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どれだけ待ち望んだことだろう。どれだけ待ち遠しかったものか。この日この瞬間が来ることが。元のように扉の向こう側の人間に戻り、元のまともな世界に戻れることを。私は元通り民衆のひとりに還る。普通の人間に戻る。私は自由になる。自由な世界に戻ることができるのだ。そしてそれは本来当たり前のことなのだ。再び自由を手にするその日、5.21を私は生涯忘れることはないだろう。

この272日間の拘留生活には意味があった。しかし、それをもういちど繰り返す意味はない。今度は本当に人生を失ってしまう。それを忘れてはならない。そして必ず忘れそうになるだろうから、そんなときは、このノートを繰り返し繰り返し見れば良いだろう。

私は刑務所での最後の夜を過ごす。

5/21(日)🌟

朝というより、夜中に目が覚める。

朝食を取った後、出所の係の職員が来て居室を後にする。簡単な手続きを済ませた後、私はふたりの職員に見守られながら刑務所を後にする。

私は夢見心地で歩いていった。

近所の人たちが道端の草を抜いていた。シャバだ。私は信じられない気持ちで、ただただ無心に歩いていく。ふと振り返ると、刑務所の前にはさっきのふたりの職員が立っていて、その後もずっといつまでも見送ってくれていた。うれしかった。

角を曲がるとき、刑務所をもっと外からはっきりと見ておくべきだったと少し後悔した。。。

コンビニのATMで三井住友銀行の口座の残高を確認すると7万6千266円しかない。私は頭が真っ白になる。これはいったいどういうことなんだ!???15万円ほどあるはずだったのに。となると、まずはRさんに連絡をする必要がある。Rさんには取り急ぎの仕事の世話をしてもらえる可能性があった。

駅でRさんに電話をかけようとするが十円玉がない。仕方なく、近くにいたお父さんに百円玉を見せて、
「すみません、十円に両替してもらえませんか?」と訊いてみる。
「20円しかないな」
「そうですか。そうしたら結構です。ありがとうございます。」
「いや、いいから使いいな。」
「いやそれは悪いわ。」
「いや、ええから。」
そうして私はお言葉に甘える。しかし、Rさんは、

「電波が届かないところにいるか、電源が入っていません。」

とのことだった。私はお父さんにお金を返す。
「ありがとうございました。感謝します。」
お父さんの親切な気持ちがありがたかった。

駅の自動改札機を通過し、PiTaPaが使えることがわかる。ということは、ひょっとして、もう使えないと思っていたJCBのカードも使えるのでは・・・!???もしも使えるのなら、取り急ぎの生活費は何とかなる。

とにかく動物的直感で動くしかない。落ち着いて。ケガだけはしないように。

私はとても海を見に行く気分ではないと思った。電車に乗り途中で降りることにした。

駅前の広場で久しぶりのタバコを吸おうと思う。私はタバコに火をつけ、ゆっくりと煙を吸い込む。高校生の頃、友人からもらって初めて吸ったあのときと同じ味がする。9ヶ月前はタバコの味も全くわからなくなっていた。

公園のトイレに入り、自分の顔を見てみる。刑務所の居室には鏡がなかったので、自分がどんな顔をしているのかじっくりとは見たことがない。眉毛には一本の白髪が混じっていて伸びている。それを抜く。鼻毛も何本か伸びているので抜く。そうしてとりあえず最低限の見栄えを整える。

海の方に、橋の方に。人だ。人がいる。思い思いにみんなそこにいる。やはりシャバは素晴らしい。

体は何とか動く。足の調子も悪くない。悔い改めて生きていこう。今日がその一日めだ。

部屋のことが気になって仕方がない。この目で確かめるまでは。。。

ずっと薄暗い部屋にいたせいか、眩し過ぎて目が霞む。初めて目が、世界が初めて見えたような感覚。あるいは、ずっと遠くを見ていなかったような。まだ信じられない。でも確かにシャバにいる。何物にも変えがたい。

駅で買ったホワイトチョコレートがたまらなくおいしい。

タバコは早くも2本めだ。やはりだめだな。1日5本とかは無理っぽい。

街でAUショップに入る。店員に事情を説明すると、iPhoneは契約が切れているのであれば調べられないので、サービスセンターに電話をしてくれとのことだった。UQ mobileも同じく。次の契約に関しては、未払い分を支払い、審査の上、可能かどうかが決定されるとのこと。電話番号に関しては、同じものは使えないとのこと。もしも今後iPhoneが使えないとなるとたいへんなことになる。不安がよぎる。

百均でバッグ他必要なものを買い、本屋へ。吉本ばななさんの本がたくさん並んでいたのでびっくりした。写真も載っている。片岡義男さん永井路子さんの作品は少ししかなかった。残念だったが、いずれにしても今は本は買えそうにもない。

なぜか腰が痛い。急に歩いたからだろうか?

