「今。このタイトルを呼んでいるあなたに話しています」
最近noteを書く際のタイトルに悩み悩み五里霧中になりかけています。どうしたものやら
noteを描き始めた頃は「伏線回収」のようなタイトル付けが好きでした
その文章を端的に表すとこう!どう!いいでしょ!のようなエゴのかまたり。
それなりに書いた今なら分かるんですけど
分かりづらいんですよね、そんなタイトル
例えば私が芸能人で、読まれることは前提のnoteやブログであれば、タイトルが何であれ読んでもらえるんでしょう
しかし私のnoteなんて誰が読むんやからのスタート。まずはお客さんを表通りからキャッチよろしく捕まえてこなければ、読まれるというスタートラインにも立てないわけです
そうなると最近はタイトルについて
「概要欄」
のような使い方をしています
こんなことを書いてます、よければ立ち寄っていきませんか。そんな文章
もちろんそこにも工夫が必要不可欠
言葉は天下の回りものなのでオートクチュールは難しい
正直私は独創的なアイデアを書いているわけではありません。誰もが思いつくようなことを、出来るだけ私らしい言葉で素直に書けたらそれで十分
だけどそれでも読んでほしい。だったら言い回し、言葉の選択。タイトル。一文の文章量。行間。色んな要素を考えます
その中でタイトルは大きいと思うんですね。入り口ですから
YouTubeの動画ならサムネイル。お店なら看板
初めての人と会う時の第一印象
「お、いいじゃない。呼んでみようかな」
そう思ってほしい。勝ちたい。何に勝つのかもわからないけど
私がnoteを眺めていてこのnote読んでみようかな、と思うのもタイトルが惹かれるものであることが多いです
だけど凝りすぎて村上春樹さんみたいに難解になってしまってもそれはそれで分からない。バランスが難しい
将来の役に立つのかは分からない。時給換算すると堂々の0円。だけどこんなにも楽しい
悩んで悩んでつけたタイトルにいいねがついたりコメントがつくと、もうnoteを辞められない
これただの自己顕示欲の追求なのでは??
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