見出し画像

まきねぇ 自叙伝 NO2

父が亡くなり生活は一転した。

母が父の代わりに建設会社を切り盛りしていくことになったから。

母は専業主婦だった。
勿論、経理などはやっていたけど。

「ただいまー」

「おかえり!」

当たり前だと思っていた。

父方の祖母は既に亡くなっていたので、母方の祖母が私たち三姉妹の世話役として来てくれた。

話しは逸れる。

母方の祖父は戦争で亡くなっている。
母は父親の顔を知らずに育った。
小さな……免許証の大きさほどの写真が一枚。
母が父親を感じる唯一の宝物。

数年前
今は写真の技術もあがって煎るので、写真屋を営む友人に引き伸ばしを頼んだ。
今は亡き祖母の隣に祖父の写真を飾った。
母の嬉しそうな顔が忘れられない。

三姉妹の真ん中のわたし。
姉は中3の受験生。
妹は小学4年生。

一番色々言いやすかったのがわたしだったのかな。

祖母は戦後、女手一つで二人の子供を育ててきた。
一人は乳飲み子の母。

苦労しただろうな。。。

それを助けてきた母とおじさん。

祖母からみたら、わたし達孫の行いにイラつきを覚えていたのだろう。

なにかある毎に苦言。
「お母さんが苦労しているのに、お前たちは何をしているの?」
「もっとお手伝いしなさい」

最もなのよ。
ばぁちゃんが言うこと。
本当に最もなの。

ただね。。。
言われるのはいつもわたしばかり。

一転した生活を受け入れること。
慣れることに精一杯だったのに。

父が亡くなって間もなく。
何かあったんだろうな。

母がね

父の形見となったベンツを運転しながらね。
泣いたのよ。

「お父さんが生きていたらなー。。」

と。

泣いたと言うより
一筋の涙を流したの。

まだ中学生のわたしに
何が言えただろう。

釣られて泣きそうになるのを堪えて
お尻の穴に力を入れて涙を堪えて

「そんなこと言っても仕方ないじゃん」

冷たく返したわたし。

そう。
この時は仕方なかったのよ。

母も何かを求めていた訳じゃない。

ただただ
言いたかったのよね
言いたくなる
何かが
あったのよね

大人になってから思えば
わたし達姉妹は本当に恵まれていた。

父が早くに亡くなったと言うだけで
他には何の不便もなかった。

でも、思春期のわたしには
それが分からなかった。

父が亡くなって悲しみに
敢えて浸っていたのだ。

面倒臭いことに、この事さえ素直に表すことが苦手だったわたし。

学校では相変わらず気の強い発言・行動。
もしかしたら、その悲しみをカモフラージュするかのように増していったのかもしれない。

やはり大人になってから分かったことがあった。

父が亡くなってから暫し父方の親戚が集まることがあった。

その度にね
母の泣き声がね
聞こえていたの

何故母が泣いているのか
あの頃のわたしには分からなかった。

聞くわけにもいかなかった。

「あれは、相続のことだったんだよ」

美容師になったわたしに頭をやって貰いながら
仲人だった親戚のおばあちゃんが話してくれた。

なんだろ。

小さい頃から正義感の強かったわたしに
拍車が掛かったのは
あの頃の経験がかなり影響を与えている。

表向きいい顔をして接しているのに
裏ではえげつないことをしている

そんな大人をずっと見てきていて
拍車が掛かったのだ。

それは勿論わたしの主観でしかない。
でも、何となく感覚で分かるようになっていった。

学校の先生だろうが何だろうが
わたしの中の正義から外れる人すべてに
反抗することが始まった。

「まきちゃん!」
笑って話し掛けてくる親戚に
心底腹が立っていた。

理屈を並べて世の中の平均に納めようとする
先生にも心底腹が立っていた。

中2になってから

わたしの行いが

壊れていった。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?