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【小説】神社の娘(第22話 橘平、桜の暗い一面を知り、桜、橘平の切ない一面を知る)

 剣術の稽古が行われるのは、中高合同で使う剣道場だという。
 夕方の部活動の後、剣術の会があったとは。関係者以外はほとんど知らないだろう。
 躰道は地域貢献として広く一般に公開しつつ、実は有術を使える子供や大人たちの合同訓練の場。しかしこちらは、完全に有術が使える家の人間のみだという。

 橘平と桜は参加者がみな剣道場に入ったころを見計らって、校庭に侵入する。
 ドレスコードは黒い服。橘平は黒いスウェットにジーパン、いつもの暗い色のダウンを着ている。桜は黒いPコートに黒いズボンという出で立ちだ。

「わあ、緊張してきた!見つからないようにしなきゃね!」

 かつてないほど、少女は活き活きしていた。遊園地に行く前日の眠れない子供のようだ。

「今日、家族になんて言って出てきたの?」
「ひま姉さんの所行くって。だから連絡して口裏合わせしてもらってるんだ。橘平さんは?」
「じいちゃんとプラモ作るって」

 葵の剣道だか剣術の見学などと真実を言った日には、実花から隠し撮りを要求されるに決まっている。言い訳作りにも慣れてきた橘平だった。

「おじい様とプラモ?」
「じいちゃんの趣味でさ、たまに一緒に作るんだ。あ、桜さん作ってみたかったらいつでも言ってね。道具そろってるから」

 雑談程度で話した橘平だったが、意外にも桜は食いついて来た。

「面白そう!作る!今度作ろ!そういえばお部屋にロボットとかあったもんね」

 気付かれていたことに、橘平は頬を赤らめた。部屋に通したのだから気づいていてもおかしくはないのだが、それを口にされると意外と恥ずかしいものだった。
 二人は周囲を窺いながら、校舎の左裏にある剣道場を目指す。橘平は昼間に下見をしたけれど、扉が閉まっていれば見られないかもしれない。暦の上では春とはいえ、まだ寒さは残っている。せめて、下の換気口が開いていれば、のぞき見ができそうだった。
 剣道場の明かりがみえてきた。足取りも静かになっていく。
 近づくと、換気口が一部開いていた。ここからのぞけそうだ。
 バレないよう、すみからこっそりのぞくと、みな後ろ向きで、足元が見えた。おそらく基本の足運びの練習を全員で行っているのだろう。

「どれが葵さんだろ」
「一番後ろの列の、右の一番端」

 さらにしゃがみ、右端に注目すると、横顔がちらと見えた。確かに葵だ。

「おお、道着と木刀姿もかっこいい。これ剣道とは違うの?」
「違うよ」

 桜は橘平の方に顔を向け、続ける。

「昨日はひま姉さんみたいにサポート系の有術を使う人たちが中心で、現場で動ける体を養うための稽古。一応スポーツとしてやってるから、地域の子供にも公開してるの。でもこっちは」

 と、指で剣道場を指す。

「妖物を殺す稽古。葵兄さんのように、妖物を仕留められる有術を使える人たち中心なんだ。って言ってもね、どっちも稽古してる人もいるの。葵兄さんも躰道やるし。ひま姉さんのお兄さんもサポート系だけど、剣術やってるんだ」

 桜は向日葵の兄の姿を探すが、大木のように大きな人間は明らかにいなかった。

「今日はいないね」
「躰道、葵さんと向日葵さんの試合見たいなあ」 
「ひま姉さんが勝つか、たまに引き分けるか、かな」

 素振りが始まる。稽古とはいえ、木刀を振る音に静かな狂気を感じる。

「有術が使える子たちは強制的に武道を習わせられる。私も習ってた」

 確か幸次が話していた。武道教室で子供の桜を見かけたと。そのことだろう。

「武道を習うことはいいことだと思うけど、向き不向きもあるじゃない?普通の子なら辞められるけど、ここの人たちは嫌でも続けるのよ。しかも、大人になっても」

 「スパイごっこ」とウキウキしていた桜は、今、ここにはいなかった。

「いつまた復活するかわからない悪霊のために、昔から兵隊を作っているの。確かに昔に一度、そして今、妖物は脅威になってきたけれど」

 彼女と始め出会った時にみた、存在そのものを飲み込み、消滅させてしまうような暗い瞳で、桜は剣道場をみやる。

「そもそも、封印じゃなくて消滅させればよかったのよ。それだけの力がなかったのか、封印を選ばなければならない理由があったのか分からないけど…。封印がなければ、みんな、好きなことができるのに」

 橘平は桜の裏の顔を垣間見た気がした。
 剣道場の方は休憩タイムになったようで、参加者たちが稽古場の脇に座って水などを飲み始めた。

「こっち見えちゃうかも、橘平さん、かくれよ!」

 桜は慌てて橘平の手を取り、校舎の方へ走り出した。
 二人は剣道場が見えるギリギリ、校舎の角までやってきた。まだ外気は冷たく、剣道場から人が出てくることはほとんどないだろう。

