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あさにっき116


おはようございます!

昨日はコンディショナーを落とすのを忘れたままお風呂を出てしばらく髪の毛を蒸し状態にしていたので、トゥルトゥルの髪のカシノキです。笑


最近目覚ましが鳴る15分くらい前に目が覚めます。
何だか少し嬉しい…


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みなさんは「決断」って得意ですか?
私はお恥ずかしいですが、もう本当に苦手です。
できない、いや、自覚してしてこれたことはないんじゃないかな?というレベル…

今まだ、決断できずにいます。



なぜ決断できないのか、考えていました。
「何かを選ぶということは、自分の可能性を絞ってしまうこと」そう思っているんですね。

でも、私自身は、「何かを選んだ先の景色」を求めている。このズレが、苦しいのです。



何かを選ぶということ。
それは本当に可能性を絞ってしまうことなのでしょうか?
あるブログでは全く逆のことを書かれてきて、
「選択しないということは、無意識に自分の可能性を捨てている」と。



どちらも言い分が理解できる。
選択することが…というのは、一つを選んでいくということは、他のものを捨てる断るということ。
とすれば、一つを決めた後に「やっぱりこっち」は許されない。
本当は許さないことはないんですが、決めたのなら突き進むべきだという考えです。
だから、選ばない方が可能性があるように感じられる。


選択しないこと…というのは、選択した後の景色を捨てる断るということ。
決めないとそこには辿り着けない。ずっと山を選ばないまま、麓でどうしようどうしようと、山を選んでいる。気がついたらみんな、その山を登り終えて、次の山へ向かっている。
それはきつい。



さて、朝からこんなことを考えている。

選びたいんです。選びたい。
自分の人生だから。
でも、「自分の最善のタイミングで選択したい」と思っているんです。

失敗したくないのかな。
あの時選んでよかったというタイミングで、あの時じゃないとというタイミングで、その選んだ自分を未来で肯定できるか。
こんなことを、探しているんだと思います。




それ、考えて、探して、見つかるものだと思いますか?
水晶玉を覗いているわけでもあるまいし。



どうしますか、選択。


もうそろそろ登り始めるタイミングでは?
登りきらなくてもいいんですよ。
その目標も、自分で決めていけばいい。

でも、いろんな山を自分の力で登って見たほうが、人生は豊かになるのではないかと思うのです。
登らないなら、登らなくてもいいけどね。

選んだなら、一生懸命目の前のことを面白がればいいんじゃないですかね。
怖いですか?それでも選ぶのが、怖いですか?


では、始めましょう。





◎昨日のつぶやき

腸よ、快活になっておくれ。

私の意識よ、これから意志を持てる人間になりたいから、飾らず自然な人間でいたいから、それに少しでもいいから近づいてくれ。

変わって欲しいけど、変わらないで。
変わらないで欲しいけど、変わることもして。
調子には乗らないで。私。

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