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書くことは生きること その1

 私には何の才能もない。ただこれまで何かを書くことでピンチをすり抜け、生きてきた。誰にでもできる書くという作業が私にとっては生きることなのだ。『書くことは生きること』の実体験を連載する。

なにも才能がない自分

 私には絵心というものがまったくない。名画を見ても何も感じない。また音楽の才能もない。歌をうたえば自分でもフラットしているのがわかる。

 ピアノ6年間も習っていたのに“エリーゼのために”を半分だけ弾ける程度だ。

習字もまったくダメ。師範の姉が書いた作品はただのミミズにしか見えない。

 それらを生業としている人たちを羨望のまなざしで見つめるのみである。

 だが、たった一つだけ好きなものがある。こうして文字を書くことだ。

 周囲を遮断して無音な状態で書き始め、しばらく経つといわゆるゾーンに入る。そうなると時間の経過さえわからなくなる。

 著名な作家先生というわけではないが、この力のおかげで数冊の本を出し、フリーライターとして長年生きて来られた。


 書くことが好きになったルーツを探ってみよう。ここに小汚い一冊のノートがある。

 母が大切に取っておいたらしく、遺品を整理した時に持ち帰ったものだ。なんと1968年(昭和43年)、私が小学校一年生のノートである。


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 表紙に描かれているのはファウスト、三国志、ああ無情という小学校一年生にしては高度な内容だ。53年間もよく保存されていたものだ。

 このノートは国語のノートではなく、作文専用のノートとして使っていたようだ。

物書きとしての原点

 ページをめくると覚えたばかりの汚い字で作文が書かれている。あまりに汚い字なので自分でも読むのに一苦労する。

 このノートの中の“二じゅうとび”という作品は今読み返しても発想、スピード感、展開、締め括りに至るまで完璧なできである。何年経っても小学校一年生の私の筆力には未だ勝てないでいる。

 学期末になると先生がそれぞれの作文をわら半紙に印刷してくれるのだが、この“二じゅうとび”は全員の作文の裏に閉じられた。

 別に大きな賞を取ったわけでもないが、これが物書きとしての原点だったと思う。小学校一年生にして1000文字の作文。ではどうぞ!


二じゅうとび

 わたしは、日よう日におとうさんに二じゅうとびをおしえてもらった。
 はじめは、おとうさんが、

「きのうれんしゅうしていたのをいっぺんやってごらん」
といった。

 わたしは、おとうさんにいわれたとおり二じゅうとびをした。けれどわたしのおねいさんの二じゅうとびのおとは、ぴゅうというおとだった。わたしのおとは、ぴゅしかおとは、でなかった。

 よくみると一っぺんめはいいんだけど、二へんめのとぶときに、うしろにこなきゃあだめなのにわたしは、まえにきてた。

 おとうさんに、
「手をもっとはやくしなけりゃあだめやんか」
とちゅういされた。

 それから手をはやくしたら、また、おとうさんが、
「もっと足をたかくせんと二じゅうとびはできんぞ」
と、また、ちゅういをしました。

 私は、もう一ぺんとんだ。

 そうしたら、またまたちゅういをされた。
「また手をわすれた」
とちょっと大きなこえでいいました。

 もう一かいとんだら、また、また、また、おとうさんが、
「あーあ、こんどは足をわすれた。もうあかんな」
といいました。

 わたしは、はあはあになって、
「ちぇっ、がんばるぞ、なにくそ」
とおもいました。

 それからちからをいれてとんでみたら、そのおとはまえとちがってぴゅううっとおとをたてていた。

 おとうさんとおねいさんが、大きなこえで、
「できたやんか。おめでとう」
といってくれました。
おとうさんが、
「おかあさん、おいで。ゆーちゃんが二じゅうとびできたよー。みにおいで」
といったら、おかあさんがいえからでてきて、
「できたの、おめでとう」
と、いってくれました。

 そのよるごはんにすきやきをたべました。
 わたしはうれしかった。

 なん日かたって、おねいさんのともだちとおねいさんと、こうていにあそびにいったら、いずみちゃんとしらない子があそんでいた。

 その子たちがそばへよってきて、
「なあなわとびきょうそうせん」
とききました。
 わたしたちは、
「しよう」
といいました。

「二じゅうとびやで」
といいました。

 わたしは、
「二じゅうとびは二へんぐらいしかできんのに」
といいました。

 私のばんのときしたら九かいも二じゅうとびをつづけてできました。
おねいさんのともだちは、

「もう二ねんせいやのに二じゅうとびできんの。もうゆーちゃんさえ飛べるのに」

といずみちゃんがいいました。やっとさいこう九回になりました。

 いえにかえって、おとうさんにみててもらったらおとうさんのかおがおかしくて二かいぐらいしかできませんでした。

 わたしはおねいさんとなわとびで、まい日二じゅうとびのれんしゅうをしています。

 いかがでしたでしょうか。次回はどうしてこんな長文を書けるようになったのか、その理由を書きます。

その2へつづく


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