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[連載小説] 「青春の外堀 -TOKYO1980」第六話<学問の自由>

第六話『あの頃、大学の授業なんて誰も出なかった』

1980年代の学生は、すくなくとも『かしゆお』のまわりの人たちは、大学の授業なんて行かなかった。正しく言うと語学以外は。そのほかの講義はほとんど出たことがない。別に豪快な無頼な学生を気取っているわけではない。最初の頃、授業には一回か二回は出たと思う。でっかい教室でおじいちゃんみたいな先生がすごく遠くで、ボソボソ何か言っていたような感じだったが、全く聞こえないし、ほとんどの学生は寝ていた。こんなの出たって意味がない。俺らそんなに暇じゃない。社会学部だぞ。授業に出るより、色々社会を勉強した方がいい。みんなそう思っていた。今は全然違うらしい。結構大学は授業に出ないといけなくなったみたいだ。平成の時代になって、義理の父が亡くなった時、甥っ子が「今日、大学を休むって、電話しなきゃ」とか言っていて驚いた。「かしゆお」たちの頃、そんな授業を休むとか、大学に電話をするなんてなかった。しかも親に電話してもらおうとしていてびっくり仰天だった。なんだそれは。大学というものが、「かしゆお」たちの頃とはまったく違うものになっているようだ。その頃の大学は、授業なんて出ても出なくても、どっちでもよかった。それが「学問の自由」というものだw。授業にまったく出なくてもそれでも単位は取れた。試験も受けた気がするが、全く覚えていない。そんな時代だった。理系は違うと思うし、文系でも国立大学は違うのかもしれないが。実際その当時教授が言ってたもん、「今のような明治時代からの変わらぬカリキュラムではだめだ」。俺らが卒業してから、それで随分変えたのかもしれない。とにかく大学では全く勉強しておりません。(一冊だけ読んだ気がする。「プロスタンティズムの倫理と資本主義の精神/アダムスミス」。
→このnoteを読んでくれた友達に『マックスウェーバー』だと指摘された。あっそうか、でも、どうでもいいや。

業界用語で「プロ倫」と呼ぶらしい。プロテスタントが働き者で、利益を上げることに罪悪感がなかったから資本主義が生まれただと。そんなことないだろ。そう意味でないなら、すみません。何ページか読んだだけなので)。

語学は別だった。英語と第二外国語でとったフランス語だけは、出席しないと単位が取れない。語学の単位が取れないとまじに進級できない。その代わり本は読んでいた。私立文系の学生たるもの、一日一冊読むと決めて実行していた。でもそんなに大変なことではない。時間はあるのだ。問題は面白いかどうかと言うこと。よく長い文章なんて誰も読まない、なんていう人がいるけど、中身の問題だぞ。面白ければ読むよ。これこんなにお面白いけど、まだまだ続くよな、終わらないよな。なんて気にさせてくれる本もあります。とにかく、普通の講義は意味がないから出なくていい。その分の時間を自由に有意義に使いなさいということだと思った。それが、あの頃の大学。

で、授業に行かなくて何をしてたんだろ。夜週3回は四ツ谷でバイトしてた。週末は神宮に応援に行ってた。語学は出てた。それ以外何をしていたんだろう。「スポソト」の活動はしていた。野球部の担当は花形だから、エースみたいな先輩がやる。その先輩の同級生には、野球部の主軸、三番を打っている人がいた。「かしゆお」が高校2年生時の夏の甲子園で、逆転に次ぐ逆転で、全国制覇した高校のエースピッチャーだ。大学ではバッターに専念していた。そんなスターが、事務所に来てくれた。僕らはTVで見ていた大スターを目の前にして、ただのミーハーになって憧れて見ていた。有名人にも目の前で会えるし、またまた東京っていいなだ。一方。「かしゆお」はテニス部の担当になりたいと言った。高校時代漫画の「エースを狙え」が流行っていて好きだったからだ。岡ひろみやお蝶夫人が出るやつ。テニス部は、野球部やラグビー部に比べればややマイナーだが、監督は元デ杯の監督だったし、選手の人も子供の頃イワンレンドルと一緒にマイアミで練習していたというようなエリートもいた。「かしゆお」は、そのレンドルのお友達の人に取材を申し込んだり、試合を見に行ってたりする間に、変に気にいられて(2コ上の先輩だけど)、『俺のラケットやるよ』とか言われて、いっぱいもらったりした。「かしゆお」は、どこか生意気なところがあるのか、ほんとはそういうのと少し違うんだけど、体育会的な縦関係の先輩後輩みたいな感じが苦手だった。というか、なんか嫌われるところがあった。でもそのテニス部の強い人は、ちょっと変わった人で、「かしゆお」のことを自分に似たちょっと変わったやつとして可愛がってくれたのかもしれない。なんでも相性なのだ。で、テニスを見るのも好きになって、大学の試合以外にも全日本選手権なども見に行っていた。東京体育館とかに。井上悦子選手とかの時代だ。「かしゆお」は悦ちゃんの大ファンになった。スタイルいいし、足速いし、ショートカットでかわいいし。その頃はテニス界も、アットホームだった。試合が終わった選手が、僕らのそばで試合見てたりする。悦ちゃんもすぐそばにいたりした。授業なんて出ないで、一日中、東京体育館にいる。何してたっていいんだ。なんとも、自由で、贅沢だった。このころは、将来スポーツジャーナリストなんて、いいなあ。なんてことを、少しは考えていたかもしれない。

(写真は、現在の江戸城外堀)
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