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あさにっき163


おはようございます☀


昨日は5時まで眠れなかったな。椅子の上で昼寝をしたからだ。スナフキンみたいだ。


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私は高校の時、すごくキラキラしたグループに憧れてその一員になりたくて必死に自分を変えました。無理していたつもりはなかったけど、順調だと思っていました。いわゆるキャラ変。


2年生になった時、そのはじまりの1日目から、私の高校生活は終わりました。その日からある事実を知って、私は相談できる人を失い、孤立し始めたのです。



それから今までずっと「私が〇〇したいという願望を持って行動しても工夫しても、上手くいかないし、私には悪影響なんだ」という構造が頭にできあがりました。他人に正解を求める自分の出来上がりです。



そうして10数年生きました。学校もやめればいいと思ったし、それなりに学んで努力工夫して消化してきました。それでもなお、願望を自由に持てない私がいるんです。私の願望は、これからに悪影響があるんだ、と思っている。



今回は珍しく、そんな私を責める気持ちにはなりません。むしろ、慰める感じでした。

果たして、悪影響ばかりなのか?

いいえ、事実は違うと思います。しかし、他人の許可「これでいいよね?」「これなら文句言われないよな」「ちょっとダメそうだな」これらに従ってきたわけですから、まぁある意味私の願望ではあるんですけど、純度が低いんですよね。汚れてしまっている。




事実は関係ないわけです。

記憶が私を支配している。

この構造を壊していかなければならない。




悪影響、たしかにあるかもしれませんよ。でもないかもしれません。ありそうかも、なさそうかも。

どちらも可能性があるわけです。

それらの可能性を受け入れた上で、願望に従う。他人の許可ではなくて、自分の願望の純度の高いままで従ってみる。



そうやって経験していきませんか?


知識を利用してでも、自分で感じて自分に対する影響を自分で取りに行くべきだと思います。

そしたら人生が、面白くなると思う。



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