108回目:「業」だと考えると多少あきらめもつく?

本日、やはり日中は自宅に居るのが落ち着かなく、約3時間散歩を
してきました。時間帯は15時10分頃-18時15分頃です。
散歩中突然、以下のような考えが浮かんできました。

もう、この長時間歩くのは自分の「業」だと・・

この考えに至ったのには理由があります。

自分は「精神手帳3級」の障害者ですが、職場には自分が知っているだけで身体障害者が数名おられます。
その中には、人口透析や車椅子の方がいます。

人口透析者の方は明るく職場で勤務しており、車椅子の方も暗さを
感じず、周りの方々とおしゃべり等に興じています。
また、本当かどうか分かりませんが、人口透析中にマンガを読んでいる
との話を又聞きし、さらに驚きました。

明るく勤務する姿を見て、自分はとても同じような態度はとれないなと
感じました。全責任を障害のせいにして、暗く荒んだ生活を送っているか、
自殺している事も考えました。

そう考えると、この長時間散歩は「自分の業」なんだと、何だか納得
出来ました。また、治療の一環だと捉えることも出来ると思いました。


どうなるか分かりませんが、この「業」は、季節により日照時間も
変わるため、1年中同じとも限らないと思っています。
希望的観測ですが・・

今日は、自宅で落ち着かないと藻掻いているよりは、歩き出した方が
結果として良いのかなと感じました。
明日にはどう考えが変わっているか怪しいですが・・

とりあえず今日はそう思いました。

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