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地獄のワンオペ育児スタートの瞬間

何者かになりたくて

答えのない日々を探す作業は結婚後も同じだった

初めての出産育児に追われ

何者にもなりきれないまだ若い私は

子供を産み育てることにあまり関心はなかったかもしれない

結婚願望もなく、子育てへの熱意もないまま

流れに身を任せてしまった結果

こんなにも大変なものかと

後になってわかった

前職は育休を取っていたが

出産後半年で復帰する気にはなれず辞職。

せめてこの子が1歳になるまでは

この大変な子育てを頑張って

妻としても家のことをこなそう。

そう思っていた

就職はまたすればいい。

そう思っていた

1年が過ぎ、いよいよ何者かになりたい欲が再び湧き上がり

いてもたってもいられない日々が押し寄せる

今とそう変わらない「何かをしていないと毎日が黒いクレヨンで

描き殴られている感じ」の日が週1からどんどん毎日へ

ペースアップされていく

幸いその時代は好きなタイミングで

まだ保育園に入れることができた

さぁ私の再出発だ

就職活動再開である

25歳一歳児あり。キャリアはまだまだ。

私の売り文句はあまり通用するほどではなかった

グラフィック志望で3社落ちた

面接で子供のことを聞かれた

そうだよね。まだお熱が出たりするものね

ほんの15年前の話だけど

子育てママのフルタイム勤務には高い高い壁があった

というよりも、私のスキルもキャリアも世間知らずにも

問題ありだったわけだ

見かねた義理の姉が会社に口を聞いてくれて

見事入社。飲食のグラフィックのお仕事(ポスター、チラシ、メニュー作り)にありつくことができた

ほんとにありがたい。ありがとうございます


ここまで書いてきて、色々当時を思い出していたんだけど

主人の思い出は全然出てこない

私は主人に相談していたのだろうか?

ひとつひとつ進めていくのに、主人とよく話し合っていたのだろうか?

私たち夫婦に相談、とかよく話し合うとかいう概念があまりなかったように感じる

夫婦なのに。

もしかしたら相談していたかもしれない

だけど、結果私の人生だし

主人はあまり意見を話すタイプじゃないし、なんだか私に無関心だし、元々話す癖もあまりないし

という感じで何事も一人で決めていってしまった感じがある

この小さな積み重ねで夫婦にはすれ違いが起こるのだろう

ここから私の地獄のワンオペ育児が始まる

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