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「善知鳥神社」前編~お能と謡曲のお話Vol.3

訪れた場所とそこにまつわるお能・謡曲の物語、初回は竹生島、2回目は
奈良大神神社の三輪をお送りしました。

今回、3回目に選んだのは、陸奥青森の善知鳥(うとう)神社です。
2012年の丁度今頃、5月10日に訪れた時の記録からです。

今から12年前、それは2011年3月の東日本大震災の翌年、一年と少し経った頃のこと。友人が宮城県登米市の転勤となり、そこを訪ねることにしたのがきかっけでした。

震災被害のあと、経済の立て直しや訪れることによる復興支援の意味もあったのでしょう、旅行会社や航空会社は、色々企画を出していました。
その中で、わたしが利用したのは、飛行機の往復割です。通常なら同じ空港からの発着の往復チケットには特別料金設定がありますが、この時は、東北の空港ならどこに降りて、どこから搭乗しても、これと同じ扱いにするというものでした。

そこで、友人宅に行くだけなら仙台空港でよかた所ですが、せっかくだから東北を回ろうと、かねてから訪れたかった青森の下北半島、恐山へ、そしてそこから岩手を通って登米に下る、という日程でした。
恐山は5月初めくらいから開山なので丁度よかったのです。

青森県には、とても魅力を感じていたのですが、
それ以前は鯵ヶ沢にスキーにでかけたことがあるくらいで、
初めて街を歩き、電車やバスで移動をして、
魅力的な土地であることを確認しました。

ですから本当は、恐山で感じた事や、境内にある温泉や、ねぶたのや、
JRで移動している間の駅のお蕎麦とか、いろいろお話したいこともありますが、今回はお能に関する場所なので、善知鳥神社についてだけにして、またいつかの機会に書きたいと思います。


青森駅から徒歩で

青森空港に到着後、青森駅までリムジンバスで移動、そこから徒歩多分10分くらいだったと思います。善知鳥神社はすぐわかる、大きな神社でした。
広めの参道に、大きな鳥の絵がかいてある看板、そしてこれまた大きな白い石造りがあり、その奥に赤い鳥居がつづきます。

その正面に現れる社殿は白い壁。それを見た時に、何とも珍しい気がすると思ったのは、鉄筋コンクリート造りの社殿だったからでした。これは雪の影響があるからでしょうか、あまり身近では見ることがない作りのしっかりした建物に見えました。

大きな鳥が描かれた紫の布の更に上、拝殿の真ん中には「善知鳥神社」と書かれた文字、この文字がなんとも胸をきゅんとさせました。鳥のように見えたからかもしれません。

音声での配信はこちらから

神社で知った善知鳥

当時は、ここに関するお能があることは全くしらないまま参りました。
けれど神社には善知鳥に関する物語があること、それ以前にそんな鳥がいるということも、社務所横の展示でしりました。

そこには善知鳥のはく製も飾られていました。
社務所の案内には「善知鳥とは大型の千鳥目ウミスズメ科の鳥、天売島(てうりとう)で繁殖する海鳥の中でも、最も多く生息し、約60万羽とも言われています」と、書いてありました。そして「善知鳥生息地」と記されている地図には北海道の形、留萌から西方向にある島をが示されていました。

善知鳥の漢字名は「仲間同士の愛情が深く、義理、人情に篤い、善を知る鳥」からきていて、うとうの愛情伝説が秘められているとありました。

また、現在の青森市が善知鳥村と呼ばれていた第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御代、「善知鳥中納言安方が、此の北国を平定し、奥州陸奥之国 外ヶ浜(そとがはま)鎮護の神として、天照大御神の御子の三女神を祭った事に由来する、と記されいました。

その後一時衰退したようですが、のちに、坂上田村麻呂の東北遠征の大同二年(807)に再建されてそうです。

坂上田村麻呂のこの遠征は言わずと知れた蝦夷討伐ですが、これについてはまたあとで触れたいと思います。

御祭神宗像三女神について一言

ここで少し付け加えたいこと。
それは御祭神がアマテラスの御子と書かれていたことについてです。

こちらの三女神は、アマテラスとスサノオの誓約の折に、スサノオの刀から生まれたので、スサノオの娘という認識をしています。いろいろな解釈や決め事が時代や場所であると思いますが、ちょっとここに記しておきたいと思いました。

この三女神は宗像三女神
善知鳥神社には 多紀理毘売命  たぎりびめのみこと
        市寸島比売命  いつきしまひめのみこと
        多岐都比売命   たぎつひめのみこと

