見出し画像

[連載小説] 「青春の外堀 -TOKYO1980」第四話<神宮外苑>

第四話『神宮の杜、チャンス外堀♪』

飯田橋の話の続きだが、うちの学校は別名「飯田橋体育専門学校」と呼ばれていた。体育会の人たちはみんなすごい人たちばかり。今の基準はわからないけど、僕らの頃、推薦入学のためには、各競技のインターハイベスト4以上だと言われていたから、とんでもない人たちだ。その人たちのうちの代表の一つが六大学で有名な野球部。田舎者だった「かしゆお」は、テレビで見ていて、学生らしくて楽しそうで、とっても憧れた。神宮で応援をしたかったのだ。応援がなんだか好きで、でも正しくいうと応援を見るのが好きなのだ。ちょっと話がずれるが「旗」も好き。昔から戦国時代がやたらと好きなのだが、「旗印」もすごくかっこいいと思う。上杉謙信の「毘」とか、真田の「六文銭」とかが有名だが、わけのわからない石田三成「大一大万大吉」もなんかすごいと思う。戦国時代川中島で遠くから「毘」の大旗が見えたら「うああ、上杉景虎(謙信)だ!!」と。味方ならこれほど心強いものはないし、敵ならさぞかし怖かっただろう。というわけで、野球だけではなく、応援とか旗とかその学校の文化の対決みたいなものに、なんだかワクワクした。比較文化という学問分野があるがそういうのに惹かれるのだ。

「スポーツ外堀新聞会」略して「スポソト」に入部したかしゆお。先輩に連れて行かれた事務所にいると、別の先輩らしい人が帰ってきた。『いやいやいやいや、今日は本郷大に負けちゃったよ、今年の本郷大は強いよ』と言って次に、我々に気づいて『お、新入生か、早速だけど明日も試合あるから神宮に行こう』と声をかけてくれた。『はい』と一年生らしくお返事をする我々。その時入部を希望していた一年生は4〜5人いたと思う。次の日の待ち合わせはJR「信濃町」駅の歩道橋の下のところ。そこから先輩達に連れられて、神宮球場へ行った。途中「絵画館」という立派な建物があったり(最初見たとき国会議事堂かと思ったw)、綺麗な銀杏並木があったり、「かしゆお」は初めて見る東京のいろんな景色を眺めながら歩いた。さて、神宮球場、学生席という応援のための席に連れて行かれる。応援団の人たちが凄かった。ザ・ヤクザ。頭に剃り込みを入れて、それはそれは怖い感じ。4年の幹部は「神様」、3年生でようやく「人間」。二年生と一年生はどんな存在か。ここではいえません。入ったばかりの一年生は、何やら叫びながら、応援席を走り回っていた。『皆さーん、大きな声で応援よろしくお願いいたします(泣)、じゃないと私がまた殴られます!(泣)』と叫んでいた。時々、一年生がどこかに連れて行かれる。スポソトの先輩曰く『今、一年は殴られに行ったぞ、でもお前さんたち、心配するな、援団は一般の学生には手を出さないから』(そりゃそうだろ)。応援団は援団というんだ。うわ、面白い。ちなみに、応援団は、試合に負けると自分らの応援が足りなかったと、全員で神宮球場の周りを叫びながら走り回っていた。(ご苦労様です。僕らの応援も気合が入ってなかったです)。そんな感じで「かしゆお」はどんどん面白くなっていた。校歌とか応援歌を紙を見ながら歌う。手拍子もする。最初は恥ずかしかったが、援団の方たちが怖いので、なんとか頑張った。『ほら、これが一番盛り上がる曲、チャンス外堀』。一緒に行った一年生のスポソト部員の中で、付属校出身のやつが教えてくれる。ちょっと自慢げ。今の言葉で言うと上から目線。付属校の人たちは高校の頃から同じ校歌や応援歌だから、知ったかぶりで少しいやな感じ。でも、この応援歌が「チャンス外堀」か、甲子園の応援でも聞いたことがあるぞ、あれはうちの大学が元祖だったのか。ちょっと嬉しい感じもした。ここで付属校の人たちのことを少々。うちの学校には付属が三つあって、一高と二高と女子校。うちのクラスには特に二高からきた人たちが多かった。40人ぐらいのクラス(一応A組とかB組とかクラスがあった)に15人ぐらい二高がいて、「そとじょ」と呼ばれていた「女子高」出身の派手目の子たちもいっぱいいた。彼ら彼女らは、みんな顔見知りだから、我がもの顔で騒いでいて、僕ら大学から入った組は、みんな一人一人だから、すごくアウェイだった。というのも最初の最初だけ、本当はみんないいやつばかりで、すぐ友達になれた。少したってから、彼らと話したら、『怖かったんだよ、受験組が。高校の時俺ら何にも勉強してないから、受験組が怖くて怖くて』、で付属だけで最初は固まっていたらしい。でもそんな感じはほんと最初だけだった。このへんは、うちの学校のいいところだと思う。名前は言えないが、どこぞの有名「なんとかかんとか大学」に入った高校の同級生に会った時に「よ、なんとかボーイ!」と呼ぶと、「それは下からの人たち、俺らじゃ全然ダメだよ」と言っていた。付属と大学からでは色々違うらしい。僕らは田舎者すぎて、そんなこと全然知らなかった。ちょっと話が違うが、後年何かで読んだけど、京大を出て東大の教授になった人が「入学試験って、結局相性試験なんですよ、東大京大って並べていうけど、入る人の学力はそんなに違わないのかもしれないけど、性格とか雰囲気はだいぶ違う。東大に受かる人はどこか東大らしい。京大に受かる人はどこかやっぱり京大らしいんですよ、不思議に」というふうに言っていた。うちらとはレベルが違いすぎる話ではあるがちょっと真実かもしれない。ということで、うちの学校の人たちは付属組も大学受験組も、何か大きくは似ている人たちなのかもしれない。そういや、うちの学校の入学試験、いつもは苦手な英語の長文が、なんだかすごくスラスラわかった気がした。なんだ相性試験だったんだ。(写真は、国会議事堂ではなく絵画館)
                              毎週土曜日更新

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?