「革命」の一種として捉える歴史観を持っていた)。この点は深入りしない。
ただ、ここで最後に書いておきたいのは、同書が伝える誇りと希望に満ちた言葉の数々を読みながら、私が少なからず複雑な気持ちになったということだ。私はすっかり彼らのことを忘れていた。そして、そのことを象徴するように、「学問と思想の自由」を誇った先人の記憶をつめこんだこの本も、人々の手に入りづらいものとなっていた。存在するわずかな本も静かな図書室にしまい込まれ、普段は忘れられている。その事実が意味することを改めて、考えさせられた。
1950年は70年前であり、それはもはや歴史である。第一次世界大戦が終わったとき、ヨーロッパの人々は1848年の二月革命のことを70年前として想起し、歴史を紡いだ。私たちは歴史を継承していけるだろうか。
『學問・思想の自由のために』は私に重い問いを突きつける本であった。
【註】伊藤氏のツイートはこちらより(投稿日2020年10月27日、最終アクセス2021年6月30日)
(写真=筆者提供)