とありました。

ご本家、宗像大社の方をご紹介しておきますと
 田心姫神 たごりひめのかみ
 湍津姫神 たぎつひめのかみ
 市杵島姫神 いちきしまひめのかみ
 

とされています。

善知鳥神社はみこととなっていますし、宗像はとなっていて
古事記と日本書紀では表記や順番が違うことは、よく知られたことではありますが、こんな風に違いがあったことをひとこと添えておきます。

御神徳は家内安全、交通安全、漁業守護、 商売繁盛、国家鎮護、方位除け 等いろいろですから、どこの土地でも皆さんから親しまれていることは変わらないでしょうが。

善知鳥とアイヌ

ちょっと話がそれましたが、再び善知鳥の意味について。
そして先ほど神社の案内の内容をご紹介しましたが、他にもいろいろあるらしく、中でも興味深いのはこの「うとう」がアイヌ語地名辞典に載っていることです。

『アイヌ語地名辞典』では烏頭=ウトウと書きますが、この 「u-to」の「u」は、名詞の接頭語として「場所」を示し、「 to」「沼」を意味する。つまりu-toは「沼のある場所」となる、と記されているそうです。

少し古い案内でしたがこう書いてあります

善知鳥神社の近くに善知鳥沼とよばれるところがあったという説もあるようですし、本殿の後方(西側)には善知鳥沼とかいてありましたから、此のことかなとも思いますが、こちらは沼というより、境内にある池のように感じました。

沼というには美しい池みたいでしたが…

そこには神橋が架かっており、その先に弁財天さまが祀ってありました。その横には弁財天といえば共にある龍。善知鳥龍神宮とその石造があり、龍の石像の龍口から流れ出るのは「龍神の水」とのこと、こちらもお参りしました。そしてこの龍の石像は、個人的にどことなく、お顔立ちが好きで、そして日本の竜といよりドラゴンと言いたくなるお姿に見えたのでした。

アイヌやねぷたの骨太な感じがあるのかなと、後で勝手に妄想しましたが、青森には昔からアイヌの方はたくさんいらしたから、先の地名はとても説得力があると思います。アイヌの人たちが「沼のある場所」と言う意味で
「うとう」と呼んでいたのを、そのまま地名にしたというのは、北海道の地名を考えればほとんどがそのようなことですから、ありそうだなと勝手に納得しております。が、本当の所はどうだか調べるには至っておりません。

桜の花びらも綺麗でした

そしてそれを裏付けるような神社の歴史として表れる、坂上田村麻呂の東北遠征です。坂上田村麻呂の時代といえば古代の蝦夷(えみし)族長・阿弖流為(あてるい)です。この辺りもとても語りたいことがたくさんあり、かなり深堀したいポイントですが、ここもまたいつかに譲りたいと思います。

外が浜の善知鳥伝説

烏頭中納言藤原安方(うとう ちゅうなごん ふじわらやすかた)朝臣という貴族が流罪となり、さすらい歩いて辿り着いた「外ヶ浜」なる地で亡くなった。 その亡霊は見た事もない鳥となって海に群がり、磯にたくさん鳴いていたのを、その君の名をとってこの鳥を「うとう」と呼び、その霊を祀って「うとう大明神」と唱えたと言われている。

また、上記のものとは別に、流罪ではなかったというエピソードもあります。神社の公式に書かれていないので、どれが正解かはよくわかりませんが、ともあれ、善知鳥と、外ヶ浜、やすかた、ここはポイントです。

そして、別の伝説にはこうあります。

とても情愛深い鳥である善知鳥は、親鳥が「うとう」と鳴くと、子鳥が「やすかた」と鳴いて巣から出てくる。そこで猟師は、親鳥の声をまねて子を捕らえた。すると親鳥は悲しみのあまり血の涙を流して飛び回った。
漁師はその後、そんな猟をしていたことを悔やんだ。

実はこちらのお話が、お能・謡曲の方に深くかかわっています。

ということで、青森駅の近くで食べたおでんがおいしかったなぁ、
特に姫竹が最高だったし、途中下車して入った浅虫温泉も楽しかった…、と、そんなことを思い出しつつ、今日はこの辺にしたいと思います。

青森駅
手前お刺身 向こう側美味しかったおでん

次回は、お能・謡曲の「善知鳥」についてご紹介します。

このお話は、現代にも通じる、職業についてや、生まれた場所や、生活の辛さも含まれていて、ちょっと切ないお話です。
よかったらまたお越しください。

後編の音声も含めたnote記事はこちら

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