アノことあのコ
袖無かさね
アノことあのコには、誰でも会えるわけではないんだ。でも、僕は、ちょうど良いタイミングに、いつもその道を歩く。だから、会えるんだ。
僕は、その道をママと歩きながら、こっそりアノことあのコとおしゃべりしてたんだ。ママとお話ししながら歩いてる時も、こっそりアノことあのコと目くばせしてた。
アノことあのコのことは、僕だけの秘密なんだよ。
ある日の朝、ママは冷蔵庫を開けて、あ!と飛びはねた。
「卵がない。牛乳もない!」
お買い物に行こう、とママが言った。僕はアノことあのコのことを思い出した。
でも、今日は寄りたいお店があるからって、ママは違う道を選んだ。僕はがっかりした。あの道じゃなきゃ、アノことあのコには会えないからさ。
ママが寄りたかったお店は、靴屋さんだった。そこでママが僕に選んでくれた靴をはいたら、きつかった足の指が痛くなくなった。その靴は青くて、少しキラキラしていた。これって、お兄さんの靴だよね。僕は張り切っていつものスーパーまで走った。帰りにその道に行くまで、アノことあのコのことはすっかり忘れていた。
『おーい。』
『おーい。』
アノことあのコだ!
『その靴どうしたの?』
『その靴どうしたの?』
『僕、大きくなったから。お兄さんの靴になったんだ!』
『青だ!』
『キラキラだ!』
僕はアノことあのコに靴を見せたくて、立ち止まってポーズをした。
『かっこいいな。』
『はいてみたいな。』
『ちょっとはいてみる?』
『鬼の子は、はかないんだ。』
『鬼の子は、靴、はかないんだ。』
靴をはかないなんて、足、痛くないのかな。
「どした?新しい靴、痛い?」
ママが振り返る。
「へーき!」
僕はアノことあのコに言った。
『見てて。この靴だとはやく走れるんだ!』
僕は、次の電柱まで思い切り走った。
『わー!はやい!』
『わー!カッコいい!』
僕は得意になってアノことあのコを振り返った。でも、雲がお日さまをさえぎって、アノことあのコはもう見えなくなっていた。
「はやいね!カッコいい!」
ママが笑った。
お家に着いて、僕は鬼の絵本を探した。あ、ホントだ。鬼は靴をはいていない。アノことあのコは、鬼の子だから、大きくなってもお兄さんの靴をはけないのか。僕はアノことあのコが、ちょっとかわいそうだと思った。
その後も僕はまた大きくなって、また靴が新しくなった。
『おーい。』
『おーい。』
新しい靴を履いてるときにアノことあのコに呼ばれると、なんだか困って、僕は気が付かないふりをするようになった。曇りの日はアノことあのコはいないから、ホッとしたりした。
そのうち、アノことあのコは僕を呼ばなくなった。僕もアノことあのコのことはすっかり忘れていた。
僕はそれから、何度も新しい靴を履いた。
そしてこの前、懐かしい声が聞こえたんだ。
『おーい。』
『おーい。』
足元を見たら、アノことあのコがくっきり地面に浮かんでた。
『久しぶり。』
『久しぶり。』
僕はうつむいて、アノことあのコをながめた。ほんと、鬼の子みたいな影だな。
『かっこいい靴だね。』
『かっこいい靴だね。』
『まあね。』
『ポーズしてみて?』
『新しい靴のポーズしてみて?』
『いや、ひとりでポーズとか、しないから。』
『走ってみて?』
『はやく走れるやつ、やってみて?』
『急にひとりで走ったら、おかしいだろ。』
『久しぶり。』
『久しぶり。』
『おう、久しぶり。』
すぐに日が陰って、アノことあのコは見えなくなった。昔買ってもらった、青い靴を思い出した。あの靴、嬉しかったな。
僕はそこから、意味なくダッシュして、家に帰った。
おしまい
photo by shizue
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