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書くことは生きること その8

 私には何の才能もない。ただこれまで何かを書くことでピンチをすり抜け、生きてきた。誰にでもできる書くという作業が私にとっては生きることなのだ。『書くことは生きること』の実体験を連載する。

 映画のシナリオ初体験

 会社が倒産しそうな時、ひょんなところで映画監督と知り合った。これまで数冊の本を出版していることを話すと、

「脚本の一部を書いてみませんか?」

という信じられない言葉をいただいた。今にも会社が倒産しそうな日々を送っていたというのに、私はその提案に喜んで飛びついたのだ。

 時代の趨勢により、私が続けていた事業はもう過去のものとなっていた。ストレスによる病気が全身に出て、新規事業に乗り出すパワーもなかった。

 ただ、書くことならできるような気がしたのだ。

それがこちらの映画。主演は山田辰夫さん。
🔶映画『マブイの旅』(2002年) 

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 脚本の書き方などまったくわからなかったが、監督に教えていただき、なんとか形になった。試写会の時は自分の書いたシーンが来るのをドキドキしながら待った。

 ほんのワンシーンではあったが、心をこめて書いたセリフを役者さんたちが上手に演じてくれていた。自分が書いたセリフが立体的になって動いている。こんな体験、誰にでもできるものではない。泣けるシーンではないのに涙でスクリーンが見えなくなった。

 試写会が終わって、迷っていた答えが出たような気がした。事業なんて失敗してもいいじゃないか。私には一つだけ残っている。これからは書くことで生きていける。

 フリーライターへの第一歩

 会社を倒産させてしまった私はある大社長のお世話になり、従業員ごと引き取ってもらうことになった。月300万円の売上を上げるノルマを条件に月給40万円で採用された。

 その会社は翌年、東証一部に上場を控えているという優良な大企業だ。そんな立派な会社に40歳のおばさんを採用してくれるだけ感謝しなければならなかった。しかし、私はその申し出を拒否したのだ。

 長年、自営で食ってきた私にとって、タイムカードを押すことさえ屈辱的だった。今、思えばなんて恩知らずな人間なんだと反省している。

 じゃあ、何を書く?

 脚本家として実績はできたものの、すぐに食べていけるようにはなれない。映画関係者との食事会にもでかけてみたが敷居は高そうだ。

 これまで社員に支えられてきたが、これからは一人ぽっちだ。誰にも相談することができない。

 それでも何か書かなきゃ。そうだ、リアルなプライベートの話を書いてみよう。この発想がもう一人の自分を生み出すことになる。

 ある有能なフリーライターの友達のおかげで、私はペンネームを使ってデビューすることになるのだ。

その9へつづく





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