「隠れるってドキドキする。初めてだけど楽しいかも」
「ドキドキはするけど…楽しいかはわかんない。葵さんにあんま見つかりたくないし」
「私も。っていうか、あそこにいる人たちみんな知ってるから、誰にも見つかりたくない。絶対」

 桜の言う「絶対」に、強い気持ちを感じた。本当に「絶対」見つかりたくないのだろう。

「土曜日も葵さんち行くの?」
「うん」
「何時から?」
「午後だよ。なんで?」

 親友を取られて気になるから。などとは、恥ずかしくて口が裂けても言えない。橘平はとっさに言い訳を考える。

「俺は何にもできなくて。自分ちのことなのに情けないなあって」

 土曜日、自分も誘ってくれないだろうか。そんな情けないことも期待してしまう。

「そんなことない。橘平さんがいなかったら、ここまで来れなかった」

 桜はしっかりと、顔と体を橘平に向け、

「あの雪の日に出会ってくれてありがとう。私たちのことを理解しようとしてくれて、助けてくれて、本当にありがとう」と感謝を伝えた。

 暗くてはっきりは見えないが、きっと、あの光をすべて吸収するほどの黒い瞳は輝いている。少年はそう感じた。
 橘平も桜に正対し、感謝に対して返答しようとした。
 その時。

「何してんの?」

 突如、橘平の背後から声が聞こえた。桜はとっさにしゃがんで丸まり、橘平は振り向いてそれを隠すように立った。
 声の主は葵、ではなく、橘平の高校の先輩、三宮柏だった。

「あれ、きっぺー君じゃん」

 柏は橘平の背後を覗いて来た。橘平は必死に隠し、桜はもぞもぞともっと必死に隠れる。

「おいおい、女の子じゃね?!暗いとこで何してんの?ヘンな事?え、彼女いたんだ誰?」
「い、いやか、か、彼女じゃなくて、ですね…しんせき、の…」

 彼女は誰にも見つかりたくないと言っていた。助けるにはどうしたらいいか。
 橘平は頭が混乱する中でも、ここから安全に逃げる方法を探し続ける。

「え、誰々?七社?大六?どこの子?」

 柏が桜の顔をのぞこうとする。桜はさらに丸まった。

「こ、これはその、人間にみえるけど犬っていうか…」と、訳の分からぬことを口しながら桜に覆いかぶさる。

 その時、向日葵から「効く」と言われたお守りのことが頭に浮かんだ。

 
 橘平は手のひらにお守りを描く。
 桜を守りたい。その気持ちを強く込めて。
 橘平は桜を抱き上げた。そして自分が走れる究極の速さで、その場から逃げた。

「おい!逃げんなよ!足はえーな!」

 柏が追いかけようとしたところで、背後から葵が現れた。

「再開するぞ、柏。大声出してなんかあったのか。野良犬?」
「後輩がいたんですよ。しかも女の子と一緒!あんなぱっとしない奴にすら彼女いるのに、なんで俺は」

 柏は橘平が走り去った方を睨む。葵も同じ方向を見やってため息をつく。

「夜の学校でなにやってんだ。なんてヤツ?」
「八神のきっぺー。知ってます?」

 葵はさきほどまで呆れた気持ちだったが、橘平と聞いて逆に感心してしまった。
 一緒だった女子とは、きっと車で話していたAちゃん。やはり自分の話だったのだ、と。
 葵はふっと笑う。

「学校でからかうなよ」
「…はい」

 からかうな、は、からかえ。柏はそういうタイプである。

 バイクと自転車を放置したところまで、橘平は全速力で走った。学校から100mほど離れた原っぱだ。草が生い茂る地面の中に、ぼつぼつと土肌が見える地面が混じっている。その中にある大きな木の下に、乗り物を置いてきたのだ。
 橘平は桜を降ろした。そして膝に両手を置き、「っ…はあああーやばかったああああ」と詰めていた呼吸と言葉を一気に吐き出す。

「大丈夫?ごめんね、また担がせちゃって…」
「はあ…いやいや、全然…っはあ、軽いから全然…」

 タイムを計ればきっと、地方大会の記録を更新したであろう。橘平の足は限界を迎え、そのまま座り込んでしまった。
 ごめんね、と桜はまた小さく小さく呟く。

「で、でもさ、こーいうトラブルあったほうが面白いから、うん。楽しかった!」

 もう「ごめんね」と言わせないよう、精一杯明るく、楽し気に橘平は話しかけた。

 桜は弱く笑い、「さっきの、もしかして柏君?」と、さっきの声の主について尋ねた。

「そう。そっか、三宮の人だから知ってるのか」
「…学校で何か聞かれるかもしれないけど、絶対、私だってばれないようにしてもらえると助かる…」
「そりゃもちろん」
「本当にばれないように…絶対…お願いします!!」

