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歌人見習いが車の免許を取るまで日記 その6

午前の教習を終え、帰ってヒルナンデス見ながらお昼を食べ、天気も良いし午後は電車で出掛けてみることにした。

電車で40分かけて向かうのは小野田サンパークというショッピングモール。ここにはスタバがある。そしてここが、家から一番近いスタバなのです。

二輌編成の電車に揺られながら、どうやらこの先乗り換えたほうがいいらしいことが分かり、しかし乗り換えのシステムが分からず車掌さんに聞く。切符は運賃箱には入れず、そのまま降りて次の電車を待てばよいとのこと(田舎の駅にはスイカもパスモもないのです。それどころかほとんどが無人駅)。
ワタシのほかにはだれも降りないみたいだけど、そうですかありがとうございますと言って電車を降りる。

さて次の電車はいつ来るのかしらと思って調べてみると、なんと一時間半後ではないの。車掌さん、なぜ一言聞いてくれなかった…!と心の中で責めながらもまあ。急ぐわけではなし、天気もよいしホームのベンチでただただ待つことにした。こんなこともあろうかと本も二冊もってきた。

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話は遡ってはじめて運転をしたときのこと。

運転は、マリオカートではない。運転するのはヨッシーではなくこのワタシなのだ。今、このハンドルの質感を知っているのは他の誰でもないワタシであること、それがワッとやってくる、そのことをまるごとひしと受け止めることができるなら、きっとあなたは運転できる。ダイジョーブということを偉そうに書きました。

しかしまあ。その実感のうえに技術というものはもちろん必須であり、それがまた、ほんとーに大変なことなのですネ。

車にいざ、乗り込むまでにも安全確認があったりなんだりするのだけどまあなんだかんだで乗って、鍵をロックし座席、ミラーを調整しシートベルトを締め、エンジンをかける。
エンジンはキーを奥に回すとブルンといってすぐかかる。

さあそしてギアをドライブモードにしてハンドブレーキを解除し、ブレーキペダルから足を離せばいよいよ車は動き出す、のだけどここで。まじで大変なこと。

もう車、これはホントにとんでもないことだと、今でもものすごく怒っているのですが、なんと、ブレーキペダルのすぐ隣にアクセルペダルがあるではないの…!
そして左足は使わず、右足でつねにブレーキとアクセルを踏みかえるというんである。

なんという愚かな設計なのだろうか。

こんなの冷静であっても10回に7回くらいは踏み間違える気がするしこれがパニック!状態になったらもうどうなることだろう。
なんでホントこんな作りにしたのか、ワタシは今でもこの事実が信じられない。
個人の感覚としてはたとえば左足をブレーキ、そしてアクセルは右手で操作、くらいの違いをつけてほしいものである。まあ右手はハンドルでふさがっているから無理だけどそれなら頭上にアクセルを設けるとかなんでもあったろうと思う。いっそ頭上のほうがよかった。アクセルとブレーキ、操作はせめて違う部位でやらなきゃ間違えるよ。そしておっといけねえ、では済まないこの恐ろしさ。

こんな風に世間、社会ではマアこうなってんすよ、なんでこうなってんのか分かんないけどこーゆー仕組みだから受け入れるしかなんすよ、みたいな一個の人間には到底抗えない諸々、というのに遭遇することは生きていればままあって、そのたびにどうしようもなく絶望するのだけど、久しぶりに絶望しました。

それはたとえばスクールカースト、サラ金、ラブホテル、ペットボトル、注射。

ほかにも色々ありそうだけど思いつく限りはこんなラインナップでお分りのようにどれもこれも絶望のシロモノである。これらは人間が作ったもので、だからこそなんとかならないの、と怒る対象があるのに対してさらにもっと恐ろしいのは、もう「はじめからそうなっている摂理」というやつで、その最たるものは、紛れもなく「死」そのものだ。

とまれ、恐ろしい事実に打ちひしがれながら、ゆっくり走行する。時速10キロくらいであればさほど苦労せずに運転できるものの。実際の車道に出ることを考えるとめまいがするような、そんなあんばい。

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そして、そろそろやっと電車が来るみたいです。なむさん。


目がさめるだけでうれしい 人間がつくったものでは空港がすき (雪舟えま)

#エッセイ #コラム #日記 #運転 #車 #免許 #短歌 #暮らし

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