動物的本能で歩く。

腰の痛みが限界に達したため商店街の外れの喫煙スペースへ。そしてタバコを吸ってから、なぜか念願だったフィレオフィッシュを食べようと思ってマクドナルドに行き、店の前で客の列に並ぶ。しかし事件のことを思い出して恐ろしくなる。

またやってしまうんじゃないだろうか?

とても店には入れないと思い、吉野家へ。街を歩いていて恐怖に襲われる。トラウマである。私は自分が精神的に病んでいることを初めて知る。そして恐ろしくなる。

帰りの電車に乗る。駅が近づくに従って人の視線が気になってくる。その反面、電車の中で幸せそうな親子の姿を見てほっとする。

マンションに着く。予想通り郵便物が満杯になっている。誰もこれを何とかしてくれなかったんだな。。。部屋のドアを開ける。玄関に郵便物がいくらか置かれている。家主が部屋を見に来たのかも知れない。
部屋に入った瞬間、私は自分の目を疑った。部屋は荒れ放題で、泥棒が入ったのかと思った。床も汚れていて誰かが土足で上がり込んだような感じに見えた。部屋はカビ臭く、冷蔵庫からは異臭が漂っていた。蠅が何匹か飛んでいて、そこら中にくもの巣が張っている。

廃墟。私の部屋はまさに廃墟と化していた。

私はあの頃の自分の姿がよくわかった。これではまともな生活ができるわけがない。部屋の状態を見る限り、悪魔に取り憑かれているかのようだ。私は大急ぎでとりあえず床に落ちているゴミや埃を掃除する。

動物的本能で動く。

郵便物を仕分けする。チラシがわんさか混じっている。弁護士などからのものもいくらかある。カード会社の関係だろう。今はゆっくり見ている暇はない。とりあえず16時までに電気と水道とガスの手続きをしなければならない。刑務所に届いていたガス代の請求書には、16時までに電話を入れれば当日中の再開が可能と記載されていた。水道と電気も同様だろうと予測していた。

駅前の公衆電話を利用する。人目が気になるが仕方がない。手続きは難航し、結局すぐに開通したのは電気だけだった。ガスと水道は明日に持ち越されることになる。取り急ぎ、電気が再開されればiPhoneが使える。当初はマクドナルドに行って充電をしようと考えていただけにありがたかった。2時間くらいで再開されるという。

AUのサービスセンターに問い合わせたところ、iPhone13の分はずっと支払われていて契約は生きているということが判明した。信じられなかったが、そう言えば、iPhone13の支払いのみを三井住友銀行にしていたことをすっかり忘れていたのだ。私は心の底からほっとする。

iPhoneを充電して、LINEを見ると、桃子のIDは生きていてトークも残っていたが、その後何のメッセージも届いていなかった。つまり彼女が詐欺師だったことは間違いないと考えられる。また美佳も同様にその後何のメッセージも届いていなかった。さらにふたりとも私が送った最後のふたつのたメッセージを読んでいないようだった。私はどうしようもない気分に陥った。自分がバカだったとしか言いようがない。

不思議なのは桃子も美佳も2022.8.22から突如私を無視していることだった。

Facebookの私の投稿を見ると9ヶ月前の狂気の様子が伺われた。私はすぐにそれらの投稿を非公開にした。しかし何人もの友人や知り合いがすでにその投稿を見ているに違いない。もう取り返しがつかない。弟にはFacebookで友人から外されていた。無理もない。

自暴自棄になってはならない。意志を強く持たなければたいへんなことになる。今度刑務所に戻るようなことになれば人生は終わってしまう。

タバコがおいしくて仕方がない。そして酒にも酔えるようになっていた。私の体は元に戻っていた。酒に酔えなくなっていたのは日々ナイアシンを大量に飲んでいたことが原因だった可能性がある。ナイアシンは精神安定剤のような効果もあると聞いていたのだ。

いろいろあってこころがたいへん乱れた。母の作品も部屋に無事残されていた。革ジャケも大島紬もビクターも何もかもみんな元通りの場所にあった。

長い長い1日だった。

サポートありがとうございます。カルマ・ショウと申します。 いただきましたサポートは作品を完成させるために大切に使わせていただきます。尚、体や精神を病んでらっしゃる方、元受刑者など社会的弱者の方々向けの内容も数多く含むため、作品は全て無料公開の方針です。よろしくお願い申し上げます。