 ポニーテールが橘平にぶつかるほどの速度で桜は頭を下げた。彼女に言われなくとも、橘平はそのつもりだ。
 しかし、この頼み事には何か切羽詰まったものを感じた。

「うん、絶対言わない。約束する」
「…ありがとう」

 ありがとうとは言うけれど、本当の意味はごめんなさい。そう聞こえた。

「桜さん、今何時?」

 桜は左腕に着けているデジタル式の腕時計を確認する。

「8時」
「まだ時間あるね」

 橘平は立ち上がって、草が多く生えている地面に移動した。桜に隣に座るよう促す。彼女はちょこんと座った。
 見上げると、頭上には多くの星が瞬いている。

「星座わかる?」
「ちょっとね」 

 桜は「あれがオリオン座」と指す。

「他は?」
「わかんない」
「ほんとにちょっとじゃん!」

 くすくすと二人は笑いあう。
 星座がわからない二人は、あれは何に見える、これに見えると、オリジナルの星座を創り上げていった。

「夜ってこんな遊びがあったのね。楽しい」
「俺も、こんな遊びは初めてだけどさ。星に興味なんてなかったし」

 桜は使い捨てカイロをもみながら「世の中には、まだまだ、楽しいことがいっぱいあるんだろうなあ」と零した。

「じゃあ、楽しいこといっぱいやろうよ」

 ゆっくりと、桜は隣の少年に視線を移す。

「俺、桜さんの初めての友達だし、それに年下なんだから。やりたいこと何でも言ってよ。いつでも付き合うから」
「…いいの?」
「いいよ!俺もさ、いろんなことやってみたいよ。そんなこと思うようになったの、桜さんに出会ってからかもしれない」 

 桜はまたカイロをもみ始めた。無言だったが、にまにまとした笑顔を浮かべていた。

「そーいやさ、期末テスト返ってきたんだ」
「私もだ。橘平さんって勉強できるの?」
「別にー。いつも可もなく不可もなーく。今回もそんな感じ」

 橘平の成績は常に平凡。今回も良くも悪くもなく、すべてが70点台だった。

「すごい」
「どこが?70だよ」
「赤点がないから」
「…あるの?」

 桜の顔が徐々にうつむき「…ある」と呟くも、勢いよく顔を橘平に向け「けど、1つだから、1つだけ!他はだいたい70点以上取ってるから!」と訴える。

「ふーん。赤点、何の教科?」
「せいぶつ。私、いつも理科だけ悪くて。橘平さんは不得意な教科ないんだね」 
「得意もないんだけどね。ってかさ、いつも惜しいんだよ。78とか79とか、80点は絶対いかないんだ」
「そこまで取れれば80点も夢じゃないのに」
「なんかさ、『ここまででいいかな』って思っちゃうんだよね。これ以上頑張る必要ある?って。勉強だけじゃなくて、スポーツでもなんでも」

 橘平は足元の草をぷつぷつ、とむしる。

「ハマる、っていうのかな、好きになるっていうのかな。そういうことができないんだよね…」

 素直で明るく、面白くて良い人。桜が橘平に抱いていた印象だ。
 しかし、今、目の前にいる彼は儚く、靄のように薄い印象だった。指で触れただけでも、消えてしまいそうだ。

「一生懸命になれるものがある人が羨ましい」

 桜は橘平の手を握り「さっき、一生懸命に私を守ってくれたよ」と笑顔を向けた。

 始めはきょとん、とした顔の橘平だったが、桜の笑顔に惹かれ、儚い顔からゆっくりとほほえみに変わる。
 そのまま二人は、しばらく心地よい沈黙を過ごした。

「……桜さんさ、理科苦手って言うけど、誰かに勉強教われないの?親戚とか」
「いとこに教わってたこともあるんだけどねえ。なんか遠慮しちゃって、すぐやめちゃった」
「向日葵さんは」

 勉学は得意そうに見えないが、橘平は一応、その名を挙げてみた。

「勉強ができる方では…」
「おお、予想通り…あ、失言、内緒ね。葵さん、はもしかして」
「うん、実は勉強を教えるのも下手…知り合いの中で一番勉強できる人なのになぁ…」
「かっこよくて、勉強もできて、モテて、妖怪も倒せるのに、料理できないし、教えるの下手だし、なんかズレてるし」向日葵を振り回すし、という言葉は飲み込み「…葵さんって、意外とできないことあるね」

 それを聞いた桜は、体を小刻みに振るわせ始めた。振動は次第に大きくなり、我慢できなくなったのか、一気にあははと笑い始めた。

「きっとそれが、葵兄さんのいいところよ!」

 桜はメガネをとり、笑い涙をぬぐった。

「あーおかしい!ほんと、橘平さん面白い!」
「笑いすぎー」

 二人はその後もしばらく、星空を眺めていた。

「あ、あれ唐揚げの星座に見えない?」
「見えないよ。橘平さん、ずいぶん楽しみにしてるのね。唐揚げ作るの」


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