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五行歌の中にめざめる世界

 こんにちは。南野薔子です。
 岩波新書『詩の中にめざめる日本』を読み、五行歌について思ったことを。
 
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 岩波新書で先頃限定復刊された『詩の中にめざめる日本』(真壁仁編)を読んだ。1966年に出版されたもの。
 編者の真壁仁氏が最初に「民衆は詩人である -序にかえて-」という長く熱量のある文を寄せていることからも見えるように、この本は「民衆」が書いた詩を集め、それに真壁氏の解説を添えたものである。いわゆる著名な詩人の詩も含まれているが、そうでない詩が多い。そして、詩としての完成度というよりは、内容の力強さといったものを基準に選んでいるようだ。 「民衆」とは何か、民衆とそれ以外に境界線はあるのかなど、ことはそう単純ではないと思うが、とにかく、この本には、社会、生活、戦争、政治、風土、といった、いわゆる実感に根ざした詩が圧倒的に多い。浜口国雄「便所掃除」、小幡周太郎「出稼ぎの歌」、大江満雄「あの人たちの日本語を杖にも柱にもするな」、八島藤子「私は広島を証言する」、野田寿子「月経」、丸橋美智子「みんな同じ人間なのだ」、と、いくつかの詩のタイトルを挙げるだけでも、その傾向は伝わるかと思う。方言での詩もある。高木恭造「冬の月」「夜明け」「百姓」は津軽弁、野里竹松「陳情口説」は(当時まだ日本ではなかった)沖縄の方言で書かれており、そのことが詩の持つ力に大きく関わっている。
 
 この本が成立した当時と、五行歌がそれなりに広く書かれるようになった昨今とでは時代に若干の隔たりはあるものの、この本にあるような、実感としての力強さを持つような内容を盛り込むのに、五行歌は非常に適しているのではないかと思うし、また実際、そういう歌を得意として書いてきた方もたくさんいると思う。たとえば、五行歌秀歌集4の目次で云えば「生活」「災害・災禍」「土地・風土」「社会」「介護・命」「歴史」といったあたりの章に、この本の系譜につらなるような歌が多くあると思う(もちろん、単純にテーマで割り切れるものではないので他の章にもあるだろう)。また、栢瑚では、白夜さんの闘病の歌、水源純さんの子育ての歌などもこの生の実感としての力強さの系譜にあると思うし、以前取り上げた鳴川裕将さんの『配達員』(市井社)も職業詠としてこういった系譜に連なると思う。他にもよい実例はたくさんある。方言が特徴的な五行歌もある。
 五行歌は詩型としていい意味で素朴だ。五行という以外に制約がなく、また、五行という一目で把握しやすいサイズ感もあり、実感をシンプルに切りとって盛り込みやすい。ある程度のヴォリュームであらわしたい内容であれば、連作にすることも可能だ。月刊「五行歌」誌に特集として16首(以前は歌の数が自由な時期もあったが)まとめて載る作品群には、何かしら一つのテーマに添ってそういった力強い内容をあらわしているものも多くあると思う。
 
 という私自身は、そういう歌は全く書かないのだが、それぞれが、書きたいこと、得意なことを書けばいいわけで。ただ、こういう実感を盛り込む器としての五行歌が、もっと知られて、多くの人が書くようになって、いわゆる五行歌畑の人からだけではない作品を集めて「五行歌の中にめざめる世界」といったアンソロジーがそのうちできたらいいかもなんてちょっと思ってみたのだった。

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