見出し画像

過ごすから生きるへ。

将来のことも踏まえてお付き合いしてた相手が浮気していて、尚且つ浮気相手が自分だった時。
職場でのモラパワセクハラが限界を迎えた時。
そしてその2つのタイミングが丁度重った時。

何の取り柄もない、ただの一般女性がどうなるか、想像がつくだろうか。

上記の女性、つまり筆者の過去である。

まぁそれはそれはしんどくて、現実を受け入れるなんてことはできなかったので、産婦人科で処方されていた精神安定剤を飲めるだけ飲むわ、仕事途中でほっぽって帰って包丁の刃を手に持ちながらずっと寝ずに1週間泣き続けるわ、ご飯は食べられなくなるわ、天地が回るわ…。
人としての機能は失ってしまった。

私は小さな時から、なぜか「私の人生は40歳までだ」と理由のない確信を持った上で過ごしていたので、「10年くらい予定が早まっても一緒よね!」と考えるようになり、手首の血管の上を爪を立てて掻きむしったり、切れ味の悪い包丁を首に当ててみたり、すでに大量に飲んでいた精神安定剤を追加で飲んで楽になろうとしていた。

しかし、そんな精神状態の中、この世に思いとどめさせてくれたのは、夜仕事帰りに自転車で駆けつけた友達だった。

友達からはただ一言「生きろ!」と言われた。

いいことあるからとか、頑張れとか。
そんな適当な言葉ではなく、
ただその一言だけを強く言われた。

いいことなんて、他人の物差しじゃ測れないし、がんばれって尺度もお門違い。
そんな言葉よりも、ただ明確に「生きろ」って言われたことで、私は助けられました。

私は生きてるだけでいいんだ。
そう思わせてくれたきっかけです。

けれども、生きるのって非常に大変なことでして。
自分で生きれるようになるまで、
たいそうな時間とお金を要しました。
医者に掛かるためのお金とか、
思い出という名のゴミの処理代とか
環境を整えるための引越し費用とか。
貴重な20代最後の時間と、雀の涙程度の蓄えた貯金は瞬く間に全部消えた。

この28年間何してたんだろうなって思わず笑えるくらいになった頃。
ようやく自分がどういう人間なのかを理解し、新しい人間関係が構築されて、生きるための準備が整った。

自己啓発本や論文を読み漁ったり、自分の感情に理由づけをしたり、Instagram始めたり、なんとなく始めたカメラと向き合ってみたり。
どうせ0スタート切るならと思って始めたことが、今生きる上での基盤になった。

それまでは、生きるって実感がなく、過ごすという感覚で時間を使ってた。
そのうち終わるから。と思うと、生きるをしなくなるんだと、私は実体験から学んだ。

終えようとした時から、生きるための基盤を作るのに2年。
きちんと 生きる を始めて更に2年。
新しいスタートを切って、4年目にして、ようやく自分を大切に思えるようになった。
その結果、人のことも卑しい思い無く、心配できるようになって、人の幸せを心から応援できると思えるようになった。

でも、たった数年で人生の終幕を考えるほどの暗い気持ちが消えるわけではない。
生きられるようになってきた今でも、暗い気持ちは付き纏うし、不意に思い出して一晩中泣いたり、急に大声を出してしまうこともある。

そんな時は自分の気持ちに寄り添う行動をとる。
行動とは、なぜ私がそう思ったのかという理由探しだ。

考えて見つけた理由の理由をずっと探していく。
何度も何度も繰り返し理由を考える。

私は今嫌な気持ちだ。この言葉がきっかけだ。
なぜこの言葉がきっかけになったのか、過去にこういう出来事があったから。
なぜ過去にその出来事が起こったのか、当時の環境がこうだったから。
なぜその環境が生まれたのか……。

繰り返し、繰り返し考えることで、今まで知らなかった自分の感情に気付けたり、自分がどんなことに敏感なのかを自分の言葉で知れるようになる。

今流行りの英字4文字で表される性格診断や、繊細さんといった簡略化された枠組みに囚われず、自分の理解度にあった言葉で、自分を見つけることができるのだ。

すぐすぐに、本当の意味での元気にはなれない。
落ちて上がってをたくさん繰り返して、生きるができるようになり、元気になっていく。

生きるを意識し始めてたった4年。
まだまだ私も道半ばだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?